Web信州競売情報

 このブログは、『市民の浮世絵美術館』と『Web信州競売情報』というホームページを基礎としながら、そこには書けない自由な発言を載せる考えで始めましたが、その一方の柱であった『Web信州競売情報』を本年中に終了する予定となりましたので、報告を兼ねて、その経緯を少しお話しいたします。

 裁判所の競売情報を提供するサービスは、近時、裁判所自身の手によってかなり完備してきています。本来、これは、裁判所の仕事であったのですが、長期にわたりかなり不十分な体制にありました。おそらく、予算的な問題が一番の理由と思われます。それが、裁判員制度の導入とも係わっているのか、司法に十分な予算が施されたと見えます。インターネットを利用しての競売情報提供サービスは、一気に充実しました。したがって、かっては、その隙間を埋めていた、そして多くの人に少なからず有用な情報を提供してきた、先のホームページもその役割を終えたということなのです。

 正直言って、最近の競売情報には、おもしろい発見というものはあまりなく、裁判所の不動産競売は完全に業務化されてしまったようです。その分、競売は危ういという感覚はかなり払拭されたようです。これも、市民社会に情報が公開されたことの結果として評価しなければならないことなのでしょう。

 『浮世絵と田舎暮らし』というブログの題名も、これで良いのかもう一度考え直してみましたが、浮世絵を楽しみながら田舎生活を楽しんでいる日常には変わりないので、このまま続けさせていただくことにいたします。多少、浮世絵に話題が集中するかもしれませんが、本年もよろしくお願い申しあげます。

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シカ注意!

 十月上旬の頃、息子が友人と車で自宅に帰って来る途中、町の病院の前で二頭のシカに出会ったと報告してくれました。咄嗟にヤギの間違えでないのかと返事をしたのですが、「あの角は、絶対にシカだ」と言っておりました。昨年は、なにぶんにも自宅の隣に熊が出没したので、それもあるだろうなと思いました。

 新潟(上越)から長野まで北国街道という有名な街道があります。かって、上杉謙信が川中島まで移動した街道ですが、その長野市に入る手前(飯綱町)に、「熊注意!」という看板が出ています。昨年のことがあるので、この看板には、とくに驚かなくなりました。慣れとは恐ろしいものですね。

 さて、それから一週間くらい経った頃、仕事で上信越自動車道を北から南に走っていました。そして、長野インター近くを走行していたところ、なんと高速道路の電光掲示板に「シカ注意」と表示されているのです。こんな高架上の道路にシカが走っているのでしょうか?その時確信したのですが、やはり、息子が見たシカは本物のようです。北海道には熊しか走っていない高速道路があるという話ですが、長野県では、シカが走っているらしいです。

 伊那、駒ヶ根、飯田あたりの長野県南部まで行くと、サルの看板がでていますし、タヌキ、キツネは当たり前に見かけますので、信州の高速道路は、野生王国あるいはサファリパーク内を走っている道路と同じようなものです。そして、数日前、今度はイノシシ二頭が長野市北部の市内を疾走していたというニュースが報道されました。信州は、動物王国だ!

 高速道路料金の値下げが話題になっていますが、クマ、シカ、イノシシ、サル、タヌキ、キツネ、ウサギなど信州の野生動物一行が、東京など都市部に徒党を組んで走っていく、そんな姿を想像すると滑稽です。しかも、意外にも、獣道の整備を陳情に行っているのかもしれません…。

 今月は、生活の中で、野生動物の存在を身近に感じる月でした。

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満開のバラ

Rose01  わが家の庭は、ちょうどバラの花々が満開の状況です。周囲は田園風景で、農家の建ち並ぶ一区画に土地があるため、表からの見栄えは和風ですが、連れあいの趣味でイングリッシュガーデン風(?)に仕立て直されました。「風」というのは、もともとは和風であった庭ゆえ、ツツジ、サツキ、アヤメ、あるいはトクサ、フキなどが、変な場所に取り残されているからです。

