Candy RoseとEverZOne・Keiとの競演

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 かつては、バラの花が一杯咲いていた庭も、毎年、雪で傷み、半数ほどが残っているという状況です。バラ好きであった妻が亡くなってから、満7年が過ぎ去った事実を象徴しているかのようです。シャンソンを歌っていた妻を偲んで、記念の音楽祭を地元飯綱町で開きたいという夢がありましたが、さらに、新型コロナの歴史的流行を考えるともう不可能かもしれません。できれば、同様に音楽活動に係わっている長男(EverZOne・KEI)の地元開催ライヴと合わせてできればとも思い描いていたのですが…・

 

 With coronaという訳で、最近、You Tubeを利用して、動画等の配信を始めました。比較的高齢者が多く参加している浮世絵講座を、非接触的方法で伝えようとの目的です。ただし、技術的に学ばなければならないことも少なくなく、それではということで、妻が残したシャンソンの歌声を配信しながら、技術習得に努めることにしました。地元での音楽祭の穴埋めにもなりますし、ちょうど良いという考えです。チャンネル名は「うきよえふるまち」なのに、シャンソンの動画・音楽配信になっているという不自然な形ですが、長い目で見て下さい。(浮世絵に関しては、100、200のネタはありますから!)

 

 その作業を続けているうちに気付いたのですが、SNSを使えば、妻(Candy Rose)と長男(EverZOne・KEI)とのコラボも可能なのではないかということです。音楽ジャンルに距離はあるのも事実です。しかし、この方法ならば、信州と北海道との物理的距離を気にすることもなく、おもしろい企画となるのではないでしょうか?ますます、浮世絵ユーチューバーからは離れてしまいますね…。

 

 さあ、どうなるでしょうか?

 

*You Tobeチャンネル:うきよえふるまち

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バラの季節がやってきた!

Dsc_201906112  またバラの季節が巡ってきました。降雪量の多い雪国では、正直、手間がかかる植物ですが、花の季節になればそれも忘れてしまいます。今年は春先の遅霜のせいで、花びらに傷みがあるようです。ラビアンローズの会を主催し、シャンソンを歌っていた亡き妻の置き土産ですので、仕方なく面倒を見ています。早いものですね、もう、7回忌です…。

Dsc_201906031  その1週間程前に息子達と豊田市にあるお墓掃除に行ってきました。最近では、お墓参りというよりは、鰻を食べに行くことが主目的になっています。鰻屋の横を走る道の向かい側に、母校の小学校があるはずなのですが、跡形もなく消えていたのには驚きました。都市再開発で道路の拡幅工事が行われ、別の場所に移転してしまったようです。全く何の面影もなく、多数の工事車両が走っているだけでした。豊田市では一番古い歴史のある小学校でした。1つ思い出が消え去りましたが、市内いたるところで道路工事などが行われており、再開発のエネルギーを多分に感じ、決して寂しいという感情はありません。かつては日本中「スクラップ アンド ビルド」の様相で、豊田市にはまだそんなエネルギーがあるんだと感心した次第です。トヨタ自動車、儲かってんな!

  田舎生活に憧れて長野市近郊に移住したのですが、高齢者(?)になった最近では、息苦しくなるほどの過去の経済発展時代がなつかしく、かつある程度は必要な要素ではないかと再認識する、この頃です。もう一度、都市生活に復帰するという選択もあっても良いのでは。車の免許を返納したら地方では生活できないし、広い庭の草取りもそろそろ限界だし。

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平成最後のお正月

 たまたま今回のお正月に、長男、次男、三男と私とで写真を撮る機会があったので、アップします。何しろ、札幌、新宿、長野と別々の場所を拠点としているので、一同集まることがなく、良い記念になったかも。

 長男はEverZOneというグループで芸能活動をしているし、次男は不動産会社の青年社長として飛躍的な成績を修めているし、三男はお土産品の営業の仕事をしています。それぞれ私の血を引いてカッコ良い男なのですが、全員、彼女なしの独身というのはどういうことでしょうか?妻が存命であれば、相当きつく詰められていたことと思いますね。

 酔っ払った勢いで「川原家勢揃い」ということで、唯一、結婚し二人の孫を連れてきてくれた長女が写真を撮ってくれています。早く、孫を連れてきてくれないと、体力的に一緒に遊ぶことができなくなっていしまいそうなのが心配です。今年も、仕事に賭ける一年となりそうです。

