« 13 湯しま天神坂上眺望 | トップページ | 15 鴻之臺とね川風景 »

14 飛鳥山北の眺望

安政3年5月(1856)改印
Meishoedo100_14
 『絵本江戸土産』四編に図版「飛鳥山花見」「其二」があり、書き入れには、「この辺すべて芝生の丘にして櫻数百株あり 毎春滿開のとき貴賎老若ここにつどひて遊観の地とす」、「この所地形高くして三河嶋の耕地を見下し 冨士及び諸々の山々宛然(さながら)掌中に在が如し 眺望春時のみにあらず 夏涼秋草冬雪のをり/\に随いてその景あり むかし豊嶋左衛門尉飛鳥の神社を祀りしよりこの岳の名となれりとぞ」と記されています。江戸土産作品は、飛鳥山から西方の富士を眺める構図を採用しているのに対して、江戸百作品は、題名には「北の眺望」とはありますが、北東方向にあった筑波山を眺める構成です。まさに、「諸々の山々宛然掌中に在が如し」を受けた表現です。なお、筑波山は関東平野を見守る神仏の坐す山という素朴な信仰の対象地であり、2つの峰を持つ双耳山であることがその特徴です。双耳山には、釈迦が説法する「霊鷲山(りようじゆせん)」というイメージがあります(68「深川洲崎十万坪」参照)。

Map14114
 本作品から、飛鳥山はそもそも桜の名所であることが理解されます。将軍徳川吉宗によって、庶民の行楽地のためにも桜が植栽された経緯があり、『江戸名所圖會』巻之五(『新訂江戸名所図会5』p157)には、「遊観の便(たつき)として」とあります。上野山の桜とは異なり、酒宴、踊りなども許されたので、庶民は様々な趣向で楽しみました。本作品にもその一端が示されており、よく見ると山の切れる辺りで、「土器(かわらけ)投げ」をしている親子が発見されます。この親子と同様の姿が『絵本江戸土産』四編の図版「道灌山」にも描かれているので、本作品に流用されたことが分かり、また、江戸百が江戸土産作品の発展形であることが再確認されます。なお、土器投げは、厄よけなどの願いを掛けて、高い場所から素焼きや日干しの土器の酒杯や皿を投げる遊びで、高台にある花見の名所などでの酒席の座興として広まったとされています。DVD『江戸明治東京重ね地図・板橋宿』からも確認できますが、飛鳥山の下には田地が広がるので土器投げの適地です。しかし、農地保護のために、水を吸って土に返る日干しの土器でなければならないという規制があります。

14edomiyage3
 09「王子瀧の川」において、作品が安政3年3月13日の将軍徳川家定の御成りに触発されて版行されたことを述べましたが、上野山、道灌山から続く台地上にあった飛鳥山は王子の北部に位置している地理を勘案すると、本作品も同じく、将軍家定の御成りを機縁に版行されたであろうことが推測されます。正確に表現すれば、将軍の御成という幕府動静を直接報道するということではなく、版元目線において、将軍の御成によって飛鳥山への行楽が解禁された事実を話題として、作品の購買動機に結び付けようとしたということです。

|

« 13 湯しま天神坂上眺望 | トップページ | 15 鴻之臺とね川風景 »

名所江戸百景」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 13 湯しま天神坂上眺望 | トップページ | 15 鴻之臺とね川風景 »