« 81 芝愛宕山 | トップページ | 83 深川三十三間堂 »

82 月の岬

安政4年8月(1857)改印
Meishoedo100_82
 『絵本江戸土産』二編の図版「同所(高輪)月の岬」の書き入れによれば、「この所 北は山 東南は海面にして 万里の波濤眸(まなじり)をさへぎる 実にや中秋の月 この所の眺めを最第一とす 月の岬の名も空しからず」とあって、江戸土産作品中には高輪の「八ツ山」が描かれています。したがって、広重が想定する「月の岬」は、月に浮かぶ八ツ山を挟む芝浦の海岸線のシルエットではないかと思われます。先に触れた11「品川すさき」と合わせて考えれば、江戸百作品に写される妓楼は、同作品の左隅に描かれていた、海鼠壁で有名な「土蔵相模」かもしれません。

 DVD『江戸明治東京重ね地図・三田高輪』
Map8280
 障子には遊女(飯盛女)の影が映り、奥には三味線を置いた芸者が見えていますが、座敷に料理の器が残され、行灯の下には煙草入れが散らばり、廊下に徳利や器等が運び出され、賑やかな宴が終わった様子です。確かに海上に中秋の名月が浮かび、一群の雁が飛翔する風情ではありますが、題名の「月の岬」がまったく描かれていない不思議な構成です。しかしながら、この点にこそ広重のアイデアがあって、実は障子に写った遊女の影を月の光に浮かぶ岬のシルエットに見立てているのです。月の岬にあった妓楼の近景拡大表現なので、岬自体は自ずと描き得ず、進んで、遊女の影で岬のシルエットを描写した手法は非常に巧みです。なお影絵の応用も含めて、鳥居清長・大判2枚続『美南見十二候 八月 月見の宴』(天明4年頃・1784・ボストン美術館所蔵)が着想の元絵となっており、そこから人物を捨象して作画したのではないかと想像しています。
82edomiyage
 以上のような見立てに作品の趣向があるならば、また安政4年8月改印という観点からも、中秋の名月を謳って相模屋などの妓楼・料亭への行楽を誘うという営業的意図が版元の思惑ではないでしょうか。これに対して、『武江年表(安政四年)』(『定本武江年表下』p95)に、「同(七月)二十六日、夜にて大雨。(二十六夜)月の出を待つの所々」、「急雨にあひたり」とあり、月見が中止になったことから、「後の祭」(宴の終わり)を暗示するような絵としたという見解がありますが(原信田『謎解き 広重「江戸百」』p138)、本作品の月は十五夜の満月なので画題が違うと言わざるを得ません。「廿六夜待」については、60「高輪うしまち」参照。

82kiyonaga

|

« 81 芝愛宕山 | トップページ | 83 深川三十三間堂 »

名所江戸百景」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 81 芝愛宕山 | トップページ | 83 深川三十三間堂 »