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42 真間の紅葉手古那の社継はし

安政4年正月(1857)改印
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 41「高田姿見のはし俤の橋砂利場」が、突き詰めれば「大鏡山南蔵院」を巡る景色であったと同様、本作品は、下総国真間(現在の千葉県市川市)に所在する「真間山弘法寺」を巡る名所要素を1枚の絵に仕立てた上げたものと考えられます。『絵本江戸土産初編』「真間の継橋手子名社 真間の紅楓」も「真間の継橋 手児奈の社 この辺古跡種々あり 秋は紅楓に名高くて 都下の騒人ここに競ふ」と記し、種々の古跡の地であることを述べています。『江戸名所圖會』巻之七の図版「真間弘法寺」(『新訂江戸名所図会6』p346~p348)に、「手古那の社」、「ままの継橋」を見ることができます。「真間の紅楓」については、同書(『新訂江戸名所図会6』p349)に、「楓の樹(釈迦堂の前にあり。いまは古株となりて、その形を存するのみ。むかしは、わたり四、五丈にあまりしとなり。いはゆる真間の楓と称するものこれなり)」とあります。

 『江戸近郊全圖・部分図』
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 江戸百作品を見ると、近景拡大の画法を応用して、経年酸化で黒くなっていますが、「真間の紅葉」に相当する、二股の幹の間から眺望する構図です。「手古那の社」は、幹の間中央左に見える鳥居の辺りで、万葉の昔、この真間の地に住んでいた伝説上の美人手古那の墓の跡です。多くの男子に言い寄られ煩悶して身を投げたと伝わります。山辺赤人や高橋虫麻呂の追悼歌があります。「継はし」は、手古那の社の後方右に見える橋で、弘法寺の大門石段の下、南の小川に架しています。かつては真間の入江と言われていた所です。いずれの場所も、万葉の時代からの歌枕の地であるという文化的重みから、「江戸」の名所シリーズへと選定されたのでしょう。

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 制作の動機は、弘法寺への参詣や真間の古跡への行楽を誘うものですが、安政4年正月改印の5点の作品は、38「霞かせき」の作品を中心として東西南北から構成され、これは江戸百が出版された安政3年2月改印作品と同じ構造で、明らかにシリーズの再出発を宣言するものです。なお、遠景の山々はその形から筑波山と日光連山と判断されますが、南面する弘法寺とは真逆に位置します。故に、すやり霞によって挿入したことを示しています(「広重あるある」)。ちなみに、「真間(まま)」には崖という意味があり、この辺りの地形に由来し、「まま」に「継」という漢字を当てると、継橋(つぎはし)となります。

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