 時々、声を掛けてくれる近所のばーちゃんが、先日、庭の奥までやってきて、「町一番の庭園だ!」と驚いていました。それはそうでしょう、藁を持参してエンドウ豆の仕立て方を教えるために来たところ、まくら木を利用したキッチンガーデンに案内されたのですから。「他のもんに宣伝しなければ!」と言い残して帰って行きました。ちなみに、藁を細工するときは、先を水に濡らすと良いとのアドバイスでした。

 入植(?)した当初は、冬の降雪を考えて、雪に押しつぶされない木々、花々を選んでいましたが、最近はそれほど気にすることなく、庭に植えています。また、伐採した木や枯れ木を燃やすのを趣味としていました。しかし、残念なのは、二酸化炭素の排出との関連で原則許されなくなったことです。木々が固定した二酸化炭素を再び放出するだけなので、影響はないはずですけれども。田舎に育った子供達が、木々の燃やし方を知らないなんて全くおかしいですよね。

 当初植えた木々が大きくなって、とてものこぎりでは間に合わなくなったので、年内にチェーンソーを手に入れて、思い切り、木々の手入れをする予定です。田舎暮らしの特権として、末の息子に、使い方を教えようと考えています。単車で飛ばすのと同じくらい、爽快なはずです。

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カマキリの予言

 最近、ブログの更新が止まっていますが、一月中に浮世絵の里親を求めるギャラリー活動を行った後、ほっとして体調を崩しました。始めてから第九回目を迎える恒例の活動で、多くの方に期待していただいていますので、いつも無理してしまいます。

 さて、昨年、カマキリの卵が冬が近づくにつれて、低い位置で発見されるとブログに書きましたが、今のところ、降雪量は少なく、どうやら、カマキリの予言通りになりそうです。屋根の雪下ろしも一度もしていません。

 屋根の雪が積もっているのを利用して、二階の屋根の高さを越えてしまったケヤキの木を伐採しようと考えています。枝が落ちても、屋根を傷めない工夫です。住み始めた当初、一階の屋根の高さにも満たなかったケヤキですが、今では、三倍ほどの高さです。高所作業車を使って伐採します。軒下に雪が溜まり落ちないので、屋根さんに勧められました。

 冬の新月の時に切った木は、乾燥していて良材になると言いますので、使うわけではありませんが、木の生長リズムを考えるとちょうど良い時期ではないでしょうか。新月伐採と言うようです。ついでに、庭のプルーンも剪定してみようかな。リンゴ農家の方も、この冬の中、枝の剪定をしています。木々の水(養分)が上がっていないので、ダメージも少ないのでしょうね。

 自然を見ていると、成長の前には、伐採や剪定が必要なことがよくわかります。というわけで、体を休めながら、人生の枝葉の剪定をしているところです。happy01

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カマキリも迷う

Yellow 我が庭では、今ちょうど黄色のコスモスの花がいい具合に咲いています。旧暦九月(ながつき)に当たり、菊月ですが、秋桜が咲いているというわけです。ちなみに、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは、九月十日とされていますから、それが事実ならば、今頃の季節の中で行われたということになります。

 ところで、今年の冬の降雪量はどうなりますかね。最近、カマキリの卵をよく見かけます。初めの内は、随分と高い所に産み付けられたものをよく発見していましたので、これは積雪が多いのかなと思っていました。ところが、それから二週間ほどしたこの頃は、逆に地上に近いところに見つけられます。

 実は、一昨年の大雪の年、カマキリの卵は決して高いところに産み付けられてはいなかったのですが、意外にも降雪が深く、多くの卵が死滅したのではないかと考えているのです。カマキリの立場に身を置けば、同じ過ちは犯したくないと当然思います(?)。したがって、異常気象に対応して、高所だけでは不安なので、押さえで低いところにも産み付けられているのではないでしょうか。カマキリも大変だ。