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わりと激しくゆっくりと

 3月14日(土)、北陸新幹線開業日、E7系に乗って長野から東京まで行ってきました。新宿シアターサンモールの、劇団イナダ組「わりと激しくゆっくりと」を観劇してきたということです。同行した末の息子は、HTB「水曜どうでしょう」チーフディレクター藤村忠寿主演ということで、ファン意識を持って楽しみにしているようなのですが…。


20150314 私の関心は、長男がKei(Ever ZOne)として同舞台に出演しているというところにありました。また同グループのHiroki(Ever ZOne)も出ているということなので、久しぶりに長男達の活躍する姿を見ようという意識です。題材は、余命1年を宣告された男と別れた妻、息子、その妻と再婚した家族を巡る人間模様です。余命1年を宣告された妻を亡くして2年目、こういう舞台も心静かに見られるようになったなあというのが、私の第一の感想です。ドキュメントではなくて、ドラマですからね。とはいえ、コミカルな演技を要求されている息子が楽しそうに演じているのを見て、悲しい場面でも笑顔を忘れないという家訓(?)が十分に生かされていると感じました。妻も笑顔で見ていたことでしょう。


201503142 「水曜どうでしょう」や大泉洋の旅について深く知らない私には、深夜バスがどうとかこうとか、観客がどっと笑うツボが判らない場面が何か所かありましたが、お客さんには愛されているんだなと強く思いました。後から末の息子に解説をしてもらいましたので、事情は理解しました。そんな私にもかかわらず、Keiと弟達も合わせて藤村さんと一緒に写真を撮っていただきました。ちなみに、藤村さんは休憩室でカレーライスを食べていましたよ!

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Ever ZOneとCandy Rose

 新年最初のブログです。私の小さな夢を書く事にします。

Candy 2010年4月23日、飯綱町・町民会館大ホールで、Candy Rose「映画音楽とシャンソンの夕べ」と題するチャリティーコンサートが行われました。当日は、会場入口でシャクナゲの苗を200株ほど販売し、東南アジアに学校を建設する資金として寄付するという活動もありました。歌の方は、もちろん、妻がCandy Roseとして担当し、花の方は私が販売するという分業体制です。会場にやってくる人々に「花屋さん」と声をかけられながら、私は会場外で僅かに漏れてくる妻の声を聞いていました。過去世で同じような体験をしたかもしれないという、変なデジャブ(既視感)を持ったことを記憶しています。

 Candy Roseのチケットは200枚を越えて売れていたようですし、シャクナゲの苗も200鉢全て完売したので、多くの人に参加協力していただいたことになります。故郷で、シャンソン歌手として歌い上げたことは、妻にとっても良い思い出になったことでしょう。確か、20曲程歌っていました。

 さて、私には小さな夢があると言ったのは、妻を偲ぶライブを行いたいというものです。それも、長男(KEI)が参加するダンス・ボーカルグループのEver ZOneに、長男からすれば、亡き母に捧げる、かつ故郷に錦を飾るライブという形でできたら最高だと思っています。Candy Roseのファンクラブの人達と連絡がとれる内だとなお良いですね。妻は映像での参加になってしまうでしょうが、長男達グループが歌とダンスを妻に捧げる形式で、共演する姿を見てみたいものです。

 今年の3月、「劇団イナダ組」の東京公演で、メイバー・HIROKIと一緒に東京公演に参加する予定と聞いているので、ちょっと可能性を探ってみようかな…。

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雉も鳴かずば…

Dscn1025 今年は積雪の時期が早く、12月だというのに、除雪でもう腰を痛めてしまいました。そんな中、山々が雪に覆われ、草木の実もすっかり雪の下になってしまったのでしょう、3羽の雉が庭の黄金ヒバの根元に訪れました。除雪の手を休め、慌ててカメラを取りに戻り、なるべく近づいて撮影したのですが、ひとまず、1羽の姿はなんとか捉えたのではないでしょうか。落ちた木槿(むくげ)や夏椿の実を啄んで、しばらく、滞在していました。意外に早い積雪で、雉も餌に困っているに違いありません。

