竹箆太郎(5)

Fairy173 ジェイムス夫人英訳のちりめん本『竹箆太郎』 には、このシリーズにしては珍しく、序文が付いています。そこでは、竹箆太郎と同様、犬を起源とする話として、‘Mitsumine’あるいは‘Mitakesan’の‘Okuchishinjin’の紹介がなされています。これは、「御岳」(みたけ)の「大口真神」(おおくちまがみ)のことを指していると思われ、物語の最初のページにも、この「大口真神」を描いた幟が引用されています。ジェイムス夫人の念頭には、このニホンオオカミのイメージがあったことが推測され、幟の中にも、「竹箆太郎大明神」と書かれています。

 この、もう一つの(怪)犬伝説は、武蔵御嶽(みたけ)神社に伝わる古譚で、日本武尊が東征の際、深山の邪神の放った深い妖霧に道を見失い、窮地に陥ったのを白狼に導かれたことに由来します。白狼は、その後、「大口真神」としてその地に留まり、魔物の退治を仰せつかったといいます。以来、魔除け、火難除けの神として「お犬様」の霊験の信仰が始まったそうです。ちなみに、ジェイムス夫人は、‘the large mouthed god’と英訳しています。

 この信仰は、ニホンオオカミが描かれた護符を受けに行く「御嶽講」(みたけこう)として、今日でも残っているそうで、この経緯は、長野県川上村出身の由井英監督のドキュメンタリー映画、『オオカミの護符』にて撮影されているとの報道に接しました。

 ところで、御嶽神社は現在の青梅市に当たりますので、ジェイムス夫人の話の収集地は東京近郊と推測されます。実は、歌舞伎の怪猫奇譚『竹箆太郎』では、退治されるのは猫です。江戸などの歌舞伎の観客や読み物の読者にとっては、猿よりも身近な猫の方が現実感があるように思われますし、そのような資料に基づいて彼女が英訳したとなれば、怪犬と怪猫の戦いというストーリーにならざるをえません。彼女の意図は、それほど強いものではないかもしれませんね。

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竹篦太郎(4)

Kuniyoshi71 左図は、国芳『木曽街道六十九次之内』「京都 鵺 大尾」嘉永五(1852)年十月の作品です。このシリーズのほとんどは、単純な駄洒落から一枚の浮世絵作品を描き上げる趣向のものですが、京都に関してはそのような言葉遊びの要素は少ないようです。大尾(最終頁の意味)と蛇の尾は掛けられているかも知れませんが。

 鵺(ヌエ)は、頭は猿、(胴体は狸)、尾は蛇、手足は虎の姿をした怪物であるといいます。この鵺を退治したのが、平安時代末期の武将、源頼政で、その場所は、京都(紫宸殿)ということなので、京都に鵺を持ってきています。

 左上の駒絵は紫宸殿の形をしており、そこに描かれているのは、山頂から黒い雲が降り立つ風景です。実は、この紫宸殿を被う黒雲の正体が、鵺であり、黒雲から発する稲妻の中に鵺が描かれています。

 駒ヶ根の『早太郎(竹箆太郎)伝説』では、雷鳴(雷)の正体は狒狒(猿)であり、山犬の早太郎に敗れますが、鵺に象徴されるものも、当作品も描いているように、おそらく、雷鳴(雷)に違いないように思われます。『平家物語』では、源頼政は、家来の猪早太(井早太)を連れ、先祖の源頼光より受け継いだ弓を手にして怪物退治に出向き、山鳥の尾で作った矢で射止め、すかさず猪早太が取り押さえて止めを刺したとなっています。「早太郎」に「猪早太」と、登場人物の名に共通するものがあるのは、同じモチーフだからです。また、矢で射るのは、怨霊払いの儀式ですが、鵺に象徴される雷鬼は【金】属神であるので、頼光=雷光(雷神)の力を借り、【火】で鋳(い)るの意味において、陰陽五行の思想から説明できます。

 さらに分析すると、鵺退治の伝説は、北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の亥(猪)といった干支(易)の合成からできていることに気付きます。つまりは、後付によって伝説化されたということでしょう。なお、『早太郎(竹箆太郎)』の犬と猿の対決も、北西の戌と南西の申に相当します。

