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40 増上寺塔赤羽根

安政4年正月(1857)改印
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 近景右側に芝「増上寺」の五重の塔、その背後左側に「赤羽根」の筑後久留米藩有馬中務大輔頼成(21万石)の上屋敷が描かれ、中央を流れる新堀川に掛かる赤羽橋がその2ヶ所を繋ぐという構図の作品です(DVD『江戸明治東京重ね地図・大名小路増上寺』参照)。増上寺に関しては、『絵本江戸土産』七編の図版「芝増上寺」の書き入れに、「芝にありて三縁山(さんえんざん)といふ 本尊は如来 運慶の作 酉誉(ゆうよ)上人開基にて 関東十八ヶ寺談林の中なり 御當家世々の御霊屋あり その尊きこと言語に及ばず 比(たぐい)あらざる仏地あり」と記され、また有馬家の上屋敷内には水天宮があって、『絵本江戸土産』二編の図版「赤羽根水天宮」の書き入れには、「久留米候の内にあり この辺 山に副い 海に近 四時の眺望あるが中にわきて 雪中の景色この地に倍(まさ)るはなし 毎月五日を縁日として都下の老若あゆみを運ぶ」とあります。

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 長屋塀の有馬家上屋敷をよく見ると、すやり霞の背後の屋敷林に火の見櫓が見えており、これは江戸で一番高い火の見櫓(高見の櫓)として知られています。その右側には6本の幟があって、ここに水難除けの水天宮があることが分かります。芝増上寺の五重の塔と有馬家屋敷内の赤羽根水天宮を並列的に捉えた本作品は、増上寺参詣と毎月5日の水天宮の縁日風景を名所要素として制作され、通りを歩く人々の様子からもそれは窺えます。作品の季節は夏とは言え、安政4年正月(改印)にぶつけたものであることは間違いなく、広重の名所表現の季節と作品の販売時期とが相異するという、2重構造が本作品でも見受けられるということです。

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 原信田『謎解き 広重「江戸百」』(p88)によれば、有馬家は増上寺の警備を担当しており、安政地震で被害のあった増上寺の御霊屋(将軍の墓所)の修理を幕府から命ぜられ、その修復が安政3年12月に完了していることを指摘し、その完成引渡しが安政4年正月改印の本作品を制作する動機になったと読み解いています。新年の(御台・名代による)御霊屋参詣が有馬家による御霊屋改修の完了と密接に関連しているのは否定しがたい事実で、それが庶民の話題となったことを利用して、版元が江戸百作品版行を意図したであろうことは当然考えられます。

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