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73 綾瀬川鐘か淵

安政4年7月(1857)改印
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 「(旧)綾瀬川」について、69「堀切の花菖蒲」で一度触れており、本作品は隅田川に流れ込む「(新)綾瀬川」の「鐘か淵」が画題で、綾瀬川繋がりから、3月の隅田川東岸への将軍の鷹狩りを動機としている可能性があります。他方、DVD『江戸明治東京重ね地図・向島』を参照すると近くには「丹頂池」があり、鶴を画題とする、70「簔輪金杉三河しま」の鶴御成り(鷹狩り)に関連する作品とも考えられます。つまり、御成りから派生した話題性を拾って作品制作に至ったという思考です。さらに3作品には共通項があり、『武江年表(安政四年)』十之巻(『定本武江年表下』p94)の朝倉無声の増補の、「五月二十七・八日、大雨」、「千住洪水、往来の出水、人の家を越ゆ」との記述に関連する地域(堀切村、三河島村、千住村、隅田村)を対象にしていることです。ただし、先にも触れましたが、閏5月の災害だとすると、本作品以外の2点については、制作日数の観点ではやや苦しい読み解きになります。

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 鐘ヶ淵の命名に関しては、『江戸名所圖會』巻之七(『新訂江戸名所図会6』p247)に、「鐘が潭」として、「同所(牛田)、隅田川・荒川・綾瀬川の三俣のところをさして名づく」とあり、また「普門院」または「橋場長昌寺」の鐘が「この潭に沈没せり」故に名付けられたとあります。なお、同巻(p242~p243)の図版「鐘カ潭丹頂の池綾瀬川」が本作品の元絵かもしれません。

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 綾瀬川の堤には、小暑(6月)の頃淡いピンクの花を付ける合歓(ねむ)の木が植えられていて、舟で訪れその景色を楽しむ名所の一つでした。江戸百作品が隅田川の堤から綾瀬川方向を見ているとするならば、綾瀬川堤に生える合歓の木という情景とは一致しませんが、近景拡大の構図においては、近景は実景ではなくイメージや構図優先の性格が強いので、そういうものとして理解しておく必要があります。46「川口のわたし善光寺」を見ると、秩父方面から多くの材木が運ばれて来ており、通常は、それが一旦千住大橋北詰の材木問屋で注文に応じて筏に組み直されて江戸に運ばれます。画中の筏もその1つかもしれません。合歓の木の後ろには、釣りをしている舟が見えて閑静な気配が漂っています。筏の男は、両腕と両足の肌を出した夏姿です。その先には、綾瀬橋が遠望できます。湿地を象徴する鷺が飛び立つ一瞬を捉えた作品で、洪水があったことを忘れさせる風景です。

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