 干支(易)の応用、早太の助太刀、勇者(若武者、頼政)の活躍など、基本構成要素に共通する点が多いということは、両伝説は、同じ思想背景を持った者の(再)構成と推測しています。

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直江山城守(2)

 NHKの大河ドラマ『天地人』で、直江兼続の活躍がいよいよ見られるようになってきていますが、すでに、上杉謙信、武田信玄さらには織田信長も世を去り、豊臣秀吉の政権末期へと時代は移っています。このことからも判るとおり、川中島合戦の武者絵において兼続が描かれているのは、歴史的事実を基にしたものではないのです。兼続は、石田三成と同年ですので、三成が川中島合戦で活躍することが時代に合わないのと同様、事はすぐに理解できると思います。

 したがって、兼続が浮世絵に採り上げられるのは、別の事由からですが、それは、『天地人』の進行のなかで明らかにされるでしょうから、詳細はドラマに譲ります。ここでは、直江山城守(兼続)を描く、役者絵を紹介しておきます。

Jihizo◆「擬五行盡之内 孝の恵に 身も肥る 土」 「慈悲蔵」
 絵師:歌川(三代)豊国、版元:恵比寿屋庄七、年代:嘉永五(1852)年八月

 画題の枠に菊座橘が描かれているので、三代目嵐璃寛であることが推測されます。明和三年(1766)正月初演浄瑠璃『本朝廿四孝』(三段目切)で、中国の「廿四孝」孟宗の翻案として、母の命で慈悲蔵(後の直江山城守)が雪の中、筍を掘っていると、兄横蔵(後の山本勘助)が現れるという話です。

 慈悲蔵は筍掘りの最中、鳩が群れ飛ぶことから、そこに、亡父が六韜三略巻を埋めたのではないかとさらに掘り進めていましたが、そこに横蔵が現れて取り合いになります。

 慈悲蔵は、兄が主君長尾景勝に瓜二つであるため、その身替わりとさせようと考えています。しかし、兄は、密かに武田信玄に仕えていたので、自ら片目をつぶして、亡父の名である山本勘助の名を継ぎ、慈悲蔵は、直江山城守の名を継ぐこととなります。

 五行(陰陽五行説)は、世界が、木、火、土、金、水、(木、金、火、水、土)の五つの要素で構成されているという考えで、本作品はその内の土をテーマにしています。すなわち、『本朝廿四孝』の筍掘りの場面は、それはまさに「土」を掘るということなので、土に当てられたものと考えられます。

 画題に「孝の恵に 身も肥る」とあるのは、母のために筍を掘ることの孝ということでありますが、演ずる役者・三代目嵐璃寛が大変肥満であったことから、「肥る」はそこに掛けられているようです。また、実際には三代目嵐璃寛は慈悲蔵を演じていないので、慈悲蔵を璃寛に見立てた作品というわけです。

 竹林の中を飛ぶ鳥は、一見、雀のように見えますが、『本朝廿四孝』を考えれば、鳩ということになります。また、すっかり黒くなっていますが、雪を胡分(鉛白)散らしで表現しています。当該作品に関して、全く同様の場所に胡分(鉛白)散らしが施された他の作品を見ますから、版木に一度散らした後、何枚かを摺ったことが想像されます。つまり、浮世絵作品に直接、胡分(鉛白)を筆等で散らしてはいないということでしょう。

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文久元年の絵暦

Egoyomi1 この小判の浮世絵は、その画中の輪の中に細かな模様が描いてあって、そこに目が行ってしまうと何を描いているのか、やや不明になります。そこで、少し目を離して、構図全体を見てみると、布の上に刀の鍔(つば)が二枚置かれていることが見て取れます。

 絵の上部に、万亭應賀の「大小の 鍔を みがひて さすがにも ちゃんと おとなふ 武士の 年禮」という歌が書いてあるので、下部の絵が刀の鍔であることは、間違いありません。ただし、注目すべきは「大小」という部分で、これは刀の大小と暦の大小とを掛けてあり、絵暦の常套手段といってよいと思われます。

 ということで、下部の絵から一月(ひとつき)30日の「大の月」と29日の「小の月」を読みとってみましょう。判りやすいのは、黒い小さな輪の方で、これが小の月であることは説明を要しないでしょう。時計と反対回りに、「正 四 六 八 十 十一」というアールデコ調の文字がデザインされています。となれば、その上の大きな鍔は、大の月です。

