版元:湊屋小兵衛 年代:嘉永5(1852)年10月
江戸日本橋からの千代田城、富士山の景色を背景に描く伊達騒動物から始まった当該シリーズも、最後は、京の御所を舞台にした妖怪退治の物語で締めくくられることとなります。「鵺」(ぬえ)とは、もともとは夜に鳴く鳥「トラツグミ」のことでしたが、不気味な鳴き声の「得体のしれない化け物」自体を鵺と呼ぶようになりました。鵺に関する伝説上有名な話が、ここに描かれる源三位頼政の鵺退治です。
『平家物語 巻第四』あるいは『源平盛衰記 第十六』によれば、近衛天皇の在位中の仁平年間(1151~1153年)、毎夜、東三条の森から黒雲が清涼殿の上を覆い、天皇が大変怯えられることがありました。そこで勅命によって源頼政がこの変化を退治することとなり、先祖の源頼光より受け継いだ弓によって黒雲目掛けて矢を射ったところ、命中し、射落したものを郎党の井(猪)早太が刺し殺しました。松明を灯してその姿を確認すると、頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇という怪物で、鳴き声は鵺であった言います。なお、この化物はばらばらにされて淀川に流されたそうです。魔を払うことも重要な役割であった平安時代の武士の(陰陽師的)性格を端的に示すものです。頼政と早太の姿は下方に小さく描かれるに止まり、中心は鵺と呼ばれる化物の姿です。その特徴的な「鵺の尾」に掛けて、シリーズ「大尾(最後)」の作品として頼政の鵺退治が画題に選ばれたと考えられます。標題は、弓、松明、黒雲と鵺退治の場面を象徴するもので飾られています。
コマ絵は、御所を舞台にした鵺退治を画題としたことから、御所車の意匠です。描かれるのは、黒雲の現れる東三条の森の方向、東山の風景かと思われます。英泉・広重版木曽街道は「大津」で終わっているので、広重の保永堂版東海道の「京師 三條大橋」を参照すると、三条大橋から東山方向を望む風景であり、共通する趣向と考えられます。
『平家物語』や『源平盛衰記』に記される頼政の鵺退治の意味について考えてみます。鵺や鵺退治に関しては、陰陽五行説の各要素を割り振った感があり、頭の猿は、申、方位は西南西、要素は金、足の虎は、寅、方位は東北東、要素は木、尾の蛇は、巳、方位は南南東、要素は火、そして、郎党の井(猪)は、亥、方位は北北西、要素は水、以上の交点に体の狸、方位は中心、要素は土と分析できます。しかしながら、そこから一定の意味が読みとれるわけでもなく、鵺やその退治が全ての要素の集合によっていることが示されるだけで、つまりは得体がしれない存在、事件ということが明らかになるだけのようです。また、鵺が東三条の森から現れ、北方の山に落下し、バラバラにされて淀川に流された経緯は、西から東に変わる自然現象ではないこと、菅原道真の怨霊・雷神を示唆すること、風水による気の流れに従って処理されたことなどが読みとれます。結局、鵺は正体が不明であること、あるいは逆にこの世の法則そのものであることが浮き上がってきます。
後者の点を押し進めると、頼政の鵺退治は、この世そのものに矢を放ったという意味となります。保元・平治の乱を生き残り、平家全盛の時代に三位という高位において源氏の惣領であった頼政ですが、以仁王の令旨に応えて平家追討の第一声を上げたにも係わらず、あっけなく敗退自害となりました。ただし、全国の源氏の旗挙げの魁となり、これが機縁となって平家滅亡、源氏の天下が生まれます。しかし、志半ばで倒れた頼政には、具体的功績がなく、顕彰することができないので、『平家物語』や『源平盛衰記』の作者は、怨霊思想の観点から、正体不明の鵺退治の話を加えることにしたと考えられます。悪魔払い・怨霊封じの儀式を時代そのものに矢を放った英雄譚に昇華させ、頼政を慰めたのです。
時代そのものを「時代の権力」そのものと読み替えるならば、たとえば、猿(申)は日枝の神・比叡山、虎(寅)は武士平家、蛇(巳)は藤原摂関家、狸は東三条の森に巣くう法皇の隠喩で、いずれも時の天皇を悩ませた存在と見ることができます。これを退治した頼政が天皇から獅子王という御剣を下されたことは、物語の伏線としては深い意味があると思われます。
では、国芳がこの頼政の鵺退治を作品の画題としたことには、いかなる意味があるのでしょうか。御所を悩ませる妖怪・鵺が庶民の恨みから生まれた怨霊とするならば、天保の改革あるいはその当事者を揶揄したと受け取られた、国芳の大判三枚続作品『源頼光公館土蜘作妖怪図』』(みなもとのよりみつこうやかたつちぐもようかいをなすず)創作時の精神未だに健在ということになります。また、江戸の将軍、幕政、幕閣などを妖怪と見るならば、源頼政の放つ矢は幕府に一矢報いるものと理解されます。さらにペリー来航間近の時代背景を考えれば、尊皇攘夷を待望する庶民心理でしょうか。歴史は、攘夷の期待が裏切られ、尊皇倒幕へと至ります。
シリーズの最初「日本橋」は、歌舞伎の伊達騒動物を引き合いに出して、三浦屋の高尾太夫に袖にされた仙台藩主を登場させています。すなわち、遊女の意地に負けた武士を揶揄するものです。この事実を重ね合わせると、武士を揶揄し、幕府に一矢を向ける国芳の木曽街道六十九次は、少なくとも、武士社会の崩壊間近な時代の雰囲気を十分に感じさせるシリーズとなっていると言うことはできるでしょう。
最近のコメント