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63 目黒太鼓橋夕陽の岡

安政4年4月(1857)改印
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 DVD『江戸明治東京重ね地図・上中目黒』を参照すると、目黒川崖線の東側の永峯町より川下に向かうと急坂の「行人坂(ぎようにんざか)」に出ます。坂の中腹にあった「大円寺」を創建した行者(行人)に因んだ名前です。さらに下ると、目黒川に架かる石橋があって、その姿が太鼓の胴に似ていることから「太鼓橋」と呼ばれています。「夕陽の岡」は、本作品左側背後に見える急勾配の台地で、「明王院」の紅葉に当たる夕日が大変に美しいことからの命名です。太鼓橋を右手に進むと、「目黒不動堂」(泰叡山滝泉寺)の表参道に至ります。本作品は、目黒川上流を前景にする構図です。『絵本江戸土産』7編の図版「其三同太鼓橋夕日の岡」には、「江都にこの名の聞こえたるは 亀戸菅廟(かめどかんびよう)の社前にありて筑紫宰府を摸(うつ)せりとか 爰は それとは縡変(ことかわ)り 石橋(せききよう)にして他に異なる ただ 幽邃(ゆうすい)の地にありて普く人の知らざるは 実に工人の遺憾とせんか」と書き入れられています。

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 江戸百作品では見落としがちですが、江戸土産作品を見ると太鼓橋の右詰めに一軒の建物があることに気付きます。『江戸名所圖會』巻之三の図版「太鼓𣘺」(『新訂江戸名所図会3』p112~p113)によれば、そこには「しるこ餅」を提供する「正月屋」という店があったことが分かります。本作品が雪景色として描かれているのは、この正月の温かいしるこ餅という宣伝効果を考慮してでのことではないでしょうか(118「びくにはし雪中」参照)。広重『冨士三十六景』「東都目黒夕日か岡」において、明王院の紅葉が描かれているのとは対照的です。

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 江戸百における名所には、風光の美しさだけではなく、茶店、料亭など地域の有名店がさりげなく選定されていることが少なくなく、この営業的配慮は、絵師というより版元に起因するものではないかと思われます。なお、安政4年4月改印の一連の目黒作品として、目黒不動尊の開帳とその近郊の観光情報を提供する範疇に属します。

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