 時計回りに、お雛様:桃の節句の三月、菖蒲:端午の節句の五月、短冊:七夕の節句の七月、菊:重陽の節句の九月と読み解けます。注連縄(しめなわ)は年末の年の市で売られることを考えれば、十二月の象徴として使われているようです。問題なのは、鍵の絵が何月を指すのかです。消去法からいえば二月となりますが、なぜかといえば、おそらく、二月最初の「午(うま)の日」を「初午」といい、江戸時代、寺子屋への入学はこの初午の日であったことと関連しているのではないでしょうか。「初午は 世帯の鍵の下げ始め」「初午は まず錠前を覚えさせ」という川柳から見ると、子どもが寺子屋に通い、母親が仕事を始め、いわゆるカギっ子になるという意味で、鍵は二月(初午)の象徴となるのです。

 大の月が「二 三 五 七 九 十二」となるのは、文久元年(1861)辛酉(かのととり)となります。絵師の名として(梅の本)鶯斎画とあり、幕末明治の絵師であること、大の月を描いた鍔に小さく「酉春作」とあることからも、文久元年の絵暦であることが補強されると思われます。

 ちなみに、万亭應賀の歌は、刀の大小を磨いて年頭の挨拶をする意ですから、暦に添えられるに相応しいといえます。

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竹篦太郎(3)

 ジェイムス夫人が訳出した縮緬本『竹篦太郎』では、人身御供を強要する妖神(怪猫)を退治するために奔走するのは、若い勇者です。そして、勇敢な犬・竹篦太郎は、その勇者が近在の首領から一夜借りてきたとあります。日本書紀に記述される足往(あゆき)を原形にする物語です。この物語の背後にあるのは、大和朝廷と各地方勢力との攻防の歴史ではないかと思われますが、光前寺縁起の場合には、若者は旅の僧に、竹篦(早)太郎の所有者は光前寺に特定され、仏教的説話に再構成されています。

 見付天神の老狒狒の有様がまるで雷鳴や落雷を彷彿とさせるのは、(見付)天神がはじめ祟りの「雷神」であったことが影響しているように思われます。他方、竹篦(早)太郎が疾風と同義だとすると、こちらは風の神、つまり「風神」ということになります。両者の闘いは、雷神と風神の闘いとなり、山は嵐です。そして、結果は風神が雷神を地に叩き落とし勝利しますが、風神は光前寺からの使いですので、これは光前寺、つまり仏教側の勝利を意味します。

Saigoku6  竹篦太郎伝説を骨格とする光前寺縁起をもっとよく理解するために、ここで、仏教の力(御利益)で雷神を退散させた説話を紹介しておきます。それは、『観音霊験記 西国順礼第六番 大和壺坂寺』に関する、「神取栖軽」の話です。すなわち、風雨雷電激しい折、雄略天皇より「雷神を捕り来るべし」と命ぜられた小兵部栖軽が、壺阪寺の方に向かって普門品を時念すると、寺より異光がはためき、さしもの雷も地に落ち、栖軽はそれを生け捕りして王宮に献じたというものです。この所以によって、「神取栖軽」と呼ばれるようになったといいます。

 大和壺坂寺から異光がはためき雷神が地に落ちたという、観音の御利益を謳うものですが、光前寺はまた「光苔」で有名なお寺でもあり、「光」にゆかりがあるのです。見付天神(雷神)を押さえるには、異光を放つ光前寺でなければならないことがよくわかります。

 光前寺と見付天神とは、天竜川を介して北と南に位置し、犬と猿、風神と雷神、異光(光苔)と雷光といった具合に対立関係があり、光前寺が見付天神に結界を張っているような感があります。竹篦太郎伝説を読み解くつもりが、地域のこんな歴史的関係性をも浮かび上がらせてしまったようです。

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竹篦太郎(2)

