裏富士「諸人登山」

Hokusai46 富士山頂を目指す富士講の人々が描かれています。富嶽シリーズ46枚中、唯一、富士の山容が描かれていない作品です。また、題名も、「凱風快晴」、「山下白雨」と並んで、特定の場所が明示されていない系列に属します。おそらく、当該シリーズの最後を締めくくる浮世絵として版行されたと推測されます。

 富士溶岩の地肌の色が特徴的ですが、「凱風快晴」の山頂付近の色彩とほぼ同じであることに気が付けば、赤富士命名の由来となったご来光間近の様子を、スケールアップして表現したものであることが判ります。背後の雲が朝焼けでやや赤み始める中、信者の登山・火口廻りなどの景を連写的に描き、難渋した富士登山とその目的達成至近の瞬間を主題としています。

 作品の右上に、信者が籠もっている洞窟が見えますが、富士信仰を普遍化させた行者、食行身禄(じきぎょうみろく)が入定した烏帽子岩の洞窟かと思われます。ご来光を遙拝する信者の姿ではなくて、洞窟で眠る人々の姿を最終章に加えたのは、北斎の理解した富士信仰の根幹に、身禄のそれがあったことを物語るものです。

 少なくとも、裏富士シリーズは、この「諸人登山」の一枚に向けて描かれていたと考えられます。とすると、当該シリーズに道中を旅する人々が多く描かれているのは、その背後に、信者が富士登山する姿が重ねて見据えられていたからにほかなりません。「諸人登山」を意識すれば、そこに至るまでの作品群には、デジャブー(既視感)があったはずです。

 「諸人登山」は、実は、「凱風快晴」の一部であったと推測しています。そうすると、ご来光の中に、金剛杖を持った信者が岩を登り、梯子を上がり、一休みし、岩陰を進み、そして洞窟で眠るという、一連の様が包まれていることになります。すなわち、富士登山に例えられた人の老病死の一生が日神に見守られていること、そして最後は、富士洞窟を経て、ご来光と共に「弥勒の世」に再生して行くことを暗示しているのではないでしょうか。

 ちなみに、作品の右下から中央付近に描かれる信者の日笠を繋ぐと七つ星(北斗七星)となるのですが、これは偶然でしょうか、それとも北辰星に由来すると言われる北斎画号を隠すものなのでしょうか…。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「東海道金谷ノ不二」

Hokusai45 「身延川裏不二」を想起すると、身延道と東海道を入れ換えたような考案で、それ故、流れる川の表現を是非見せたいという北斎の意図が強く伝わってきます。ただし、富士の山容に険しい雰囲気はなく、富士の表の顔が描かれています。

 手前の金谷宿と向こう岸の島田宿の間を流れる大井川は、かなりのウネリを見せており、この大河を渡ろうとする川越人足の心意気が描かれているというものです。対岸の水除堤の描き方が特徴的で、その上から姿を見せる富士は、まるで川越人足に担がれている旅人達と同じようではありませんか。あるいは、川から身を乗り出す人足や旅人とも見えます。富士と川を渡る人々とに共通する姿があるのです。

 東海道を伊勢への道と考えれば、旅人が視線を送る先にある富士への道と交錯する地点を描いた、名所絵ということもできましょう。ただし、それを越えて、大井川の流れを烈しく、ウネリを積み重ねて富士のような大きさで表現したのは、富士世界と旅人、人足などとの共感関係を醸し出すための工夫と考えられます。(富士を水神とすれば、大井川での水被り風景となります。)そのように描く必要のない、たとえば広重の大井川表現とは、随分異なるところです。

 島田宿には「永」の字の旗が立ち、川の中には「壽」と書かれた荷や「山に三つ巴」の商標を染め抜く風呂敷を背負う旅人など、版元西村屋永寿堂の宣伝が散見されます。これは、いよいよ、富嶽シリーズが終わりに近づいた証拠を示すものに違いありません。なお、人物の微細な表現、川面の点描表現などは北斎の技の凄さを示すものですが、それは技法であって絵の本質でないことは、上に述べてきた通りです。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「身延川裏不二」

Hokusai41 たおやかな富士の姿が多い中、男性的な岩の固まりのような甲州の山並みと富士です。身延道を行き交う旅人達を描いていることから、裏富士シリーズの特徴である、街道(旅)と富士をテーマにした作品系列の一つです。

 身延川から沸き立つような雲、同様の山、そしてその山々に挟まれ、頂上を覗かせる富士を旅人達は見上げています。その旅人達と言えば、波立ち、泡立つ急流の川と手前の山の間の街道を歩いています。この両者の狭隘さが共通の姿勢となって、富士と旅人達を結びつけているのではないでしょうか。

