秋野豊
十年前の七月二十日、私は不思議な体験をしたことがあります。フランスでの文化イベントを終え、帰国した知人と長野市内のホテルで待ち合わせ、ワインを楽しんでいた時でした。とても愉快な気分で会話をし、フランスでの土産話に聞き入っていました。その際、ふと窓からなにげなく景色を眺めていたのですが、外の空、ビル、木々、車、人々等から急に色が失せ、セピアの風景が見えたのです。あれ、夢を見ているのかな、いやいや悪酔いだなと思い、窓から目をそらしました。
しばらくは、知人の話を聞くふりをして、躊躇はあったのですが、もう一度窓の外を見ることにしました。いつものオールカラーの景色でした。ああ、よかったと思いながらも、今度は急に虚無感が込み上げてきました。生きているのがイヤになってしまったのです。私は比較的気分の安定した人間で、こんな体験は初めてでした。これは、もうこの場を切り上げろとの合図だなと感じ、さっさと会話を切り上げ、帰宅することとしました。たぶん、知人は私のことを随分自分勝手なやつと思ったに違いありません。
実は、この時、国連タジキスタン監視団(UNMOT)政務官の秋野豊氏が命を亡くしたのです。秋野氏の師から携帯電話に連絡をいただき、その事実を確認したのでした。それによって、私の不思議な体験の理由は納得できましたが、しかし、なぜ古き友人の死を地球の半周分ほども離れた私が感じたのかは、不思議のまま残ったのでした。
私は、この体験から変に教訓めいた話は引き出すつもりはありません。ただ、セピア色の景色の中で感じた、あの挫折感はもう二度と味わいたくないということはあります。生きている中での惨めさと死に向かっての惨めさとの間には、まるで橋が架かっていないように思います。
この七月、秋野豊メモリアルコンサートが開かれるという報に接し、もう十年も経ったのかという感慨です。四つ年上の同僚であった君は、私より若い四十八のままではあるけれど…
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