江戸百における「名所」の意味
江戸百の全作品の解説を終えましたが、最後に、安政地震が発生した直後の世相の中で、広重の「名所」とはいったい何を指していたのかについて総括しておきます。
美しい景色が全て名所になるわけではありません。重要なのは、広重がどうのような「筆意」を持っていたかです。切り取り、選択、強調など近景拡大の技法も含めた技術的な観点から広重の絵の見せ方を分析するだけではなく、庶民心情の底にある信仰・事蹟・評判・興味などの感情の拾い方もさらに大事な要素です。たとえば、神仏の御利益、過去の歴史の舞台であること、歌舞伎・狂言・能などの見立て、幕府・将軍の動静などに対する庶民の関心の上に作画されている事実を忘れてはなりません。
とくに庶民信仰という次元から江戸百を再度見直してみると、広重の描く名所は寺社の周辺地や歴史的・伝説的事蹟のあった地域が多く、そこは古くからの庶民信仰の中心地や供養地とかなりの部分で重なっています。江戸百を包括的に見れば、名所の下に、信仰地・供養地・伝説地等の大きなネットワーク(結界)が採り上げられています。あるいは、江戸全体に張り巡らされ、江戸を守ってきたこのようなネットワークが無意識の内に選ばれています。したがって、広重が名所として視覚化・作品化した各地の評判が高まれば、人の流れ、気の流れが生まれ、結果として江戸各地が活性化されるという訳です。つまり、江戸百の流行が、江戸全体の再生と創生、言葉を言い換えれば、浄化と創造の機運を生み出すことを意味します。
安政地震によって壊れたいわば「結界」を、広重は江戸百において「名所」として採り上げ、修復・確立しようとしているのです。そうなれば、江戸は強く災害から守られ、再び安政地震の様な災害に見舞われることがなくなるという想いです。そもそも浮世絵は、つらい「憂き世」をわくわくする「浮き世」に変換することがその本質なのですから。
「名所」という言葉において、江戸の結界を修復・確立するのが江戸百の真の目的です。






















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