 身延道の先にあるのは、身延山ではなくて、旅人が目にしている富士の頂上ではないのかとの錯覚を北斎は用いています。身延詣りを入り口として、視点を変えることによって、富士詣りを想起させる術です。作品の上半分が、蜃気楼のように見えます。いずれにしろ、単純な街道(道中)物ではないと考えます。

 また、身延への道と富士への道とが交錯する地点を描いたと考えれば、今日流の言葉で言えば、そこはパワースポットです。北斎解釈による名所絵と言うことも可能でしょう。身延山には日蓮宗の大本山久遠寺がありますが、それを背後に隠して、その身延山参詣と富士遙拝とを巧みに重ね合わせたところが、本作品の趣向ということができます。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「相州仲原」

Hokusai42 仲原は、江戸・仲原・大山と繋がる仲原道・大山道の交錯する宿場で、その大山詣りの風景を庶民生活と併せて描いています。大山講の信者を意識した作品と言うことができます。

 作品の中央部分に、大山寺の本尊である不動明王に縁の石仏が据えられ、富士の麓に描かれる丹沢山系(大山)と向き合っています。ところが、この石仏を見る者の視線は、背後から同時に富士にも向けられるように配置されています。視点を変えることによって、たとえば、「登戸浦」では神社の鳥居を富士の鳥居のように見せていますが、北斎が時々示す絵組みの応用をここに発見することができます。石仏は、大山の依代であると同時に富士の依代でもあることは、大山の背後に保護者のように描かれる富士によって、視覚的に容易に理解できます。

 この石仏を中心に日差しが明暗法で表現され、その日の中に六十六部の親子、弁当を頭に乗せる母子、川で漁あるいは貝採りをする男、天秤棒で荷物を運ぶ行商人、大山講の御師などが収まっています。また、版元の商号を付けた風呂敷を背負う男は、大山と富士に目を向けています。大山詣りを入り口として、結果的には、富士の日神と水神との交錯する、豊かな田園生活を紹介する作品へと落ち着いています。

 大山詣りは富士詣りに通じる、というメッセージがあるように思うのですが、いかがですか。何度か繰り返して述べていますが、街道物、道中物の色合いが濃厚な作品の一つであることは確かです。しかし、それを入り口として、富士に導かれた世界がやはり表現されていると見るべきように思います。

 なお、作品の右下方に描かれる鳴子の紐は、三角の富士を作って、遠景の富士と向き合い、さらに石仏にも触れているように見えます。近景に富士世界を出現させる北斎の技は、ここに来ても十分に機能しています。さらに、遠景の富士の左側の雲模様が、「大」という文字に見えるのですが…。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「甲州伊沢暁」

Hokusai40 甲州街道石和(いさわ)の宿場町風景です。前回触れたように、旅の要素を取り入れた街道物の趣を感じさせる作品です。右手前に小高い山が描かれ、そこから富士を遠望しつつ、宿場町を鳥瞰する構図となっています。この構図は、たとえば、鎌倉山を近景に描く「相州七里濱」などにもすでに見られるもので、作品を鑑賞する者は、頂上世界から世間を見下ろす視点の側にいます。

 石和の宿場の暗さと富士背景の空の明かるさとの対照が作品のテーマなのでしょうか。此岸の宿場の無明と彼岸の富士の光明という観点は、作品理解に一見すると好都合のように思われますが、仏教的色彩の濃いものと言えます。此岸と彼岸との間に距離を設けない富士信仰の観点からは、別の理解があるはずです。

 前出の「相州七里濱」では、海に反射する日の光が捉えられていました。同じ視点で「甲州伊沢暁」を見直すと、富士は朝焼けの中に浮かびつつあり、中景の川面も朝日に白く映え、対岸の木々もはっきりと見えています。そして、近景の宿場町は、街道は暗いとしても、家々の茅葺き屋根は日を受け始めています。全てに亘って、朝日の光が差し始め、まさに「暁」が捉えられているのです。富士の日神たる要素が、主たるテーマであることがよく判ります。

 富士に日の光が当たり、その全容が現われつつあるのですが、宿場から旅立つ人々にも朝日が当たり始めている情景です。旅行く人々も、富士も同じ姿勢の中にあるということです。富士信仰の基本は、この身近な相互関係なのです。宿場を鳥瞰的に眺める視線は、富士頂上からの視線に同一視できるものなのではないでしょうか。

