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07 井の頭の池弁天の社

安政3年4月(1856)改印
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 『絵本江戸土産』三編に図版「井の頭の池辨財天社」があって、本作品は、中之島にあった弁財天の祠に至る橋を正面に据える修正を加え、秩父あるいは日光の山並みはすやり霞の向こうにそのまま描いています。同書き入れには、「神田上水の源也 この池東南へ曲がりて三百歩ばかり巾は百歩にあまる この池の中に清泉の涌出る所七ツありとぞ いかなる旱魃にも涸ることなし 則中嶋に弁財天を祀り上水守護の神を崇む」と記されています。江戸西外れの内藤新宿からさらに遠方の(『東都近郊全圖・部分図』参照)、「井の頭の池」が江戸百に組む込まれたのは、江戸っ子の象徴・神田上水の水源に他ならないからだと想像できます。徳川家光が「井頭(いのがしら)」と命名した所以です。

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 祠に至る橋の上には参拝者の姿があり、弁財天、井の頭の池が信仰と行楽の地として人気を集めていたことが示されています。なお、社の前の太鼓石橋や脇の石灯篭はじめ奉納された石造物には、神田上水の下流にあった、湯屋・染物屋・薬屋等、水に関わる江戸の商人の名が多く刻まれ(三鷹市HP)、神田上水の源流にあった弁財天の人気およびこの作品の受け手がよく理解できます。つまり、ここに作品の販売理由があることが分かります。

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 地震という観点に触れるならば、01「玉川堤の花」、06「赤坂桐畑」と並んで、江戸を支える水源地を名所として捉え、一般論として、ライフラインの安全な状況を報道していると言うことができます。ただし、『江戸名所圖會』巻之四(『新訂江戸名所図会4』p72~p73)に、井の頭池の水源が涸れないように、「毎年三月十五日より四月十五日まで水加持あり」と記されているので、この時期に版行・販売したのは、これを直接の動機と考えた方が自然ではないかと思われます。

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 ちなみに、本件『絵本江戸土産』の図版は、明らかに、『江戸名所圖會』(『新訂江戸名所図会4』p74~75)の図版「井頭池弁財天」を写したものであることは間違いなく、前掲「赤坂桐畑」に引用した『齋藤月岑日記』からもわかるように、広重と『江戸名所圖會』の編者斎藤月岑との交流があって、その資料を元として生まれたと推測することができます。つまり、『江戸名所圖會』→『絵本江戸土産』→『名所江戸百景』という関係があるということです。このような経緯から生まれた作品は、江戸百の初期作品には比較的多い形式と言うことができます。

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