 異常に暑い夏の影響で、初めの内は虫の活動が活発で高いところまで登って産み付けていたのが、今度は急に気温が下がって、地上に近い部分に慌てて産み付けたという分析もできますが。例年通り、いつもと同じように済ませようという人間の方が横着なのかもしれません。

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モロコシ畑の熊さん

 昨日の朝、隣の畑のばあちゃんがトウモロコシを持ってきてくれました。有難いものです、収穫したてをいただけるなんて!ところが、夕方、再び、同じばあちゃんがトウモロコシを抱えて、我が家の玄関にやってきました。これは、ばあちゃん、ぼけて、朝くれたことを忘れ、また持ってきてくれたのだと思い、「朝、いただいたばかりなのに」と声をかけました。

 ところが「今朝、熊が出て、トウモロコシを食べられてしまったので、早めに収穫するから、あげるよ」という返事。私の家の前の通りは、中村通りといって、小さいながら部落の中心の道です。ここまで、熊がでるなんて、ここに引っ越してきて以来の事件です。足跡から推測すると、道沿いに山から来て、畑に入ってトウモロコシを食べていったようで、おいしい部分だけをつまんでいったらしいです。その畑からさらに下に住む長老が、朝表に出たところ熊に遭遇し、結局、熊は川沿いに山に戻っていたと聞いています。

 というわけで、隣の畑には、熊の仕掛がかけられています。もし、罠に引っかかったら、写真をアップしたいと思いますが、ばあちゃんの話だと、熊は頭が良いので、たぶん、もう同じ場所には来ないだろうとのこと。「朝や晩には、気をつけな!」と言い残して、ばあちゃんは帰っていきました。

 最近、庭で草取りをしていたところ、蜂にさされ、家内に「田舎の良さだよ」とうそぶいていましたが、隣の畑に熊が出ては田舎の良さだけでは済まされないですね。例年、熊はもう少し山側で出ていましたが、ついに里まで出没するようになりました。田舎では高齢化が進み、たんぼ道を歩いているのはお年寄りばかりで、冗談で「野生のじいちゃんだ、ばあちゃんだ」と言っていましたが、そのうち、野生の動物ばかりになってしまうかもしれません。

 飯綱町より、モロコシ畑の熊さんのお話でした。(?)

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加賀屋敷

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 浮世絵伝統の鳥瞰的視点と西洋的遠近法を調和させながら、本郷通の加賀屋敷を描く、広重の作品です。実は、この西が中山道(木曾街道)の起点・板橋の宿となります。『絵本江戸土産第五編』に収められる詞書きには、「本郷と唱う所広しといえどもこの通りを以て第一とす」とあります。

 さて、加賀藩の家中は、板橋から中山道を通り、碓氷を越え、信濃の追分から北国街道へ北に道をとり、善光寺を通って金沢を目指すわけですが、その江戸と金沢の丁度中間が牟礼宿にあたります。現在の長野県上水内郡飯綱町にあたります。

 飯綱町に生活する私も、視点がどうしても東京に向かってしまいますが、冷静に考えてみれば、富山・金沢など西(日本海)側からの文化の流れにも注意が必要です。歴史的には、後者の流れが主流なのかもしれませんが…。長野新幹線がどうしても金沢まで行かなければならないのは、前田侯の歴史を超えた思いなのかもしれません。

 子供の頃、東京大学の赤門の前で、祖父か父いずれか記憶が曖昧ですが、先祖に係わる建物だぞと話していたのを覚えています。加賀支藩所属の武士であったそうで、後に、一族郎党とともに北海道開拓に参加しました。映画『北の零年』そのものです。そんな先祖も持つ私達家族がこの飯綱町にいるのも、なにか因縁を感じます。

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浮世絵になる風景(3)