 名所絵あるいは街道物の要素がかなり強い作品なのは事実ですが、広重ならば、手前右下の小山は必要がなく、彼岸への橋も大きく表現されたように思います。こうしてみると、北斎と広重の信仰的感覚には違いがあることを感じます。ともかく、当該作品を富嶽シリーズの一枚に位置づけようとすれば、このような理解に至るのは当然と考えています。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「従千住花街眺望ノ不二」

Hokusai38 富嶽シリーズでは、「武州千住」「隅田川関屋の里」に次いで、三枚目の千住関連の作品です。千住地域が、富士講の拠点の一つであることと密接に関係があると思います。作品の題名も、状況説明的です。

 中景は刈り取り後の田で、秋の収穫が描かれています。これは、富士の恵みの世界もしくは木花開耶姫命の豊穣の世界を表現するものです。畦に二人の農婦が腰を下ろしているのは、背後の新吉原にいる女性達を暗示させる工夫と見ています。視線は、近景の大名行列に注がれているようです。その後ろには、題名にあるとおり、新吉原の花街があります。これも、春、桜に象徴される世界ですから、この世の木花開耶姫命の世界と解すべきなのかもしれません。

 従来の富嶽シリーズの傾向からすると、新吉原、秋の収穫とそれぞれで一枚の作品として成立してもおかしくないところ、さらに、近景には、北に向かう大名行列が描かれています。その一行の何人かは、新吉原、あるいはその先の富士に視線を送っているようです。これら三層の主題を統べるものとして、遠景に富士があるのですが、富嶽シリーズの作品は単一の視点で説明できるものがほとんどなのに、当該作品は趣をどこに捉えたらよいのか、やや曖昧さを感じます。前述しましたが、題名のとおり、状況説明的です。

 富士の恵みの世界は、花街、農婦の座る田圃、武士が歩く街道、土産の売店など、いずれにも等しくあるということなのでしょうか。一見すると、広重の東海道五十三次の一図かとも思える作品です。裏富士の多くが名所絵や街道物の要素を伴っているのは、その版行の意図に、意外にも広重作品あるいは街道ブームを意識したものであったからではないかと考えています。

 近景の、南部藩とも言われる大名の一行は、日光街道(奥州街道)を進んでいます。日神は富士信仰を彩る要素ですが、日光をそれと同一視するのは深読みし過ぎでしょうか。いずれにせよ、裏富士の過半は、街道や旅がテーマとして加わってきています。これを街道物への移行を意図した結果と見るか、街道の旅を富士信仰の旅に帰結させようとする布石と見るかは、次回以降の作品をもう少し検討しながら、結論を出したいと思います。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「駿州片倉茶園ノ不二」

Hokusai44 引き続いて、木花開耶姫命の恵みあるいは豊穣の世界を描く作品です。富士の麓近くまで茶畑が続き、富士はその茶畑がそのまま山容となったかのように描かれています。つまり、「茶の富士」というわけです。

 中景から近景にかけては、茶摘み姿、天秤棒で茶を運ぶ農夫、版元の商号を入れた腹掛けなどをつける馬で茶籠を運ぶ様を連ねて、お茶の生産風景を紹介する趣旨でしょう。ただし、残念なことに、北斎は、お茶と稲とを混同している感があって、色や植え方など、現実のお茶の生産とは異なっています。藁を秋の季語として使うことが多い北斎の作画傾向からすると、秋の収穫風景を表現しているのは間違いありません。同時に、そのお茶という恵みが、富士に由来することを物語るものであることも言うまでもありません。

 なお、駿州はお茶の生産の盛んなところですが、「片倉」という地名は不明で、他の場所の誤記ではないかと言われています。そうであるにしても、北斎の描こうとしたものは、富士の豊かな恵みの世界ですから、絵の目的は十分に達成しています。また、地名や場所よりも富士の役割に重心があるという意味で、名所絵への過渡期の作品とする所以です。

*掲載の資料は、アダチ版画です。 

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裏富士「駿州大野新田」

Hokusai43 愛鷹山の南麓に広がる低湿地帯に「大野新田」は所在し、湖沼から富士を望む、富士の水神要素を骨子とする作品として成立しています。近景の農夫は、牛の背に枯れた葦を積み、またその先の農婦も刈ったばかりの葦を背負子で運んでいます。日神要素も排除されているわけではなく、赤く焼けた雲が夕陽の仕事帰りの風情を表現しています。

