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91 神田明神曙之景

安政4年9月(1857)改印
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 「神田明神」は、初めは神田橋御門内柴崎村にあった後、江戸城の開発に促され、江戸城鬼門の駿河台へ、そして最終的には元和2(1616)年、神田川の開削工事によって湯島台地に移転されました(『江戸名所圖會』巻之五、『新訂江戸名所図会5』p17参照)。『絵本江戸土産』五編の図版「神田明神の社」の書き入れには、「聖堂の北に在り 聖武帝の天平二年 大巳貴命(おおなむちのみこと)を鎮座す 後 平親王将門の霊を合せ祀るといひ伝ふ 祭礼隔年九月十五日 江都の大祭(めいまつ)り山王と当社なり 境内高くして石階あり 見渡せば下谷 浅草いうに及ばず 晴天には芝浦をも見する古今の遠景あり」と記されています。近在する湯島天満宮(13「湯島天神坂上眺望」)と同様、高台にあるため周辺には茶店が並び、眼下に広がる江戸市中の眺望を楽しむことができ、観光名所としては、愛宕権現社(81「芝愛宕山」)と共通する見晴らしの良い場所です。また、その例祭は神田祭と称され、山王権現社の山王祭(25「糀町一丁目山王祭ねり込」)とともに天下祭りとして江戸の人々に深く親しまれてきました。

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 神田祭は山王祭と隔年で行われる決まりなので、本年(巳)の9月15日がその祭礼に当たります。ということは、本作品の版行動機は、この神田祭の祭礼にあると理解されます。しかしながら、本作品が画題としているのは、9月の神田祭の様子ではなく、正月の若水汲みの儀式が終わって後、画中左より、神職、巫女、仕丁が初日の出を遥拝する風景と見えます。また注意すべきは、作品の中央に立つ1本の木によってその朝日の昇る辺りが隠されていることです。従前の広重作品の読み解きからすれば(76「佃しま住吉の祭」参照)、ここの部分に何か広重の含意があるのかどうかが気になります。

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 『武江年表(安政四年)』(『定本武江年表下』p95)の9月15日の条に、「神輿(みこし)・車(だ)楽(し)等、御城内へ入る。附祭踊伎(おどり)・邌物(ねりもの)は出さず(御雇大神楽・こま廻しも不出。婦女の警固、一切なし。十六日、礼参り。雨にて淋し)」と記されていて、この時の祭が、安政地震やその翌年の台風の被害によって、まだ十分には往時の壮観さを取り戻していないことが分かります。そこで、広重は神田祭自体を画題とせず、朝日を遙拝する情景に切り替え、かっての盛況な神田祭への回帰がこれより始まるという視点で江戸百作品を描き上げたと推測できます。その意味では、新たな時代への期待を込めた作品と言えましょう。反面、江戸市中の景気回復はまだ半ばとの状況が読めてきます。なお、大巳貴命(おおなむちのみこと)は、出雲の神・大国主命であり、縁結びの神として有名ですが、出雲の国づくりをした地の神でもあることを考えると、本作品は、国土の創造、江戸の震災からの復興を願ったものと読み解けるのではないでしょうか。諏訪の御柱を見ている立場からすると、日神が中央の木を依代にして神田明神の社に降臨してくる神々しい雰囲気が感じられます。朝日の紅の一文字ぼかし、境内の影と日の対比をぼかしによって表現する技法、また建物の紅や床机の黄色の配色の妙など、摺師の技によって支えら作品です。

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