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05 千住の大はし

安政3年2月(1856)改印
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 『絵本江戸土産』六編に「千住川大橋」と題する図版があって、それを竪絵に再構成した作品と考えられます。順番からすると、同『絵本江戸土産』五編担当の場所から画題が選ばれるのが自然ですが、同五編は日本橋や上野など江戸の中心的名所を対象としており、有名な場所を採り上げるにはまだ早すぎるし、安政地震の被災の後遺症という観点からも避けたいということことだと思われます。江戸百の「江戸」という枠組みを提示するという目的から、江戸北部を代表して「千住の大はし」が選ばれました。同図版の書き入れには、「日光街道の出口にして隅田川の川上なり 奥羽(おうう)及び常陸(ひたち)下野(しもつけ)みなこの所より行くによりて 宿(じゆく)の賑ひ品川に次ぐ」とあります。

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 本作品は、隅田川に架かる千住大橋南岸から、橋越しに、名を変えた荒川上流西方を望んでいます(DVD『江戸明治東京重ね地図・橋場隅田川』参照)。橋の上には乗り掛け馬を中心に多くの旅人が渡る姿が描かれており、日光、奥州、水戸街道などに向かう人々と分かります。橋を渡った北岸に千住宿が発展しており、上流秩父方面から筏によって運ばれた材木が積まれている様子まで細かく描かれています。大型の帆船の行き交う様子に、物流の拠点であることも示されています。遠景すやり霞の上に見える山容は、材木という観点からすると、秩父連山かと思われますが、千住宿が第一に日光街道の出発点であることを勘案すると、方向に相異がありますが、絵心として、到着点の日光の山並みと考えるべきでしょう。日光東照宮の聖地を千住大橋から望み、また同時に江戸はその守護と恩恵を受けるという庶民信仰に訴えかけた吉祥図と言うことができます。もとより、「すやり霞」は異なる物や場所を接合する仕掛け(技法)なのです。

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 千住宿一帯は、安政地震およびその直後の火災の被害に際して必ず名前が挙げられる場所であり、そのことからすると本作品は以前と変わらない堅牢な千住大橋の姿を描きながら、一方では千住宿の震災からの復興を告げていると見ることもできます。他方では、もう少し積極的な意図があると読み解くことも可能であって、たとえば、同じ最初の5枚組の1枚に、内藤新宿の「玉川堤の花」があることを合わせて考えると、地震後の火災で焼け出された吉原(仮宅)の地盤低下を奇貨として、内藤新宿と同じ「四宿」の1つ千住宿が飯盛女(遊女)を利用して客を呼び込もうとしたことへの応援歌かとも推測できます。前掲図版の書き入れに、「宿の賑ひ品川に次ぐ」とあり、やはり飯盛女(遊女)を置くことのできる四宿の1つ品川の名前が出ていることも傍証となります。

 南部の束池、中央部の彫の芝浦、北部の住大橋とで、江戸の南北の大枠を縁起の良い「千」という言葉で把握し、また、東部の堀江猫実からの富士山と西部の玉川堤の桜という縁起物を並べて東西を捉え、これらの間を大まかに江戸(名所)の範囲とし、以後、広重はその枠内の名所を順次紹介していくという構造です。なお、深読みすれば、富士浅間神社の祭神木花開耶姫命は桜を象徴するので、東西は桜繋がりかもしれません。また、堀江猫実に描かれる鳥は鳥です。

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