Iizuna  3月3日(土)、私が初めて地域授業で「浮世絵講座」を担当した生徒達が高校を卒業していきました。高校は「五山が丘」と呼ばれる立地にあり、斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱の各山々が展望できる、まことに風光明媚なところです。たぶん、地元を離れ、都会の喧噪の中で暮らして、ようやく、自分たちが美しいふるさとで生活していたことに気付くのでしょう。

 その時頭に思い浮かぶ風景を、広重の風景画のごとく、浮世絵タッチになつかしく思い描いてくれれば、講座の役目は一応成功したという考えです。東海道五十三次など、広重の風景は思い出の中の風景を描いていることがしばしばで、したがって、若い人達が浮世絵の風景を理解するには、「思い出体験」が必要であると感じています。

 現実の風景と思い出の中の風景とを調和させる作業が、浮世絵や日本の伝統的文化に立脚した「景観保護」となっていくはずです。こんな、希有壮大なことを考えながら浮世絵講座をしていますが、その成果がでるのはかなり先になりそうです。

 卒業生はもちろん自覚しているとは思いますが、浮世絵講座だけではなく、受験優先の高校では決して学べないユニークな「地域授業」を展開している母校を誇りにしてくださいね。卒業、おめでとう!!

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浮世絵になる風景(2)

Miyage52Miyage51 左の作品は、歌川広重の『絵本江戸土産(第五編)』の「根岸の里」風景です。手前の川岸では、女性を含めた三人が野菜を洗っているようですし、子供と何かやり取りしています。向こう岸には、杖を突いた老人と従者が歩いています。

 広重が描いた、この「生活」景は、実は、とうに根岸にはないのかもしれませんが、私が信州にやってきた頃には、わが家の周りの現実の風景でした。家の隣を流れる堰には、蛍が飛び回り、玄関の靴の中には、よく沢蟹が潜んでいたものでした。今では、護岸工事は完成し、川は直線に一気に流れ、堰には蓋がされています。

 さすがに町でも、田舎の風景が美しい景観に値すると気が付き始めましたが、東京からわが町に生活の居を移したある高名な方は、その景観の中に、サルビアの花畑を作ってはどうかという提言をしています。もちろん、スキー場のゲレンデに限っての話ではありますが、それにすぐに飛びついてしまいそうな人達がわが町には決して少なくはありません。風景を風景として独立に考えては、良い結果に結びつかないと思うのですが…

 また、中間山間地の補助金事業の一環で、いままでほとんど栽培されてこなかった花や植物をいきなり道路脇に植えるのも、もう一つ考えが必要です。生活から離れた事業は、最初の思いや資金がなくなった途端に中断するものです。

 広重の描く風景は、「生活」景であるという指摘は、実に重要なのです。

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浮世絵になる風景(1)

 自宅近くのコンビニでジュースを買おうと思いレジに近づいたところ、レジ係の女の子が「あっ」という顔をして、「浮世絵の先生!」と声を掛けてくれました。正直言って、普段着の気の抜けた格好でしたので、少々、恥ずかしかったのですが、彼女が「浮世絵」という言葉を使ってくれたことは本当にうれしかったです。
 実は地元の高校において地域授業というものがあり、私が地域講師として浮世絵を題材に『絵になる風景』の話をしたのですが、その時の高校一年生の女子であったようです。授業は短い時間でしたから、深い話はともかく諦めて、歌川広重、浮世絵、景観保護の三つの言葉さえ覚えれいてくれればという思いで行いました。どうやら、その内の一つは記憶に残ったようです。
 広重の風景画を材料に、浮世絵になる風景を地域の中に見つけようとの講座構成のため、私もデジタルカメラを持って地域内を走り回ったのですが、生徒の受けも良く、これは、なかなかおもしろい授業形態になるのではと手応えを感じています。その成果は、また、ブログあるいはHP上で改めてご報告します。
 ところで、三クラス120名ほどの生徒に話をしましたから、どこかで、また生徒に見つけられることもありそうです。そこで、今後は、『役者絵になる姿』をして外出しなければと気を引き締めています。(∩.∩)
 

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