 日本で最初と思われる犬の話としては、「日本書紀」の垂仁紀に「あゆき」という犬が登場します。簡訳すれば、「昔、丹波国の桑田村に名を甕襲(みかそ)という人がおり、その甕襲の家に足往(あゆき)という名の犬がいた。この犬が山のむじなを食い殺したところ、獣の腹に八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)があった。」ということで、甕襲が、三種の神器ともなった八尺瓊勾玉を献上した件を語っています。竹篦太郎伝説では、光前寺縁起を別として、登場する犬は「丹波の犬」とされることが多いのですが、これは、たぶんこの「あゆき」の話が原形になっているからだと思われます。

F172 次ぎに、縮緬本に採用された「竹箆」(Schippei)という言葉に注目してみます。これは、たけべらの意ですが、とくに、禅で用いる竹製の棒、瞑想する者の気のゆるみを戒め、気合いを入れるために肩を打ち、師家が学人を指導する際に用いる法具のことです。長さはほぼ、70cm~1mほどで、割竹を弓形に曲げて藤を巻き漆を塗って作られるそうです。つまり、犬の名が竹篦太郎とされた時点で、仏教的視点で話が再構成されたことを示唆しています。

 では、光前寺縁起を例にとって、神話的視点と仏教的視点の両方から、この話を分析してみましょう。

 「天地鳴動(地ひびき)して怪神が現われ」、もしくは「山内鳴動(山の方で地ひびき)して、妖怪が現われ」、「両者の格闘の響き声がものすごく聞こえ」、そして「長い格闘の末、静かになり」(見付天神HP参照)と記述されています。怪神の正体は年経た狒々とされていますが、この登場の描写は、山に轟く雷鳴と落雷と考えられないでしょか?何よりも、見付天神は元々は雷神です。とすれば、見付天神の人身御供の習俗も、雷神の怒りを鎮めるための行為ということになります。雷神が怒ると山が荒れ、その結果は大雨・洪水、あるいは日照りなど天候の乱れを生みます。人身御供も、洪水等を鎮めるための人柱かもしれません。なぜならば、見付は、暴れ川天竜川流域にあるからです。

 ここに旅の僧侶もしくは修行僧(雲水)が現れ、光前寺から犬を借りてきて、雷神たる狒狒を退治するのですが、従来の人身御供という神を慰撫するという方法ではなく、仏法の力で雷神を退散させる新しい方法を実践し、そして成功するのです。(実際には、仏教に伴う治水技術の指導などが洪水を防いだのかもしれませんが。)その仏法の象徴が、天台宗光前寺の早太郎であり、仏法具の竹篦の名を有する犬なのです。ちなみに、光前寺のある信州駒ヶ根は、見付からはまさに天竜川北方上流に当たります。

 古来の日本神話をベースとする話に、後に、仏教側が布教のため仏法優位の論理を組み入れたのが竹篦太郎伝説であり、そして、その一つの応用編が光前寺縁起と読み解いてみました。もちろん、光前寺縁起の背景には、天竜川(洪水)で直接繋がる駒ヶ根と見付(磐田地方)との密接な関係があることは言うまでもありません。というわけで、村人はこれら一連の行為に感謝するとともに、光前寺に大般若経六百巻を書き写して、お礼に奉納するということになります。

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竹篦太郎(1)

 信州駒ヶ根にある天台宗のお寺・光前寺縁起は大変興味深いものです。光前寺のHPには、『霊犬早太郎の伝説』として紹介されています。遠州見付において、老狒狒が神に化けて、毎年、人身御供を強要し、村人を苦しめていたのですが、旅の僧侶が光前寺で飼われていた山犬を借り、老狒狒と戦わせ、ついには退治します。そして、その山犬の名が「早太郎」というのだそうです。これによって、人身御供の風習がなくなり、感謝した村人は、大般若経を写経して光前寺に奉納し、それが今日まで伝わる光前寺の寺宝になっているという縁起となります。

 一方、遠州見付で行われていた人身御供の風習は、見付天神(矢奈比売神社)の裸祭りとして形を変えて残っており、見付天神のHPによると、昔は泣き祭りと言ったそうです。話の流れは、光前寺縁起と同様、ある雲水の知恵で、光前寺から犬を借り受け、その犬が見付天神に潜む狒狒を噛み殺し、退治します。そこで、村人は感謝し、大般若経六百巻を書き写し、光前寺に奉納することになります。

