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13 湯しま天神坂上眺望

安政3年4月(1856)改印
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 『絵本江戸土産』五編に図版「湯島天神雪中之圖」「同所坂上眺望」があって、それぞれ、「むかし太田道灌ぬしの勧請也といふ この社地また石階ありて見はらし神田明神におなじ 別して雪の景色によろしく 境内水茶屋楊弓等ありて常に賑はへり」、「石階の上に至りて遠見すれば 東叡山の堂社は手に取る如く 不忍辨天池中の風光掌(たなごころ)に在が如し 東門跡浅草寺また隅田川両岸の樹立等その眺め尽る時なし」と書き入れられています。江戸幕府成立以前からの信仰の場所であり、東方を望む風光に優れた名所であったことが分かります。湯島天神は、本郷台地の東側の高台に位置し、そこには、男坂、女坂と命名された緩急2つの坂があります。本作品は、その女坂から見返して不忍池とその中央にあった中島弁財天を望むものです(DVD『江戸明治東京重ね地図・東叡山下谷』参照)。女坂に合わせたのか、参詣する女達3人の姿が描かれています。近景左側の鳥居が湯島天神へ向かうもので、社殿を描かないのは広重得意の描法です(「広重あるある」)。近景右側には「男坂」と書かれた石標と石階段が見えています。

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 興味を惹くのは、08「上野清水堂不忍ノ池」と本作品を対照させると、前作品ではカットされていた中島弁財天が、被災した石橋部分は避けつつも、茶屋を含めて他は被災前と変わらぬ姿に描かれている点です。安政地震の被害から復旧したことを暗示する表現と理解するならば、神社施設の赤色と雪の白色との紅白仕立てにして、修復完了のお祝いの宣言と見ることができます。他方で、江戸土産の2作品を発展させ、女坂へ向けての視線に重心を置き、書き入れのごとく、「別して雪の景色によろしく」ということで、2図版を1作品に纏め、旧来の風景を描いただけなのかもしれません。地震からの復興が進み、各名所への遊興や行楽を勧誘するという意図は否定しませんが、本作品の制作過程は江戸土産作品の流用です。

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 江戸百作品に関して、面白い指摘があります。すなわち、学問の神として信仰の対象であった湯島天神も、広重の頃までには行楽地となっており、「茶屋の赤い提灯を見ても明らかだ。特に湯島の陰間茶屋が有名で、ひょっとしたら女坂を登ってくる稚児体の人物も、鳥居の前にたたずむ女も、男娼かもしれない」(ヘンリーDスミス・前掲『広重 名所江戸百景』117図解説)というものです。本作品は、名所絵の形式を借りた、(陰間)茶屋の宣伝広告であるという読み解きで、版元視点からは納得のものです。11「品川すさき」において洲崎弁財天と妓楼(生弁天)とを対と見たのと同様に、本作品では中島弁財天と(陰間)茶屋が対と考えられ、その版行目的は歓楽への誘因であったと推測できましょう。

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