 富士に掛かる架かるすやり霞は、富士の山頂と湖沼の岸とを直接結び、富士が湖沼の葦草などからできた山のように見せる役割を果たしています。そして、近景の農夫達の運ぶ葦が、その「葦の富士」に由来することを印象付けるものです。ということは、木花開耶姫命の社(富士)とその恵みの世界(大野新田)とが描かれていることになり、富士と農民の生活との一体感や共感が主題となっているのです。「青山圓座枩」の富士が、築山仕立てになっていたのと同様の趣向です。

 白鷺の飛ぶ、沼越しの富士として名所絵化していますが、その基本部分には、やはり、富士の恵みの世界が強く意識されていたことが判ります。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「本所立川」

Hokusai37  画中右下の立て掛けた材木等に、右から「馬喰丁弐丁目角 西村」、「西村置場」、「永壽堂仕入」、「新板三拾六不二仕入」などの書き入れがあります。したがって、裏富士シリーズの最初の一枚目の可能性が高い作品と言えます。表富士で意表を突いた構図として好評であった、「遠江山中」の木挽きスタイルを中央に置いたのも、新版としての意気込みを物語るものです。

 鋸引きされる材木が遠景の富士の峰に繋がるように見える工夫は、この材木置き場が富士世界の一端であることを示すものです。左側、高く積み上げられた材木の上で仕事をする職人を富士頂上よりも高く描くのも、やはり、本所の立川(竪川)を富士頂上世界と同一視しているからです。もともと、木々や柱は神の依代として使われるものですから、この材木置き場は、木の神の世界、すなわち、木花開耶姫命の恵みの世界と見ることができます。

 ちなみに、鋸を引く職人は、切り口に楔(くさび)を打ち込んでいます。楔を打ち込まず作業をしていた、「遠江山中」で指摘されたであろう誤りを、ここでは正していることが判ります。その分、日常の景色によく溶け込んだ表現となっています。富士神霊が、「遠江山中」から「本所立川」まで降臨し、江戸市中に近在していることが感じられます。

 北斎は、富嶽シリーズ共通の視点にしたがって、本所の材木問屋の材木置き場に富士の恵みの世界の一端を発見し、それを作品化したのですが、同時に、最初の一枚目として、これが裏富士版行の趣旨であることを宣言したと考えられます。以下、シリーズでは、富士(神霊)の恵みを各地に探しだし、紹介していくこととなります。その意味で、名所絵への移行過程の作品群と見なすことができます。

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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裏富士「東海道品川御殿山ノ不二」

 『冨嶽三十六景』中、墨色の輪郭線で摺られた追加の10枚を「裏富士」と呼んで、以下、別個に解説していきます。「表富士」が、富士神霊を近景の庶民生活の中に如何に降臨させるかにかなり腐心していたのに対して、同シリーズの好評を受けて版行された「裏富士」では、そのような工夫は特別には必要ない状況になっているようです。その意味で、風景画もしくは名所絵への過渡期の作品群とも言えます。

Hokusai39 最初に採り上げるのは、「東海道品川御殿山ノ不二」 です。御殿山は桜の名所として有名で、花咲く桜越しに富士を眺望する構図ですが、主体は桜見物をする人々、接客する人々を近景に鳥瞰する作品です。富士浅間神社の祭神が木花開耶姫命であることを思い起こせば、近景に展開するのは、この世の木花開耶姫命の世界であることが直ちに理解されることでしょう。

 この世の木花開耶姫命の世界は、身分の違い、男女の違いに関係なく、また、大人や子供も楽しめる所として描かれています。普遍する富士世界の描写です。題名は「御殿山ノ不二」となっていますが、作品の趣向は、「御殿山が富士」世界であることを謳うものです。画中左で酒を酌み交わす三人は、ここが富士頂上と同様であることを示すもので、その下に見える品川宿のお寺と思しき三角の瓦屋根は、さらに近景に富士世界があることを補強する工夫と思われます。

 御殿山に描かれる人物中、とくに注目すべきは、やはり、扇子を翳している二人組の男達です。脇差しを二本差しているので武士なのでしょう、棒に花見の弁当を括り付け歩いていますが、頭上より、日が燦々と照っている仕草です。御殿山を富士頂上の日神世界と同視していることが判ります。藍色の日傘も同様の目的です。茶店の前で左手を上に挙げる小僧が担ぐ風呂敷には、山形に三つ巴の版元西村屋の商標が描かれています。浮世絵の版木も桜の木ということで、桜繋がりでしょうか。

 「東海道品川御殿山ノ不二」は、庶民の花見姿に富士世界を垣間見る趣の作品であり、富嶽シリーズ版行の目的を端的に語る作品と言うことができます。 

*掲載の資料は、アダチ版画です。

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