 山犬と山猿との闘い、猿神伝説の一系譜と思われます。ところで、見付を含む磐田地方では、犬の名を「悉平太郎」と呼んでいます。違いがあるようですが、早い→風のように早い→疾風(しっぷう)→悉平、竹篦(しっぺい)と考えれば、同一と考えてよいでしょう。

 今日、地元の人々は地域の話と考えているようですが、広く、全国に分布する昔話で、南アルプスを挟んで光前寺の反対側の岐阜県、また青森、秋田、山形など東北地方にも広がっており、江戸時代には、歌舞伎『竹篦太郎怪談記』などとして上演もされています。

F171  ところで、左の写真は、縮緬(チリメン)本『日本昔噺シリーズ』(Japanese Fairy Tale Series)の第17号「竹箆太郎」(Schippeitaro)の表紙です。見るとおり、棺の中の犬の周りを怪猫達が踊っています(裸祭りの原形)。犬と猫の闘いという形になっており、光前寺縁起とは異なっています。縮緬本(第17号)の訳者ジェームス夫人も、全国各地に同様な話があり、その代表的な話の流れを紹介した旨のこと述べていますし、東北の竹篦太郎伝説では怪猫と闘う話のようですから、このような表紙もありえましょう。ただし、欧米人を対象にした縮緬本の性格からすれば、魔女や悪魔の変身した怪猫の方がより親しみがあることが推測されます。国柄でしょうね。

 先の縮緬本では、日本語の題名『竹箆太郎』、英語では“Schippeitaro”となっていますが、どのような経緯からこの題名が選ばれたのでしょうか?次回は、この題名から、物語の成立経過を推理してみます。

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花咲爺

F04a1  左は、弘文社(長谷川武次郎)の縮緬(チリメン)本で、明治十八年八月十七日印刷・同年十月一日発行の日本昔噺第四号・英語版『The Old Man Who Made The Dead Trees Blossom(花咲爺)』の表紙です。花咲爺さんといえば、英訳にもあるとおり、枯れ木に花を咲かせるところがクライマックスですから、この表紙は意外です。

 当該表紙は、欲深い爺さんが、ポチの死骸を埋めた土地に育った松の木で造った臼を、斧で割って竈で燃やそうとしているところです。まだ、灰が出来ていないので、正直爺さんが枯れ木に灰を撒く前の仕儀です。確かに非常に迫力のある絵ですが、主人公が描かれていない表紙も珍しいです。見方によっては、西欧の魔女が毒薬でも造っているような雰囲気で、外国人には理解しやすいのかもしれません。

 次ぎに紹介するのは、明治十八年八月十七日版権取得・同年十月印刷の同じ『花咲爺』の表紙です。こちらは、正直爺さんが枯れ木に灰を撒いて、桜の花を咲かせているところで、私たちが『花咲爺』からイメージする最も自然な構図です。木の下では、人々が、驚きの歓声をあげているところが描かれています。不死、長寿が暗示された目出度い作品となっています。

F04b1 ところで、同じ作品で表紙がこれほど違うのは、縮緬本の制作が、少部数の職人仕事の積み重ねで行われていることからの帰結と推測されます。したがって、絵の摺り、英文等の刷り、版ごとに適時修正や訂正、変更がなされているのです。これは、大量規格印刷ではなく、伝統的浮世絵の制作がベースになっているということです。

 さて、正直爺さんが枯れ木に花を咲かせることが出来たのは、ポチの健気な気持ちの霊験なのか、それとも正直爺さんがもともと有徳の人であったのか、考えてしまいますね。いずれにしても、正直爺さんはただ正直だけではなく、欲深か爺さんからの仕打ちを跳ね返す知恵があります。それが、禍を福となすよう導いていると思えます。

 隣人が欲深かったり、意地悪であった時、正直だけでは駄目で、それに打ち勝つ知恵が必要だというのが、実は花咲爺さんのもう一つの教訓なのかもしれません。欲深か爺さんには、知識はあったが、知恵がなかったということでしょう。善悪の分かれ目が、知恵のあるなしであるというのはおもしろい視点です。

 この縮緬本の『昔噺』のシリーズは、英訳では‘Fairy’とされています。つまり、妖精です。知恵は妖精から授かるもので、妖精が見えるような無垢な人でなければ、『花咲爺』にはなれないのかもしれません。

 それにしても、最初の表紙の方がインパクトがありますね。一種、悪の魅力でしょうか?