 このブログでは、過去、月の輪熊でさえ話題に登っていますから、雉くらいではそれほど驚くことではありませんか?軒下には、どうやら狸が巣を造っていた形跡がありますし、庭木の伐採の際には、背後で狐が視線を送っている程の自然環境の良いところですからね。それにしても、動物達がどんどん山を降りてくる感があります。

 よく人には、「飯綱山の麓で一人仙人暮らしをしています」と冗談で言っているのですが、本当に仙人のような生活環境になってしまうかもしれません。それもいいか。 (>_<)

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妻は女優

 余命が1年でも、10年でも、いつもと変わりなく最後まで淡々と生き抜くというのが、私達夫婦の考えでした。したがって、妻は病気の再発、再入院を告げられた日、「今だけは泣かせて」と言ってしばらく泣いていましたが、その後、亡くなるまで涙を見せることはありませんでした。というよりは、とぼけた発言、天然発言を繰り返し、いつもと同じように自然と周りを笑わせて、それで良しとしているようでした。

Dscn0425 とくに私が顔を見せると、突然元気な妻に変身し、担当の看護士を相当驚かせていました。妻に言わせると、痛みや辛さを忘れさせるスイッチがあって、それをいつ押すかの問題なんだけどねとのこと。ライヴで歌っている時、そして家族(なかでも私)と会う時にそのスイッチが入るそうです。それは若い頃からのことなので、私にはよく判っていました。

 ところが、看護や療養に係わっている若い人は、妻が私の前で無理に元気を装っていると見ていたようです。しかも、私がその深刻な病状の進行に気付いてないと考えているようでした。随分と甘く見られたもんだ…。病室から出ようとすると、呼び止められ、「どんな状況かわかっていますか?」とたしなめるように質すのです。家族や友人を集め、涙を流しながら、悲しい顔をして見守れとでも言うのでしょうか。長年の付き合いで、妻がいつ亡くなるかはすでに私には判っていました。それは、まだ先のことです。「じゃあ、また、明日来るよ」と明るく声をかけて帰えるのが、今日の私達の正解なのです。

 医師と看護士の少なからずの人達は、医療上の各種数値を確認することに手一杯で、目の前の患者さんの状態を自分の感覚で判断する能力に著しく欠けています。医学的にはかなり悪い数字を示しながらも、妻は何年も生活してきました。元々、マニュアルからは外れて生きているのです。そんな妻が、自分で色々と判断も着かないようになり、「今、私は何をしたらいいの」と質問するようになりました。「寝てればいいよ」、「窓の外を見てればいいよ」などと答えると、安心したように「はい」と返事をします。そして、最後の私の答えは決まっていました。「もう、逝ってもいいよ」。

 結局、担当医が推測していた期日ではなく、私が子供たちにそれとなく明かしていたその日に妻は先立ちました。夫婦で長い時間をかけて築いてきた生き方は、病室でも不変っですし、同時に夫婦の数だけあります。医療関係者が見ているのは、入院しているその一時であって、夫婦の人生の断片にしか過ぎないのです。したがって、彼らにできることは、他人の生活に介入し、マニュアルどおりに整えることではなくて、夫婦や家族を暖かく見守ることのはずです。

 12月3日、生きていれば60回目の妻の誕生日を、末の息子とケーキを食べながら、そしてバラエティー番組を見て大笑いをしながら過ごしました。これが、私達家族のやり方です。

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クラーク博士

 前回のブログでいきなり「都ぞ弥生」を話題に採り上げたのは、先の地震後、押し入れを片付けていて、大学時代の写真を整理したアルバムを見つけたからです。40年ほど前のものになります。当時は、北大構内に観光バスが直接乗り入れ、クラーク像やポプラ並木に多くの観光客が訪れていた時代でした。中央ローンの小川の水も自然に湧いていました。

Img 建学の父・クラーク博士の「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という言葉に魅了されて、本州より北海道にやって来た私は、博士の言葉を北海道的大自然のごとく、悠々広大な気持ちで生きていくこと程度の感覚的理解でいました。その結果の記念写真が、ここに掲載するものです。親しすぎるだろう、と自分でも突っ込みたくなるようなポーズです。たぶん、大学2年、10代最後の頃だと思うのですが、青年というよりは少年ですね。しかも、サイケ調なファッションですし…。

