« 43 永代橋佃しま | トップページ | 45 蒲田の梅園 »

44 王子音無川堰埭(えんたい)世俗大瀧ト唱

安政4年2月(1857)改印
Meishoedo100_44
 上野の山から北西に続く台地は、諏訪の台、道灌山、飛鳥山と続き、石神井川に分断され峡谷を成しています。王子権現の麓の辺りでは、この石神井川を音無川と呼び、さらに東流して隅田川に流れ込みます。『絵本江戸土産』四編の図版「音無川の堰 世俗大滝と唱」が江戸百とほぼ同じ構図で、書き入れには、「金輪寺(きんりんじ)の下の堰より落るを大滝といふ 是より水上(みなかみ)所々(しよしよ)に巌ありて 水これが為に鼕々(とうとう)たり 然るに井堰の上は水平らかにして更に聲なし 因て音無の名を負へりとぞ」とあります。王子権現社の別当金輪寺をランドマークとする名所紹介で、実際、江戸土産作品より江戸百作品の方が明確に金輪寺の堂宇の屋根を「大瀧」の後方に描いています。また、先行作品が夏であったものを桜咲く春に変えたことから、音無川(石神井川)入る人々の意味が炎暑を避けた水浴びから、宗教的な水垢離と考えなければならないことになりました。

Map44115
 本作品背後の山並みは、DVD『江戸明治東京重地図・滝野川池袋』と対照すると、飛鳥山というよりは金輪寺敷地内の丘と考えた方が自然です。

44edomiyage
 江戸百作品の版行動機を考えてみると、9「王子瀧の川」、14「飛鳥山北の眺望」、16「千駄木團子坂花屋敷」、20「日暮里諏訪の臺」等が、安政3年3月13日の将軍徳川家定の御成りコースから選定されていたのと同様の理由があったものと推測されます。本作品の改印1ヶ月前の1月21日に将軍の王子筋への御成り(半的上覧)があり(『藤岡屋日記』第七巻、p433)、王子権現の別当金輪寺を御膳所としています。とすると、大滝の背後に描かれた金輪寺は、その御成りに反応して版行されたことの記号と考えられます。ただし、本作品の季節のズレからも分かるように、将軍の御成りを直接広報するのではなく、その話題性から王子や飛鳥山一帯の春の行楽を先取り広告とする意図と思われます。音無川の左岸上に茶屋が見えており、これこそ飛鳥山麓一帯に広がる茶屋を暗示しているのかもしれません。なお、正月改印の41「高田姿見のはし俤の橋砂利場」と2月改印の49「高田の馬場」は、御成りの帰りのコースに関連する作品です。

|

« 43 永代橋佃しま | トップページ | 45 蒲田の梅園 »

名所江戸百景」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 43 永代橋佃しま | トップページ | 45 蒲田の梅園 »