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瘤取

Fairy701 左は、弘文社(長谷川武次郎)の縮緬(チリメン)本で、明治十九年六月一日第一版発行・大正十年二月一日第十五版印刷・同年同月二十日発行の日本昔噺第七号・英語版『The Old Man And The Devils(瘤取)』の表紙です。サイズは150mm×100mm。表紙には、木の幹の穴に隠れるお爺さんと松明をかかげて集まってくる鬼やもののけ達が描かれています。

 話の発端は、雨風が強くなって樵仕事から帰ることができなくなったお爺さんが一夜の宿りをとっていたところ、お酒を飲み、騒ぎ、踊る鬼達を目撃し、ついその輪に交じって腰に斧を差す剽軽な踊りを見せ、鬼達を大いに喜ばせたことです。鬼達はお爺さんの踊りがまた見たいと、次ぎに来るまでお爺さんの右の頬にある瘤を預かっておくことにしたとあります。

 そして、その話を聞いた左の頬に瘤のあるお爺さんの登場で、物語は次ぎに進みます。その瘤を取ってもらいたいと山に出かけ、先のお爺さんと同様に鬼達に踊りを見せたのですが、あまりにも踊りが下手だったので、もう来なくてよいと右の頬に瘤を戻されてしまったという顛末です。両方の頬に瘤ができ、本当に小太り(?)のお爺さんになってしまったのです。

 異界の者やもののけ達を、踊りによって慰撫するということが主題になっている昔話です。鬼と見えるものも、喜ばしてあげれば、喜ばせた者に護報があり、神として振る舞うという意味で、怨霊信仰に基づいているのでしょうね。したがって、中途半端な慰撫では、祟りが発生することになります。

 踊るという行為によって、鬼神も含めた神々を慰撫できるのであれば、庶民の心情の中にある鬼やもののけなど異界の者達は、決して一面的に悪の存在ではないと考えられます。その意味で、英訳のDevil(悪魔)は正確な訳ではないですね。

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俵藤太

Fairy15  左の資料は、前回に続き、弘文社(長谷川武次郎)の縮緬(チリメン)本で、明治廿年九月廿八日版権免許の日本昔噺15号・英語版『My Lord Bag-O'-Rice (俵藤太)』です。王堂チヤンプレン(Chamberlain)著となっていますが、今日流に言えば、チェンバレン英訳ということでしょう。サイズは150mm×94mm。

 湖(琵琶湖)に住む水の精(大蛇)の願いで、山(三上山)に棲む大百足をある英雄(藤原秀郷)が弓矢で退治し、その結果、数々の宝物を手に入れ、中に尽きることのない米俵があったことから、俵藤太と呼ばれたという伝説の紹介です。藤原秀郷は実在の人物で、平将門を滅ぼした武勇の人です。

 大百足を弓矢で退治するという表現は、鉱山民俗学の視点では、百足=金属資源を、射る=鋳るという行為の暗示で、山を治めたという意味になります。鉱山開発の成功から多くの宝を得ることができるのも当然ですが、ただ一点、それがなぜ尽きることのない米俵なのかという問題は残ります。ただし、これが米ではなく、炭俵とすると、炭を利用しての酸化還元法による金属抽出という意味になり、尽きることのない金銀財宝を生み出す(炭)俵も論理一貫するのではないでしょうか?炭焼藤太の伝説です。

 鉱山開発による公害で湖が汚染され、水の精(大蛇)が助けを求めるのは近代的考えであって、当時としては無理な思考であるという意見もあるようですが、開発や炭焼きのため木々が伐採されれば、山は荒れ、結果としてやはり水は汚れます。この辺りの循環を水の精(大蛇)に代弁させているのでないしょうか。赤城神社のホームページには、「中門の前には、俵藤太が献木したと伝えられるタワラ杉が聳えている」という記述もあり、俵藤太は山を荒らさない鉱山開発に成功した人物の象徴なのかもしれません。

 ちなみに、水の精(大蛇)は砂金や砂鉄など水流を利用した金属資源採取のシンボルであるという考えもあるようです。いずれにしろ、俵(藤太)は米俵ではなく、炭俵であるという推理です。

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