 何の悩みもなく、また何も考えてないように見えていますが、北大キャンパスの環境は確実に私の精神に深い影響を与えていたようです。「大志」とは何だろうという問は、常々、私の頭に浮かんできます。寮歌にも「貴(たふ)とき野心の訓(をし)へ」という言葉が出てきます。今日、私は、「自由、平等、正義を実現するための志し」という理解に至っています。ここに到達するまでには、数十年の人生を賭けてきたような気がします。なお、イスラム国へ出国しようとした北大生には、もう少し時間をかけて、クラーク精神の根幹にある「大志」について考えてくれることを願っています。

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 ところで、クラーク博士の前でこの写真を撮ってくれた少女(ひと)は、その後、どんな人生を送ったのだろうかと懐かしく思います。青春時代、二人が共有した北大キャンパスの環境は、たぶん、彼女にも多くの無形財産を与えてくれたはずですが…。

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都ぞ弥生

 「都ぞ弥生」は、北海道大学恵迪寮の代表的寮歌です。その一番に、「星影冴かに光れる北を 人の世の清き国ぞとあこがれぬ」という歌詞があります。明治45年に作歌した横山芳介が、首都東京から北海道札幌を思って作ったものと言われています。では、どうして横山は、北国札幌に「清き国」があると信じたのでしょうか。クラーク博士が北大の前身・札幌農学校に伝えたピューリタニズムの精神を、有島武郎等が本州の若者達に説いたという事実経過はあると思いますが、なぜ、その言葉を信じることができたのでしょか?

Views_edo_017 私が講師を務める浮世絵講座では、つい先日まで、歌川広重の『名所江戸百景』を題材にしていました。江戸っ子の地理からすると、西に富士山、北(北東)に筑波山というのが、江戸のランドマークです。広重の作品を見ると、その筑波山は左右の峰が突き出た双耳峰として描かれています。じつは、この双耳峰というのが、釈迦が説法をする霊鷲山を意味する特徴的容姿なのです。したがって、広重作品の構造として、北に仏国土があり、その麓に江戸(穢土)が広がるという生活空間が読み解けてきます。東京出身の横山がこのような地理感覚の中で育ったとすれば、仏の国か、神の国かの違いはあっても、北方に「清き国」があると信じるのは自然なことと思われます。

 さらにくわえるならば、北斎によって熱烈に信仰されていたことでも有名な柳島の妙見堂には、北辰妙見大菩薩(北極星)を信仰し、北方の彼方に理想世界を希求する思想がありました。たとえば、広重の同『名所江戸百景』「柳しま」では、妙見堂の背後に、本来ならば見えない筑波山が描き込まれていて、両者相まって、庶民の北方への憧れをやはり表現しています。この点からも、横山の青雲の志しの背後には、北方に理想世界を思惟する江戸っ子の世界観があったことが透けてきます。

 寮歌の二番は、札幌の大地に立った横山の言葉です。そこには、「さやめく甍に久遠の光り おごそかに北極星を仰ぐ哉」という締めの言葉があります。クラーク博士の精神を受け継ぐ素養は、すでに江戸時代から日本人の心のなかにあったということです。

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惺大(せいた)君

Dscn0998 地震のあった前日、娘とその長男・惺大(せいた)君に会ってきました。思わぬ天変で、写真のアップが遅くなってしまいました。もちろん、孫は可愛いですが、その可愛い孫を抱く娘の姿を写真に撮りたくて、会いに行ったのが本音です。これは、妻との約束ですからね。

 娘は少し痩せたようです。しかし、母は強しで、話す言葉は元気そうです。自分の娘なのに、何か母性みたいなものを感じ、神々しい印象を受け止ました。母乳もよく出ているそうで、これは母親譲りでしょうね。惺大君は、最初の頃に比べて、だんだん娘に似てきました。言うまでもなく、私も抱きまくり、触りまくってきましたよ。4人の子供の父親ですから、抱くのはお手のものですと言いたいところですが、こんなに重かったかな?大分鈍ったかもしれません。

 我が家の風来坊の長男(圭一朗)が参加する、ダンス・ボーカル(若干お笑い?)ユニットのエバーゾーンも、平均年齢が上がってきているので、どうだい、エバーゾーン・ジュニアっていうのは…。代々、イケメンな家系だし。(^O^)

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