蛍日記 2-11 耕作放棄地
当(古町)地区以外にも蛍の生息地は何カ所かあります。源氏蛍だけでなく、平家蛍の生息も確認されています。飯綱高原の霊仙寺湖近隣の堰には、7月頃に風が吹くと飛ばされそうになる小さな平家蛍がいますし、飯綱町全体に範囲を広げれば人家の少ない場所には意外に多くの蛍が飛翔しています。地元の人達が意識していないだけだと思われます。
今回は、当地区の隣・中宿地区の蛍生息地の近況を報告します。蛍日記2-5で一度触れていますが、ここに本当に蛍がいるのかというような場所です。堰の一部を撮した写真(上)を引きの写真(下)で見直すと、手前右側から流れてきた水は手前左側で直角に折れて、後方のライスセンター施設の前を走る道路に向かって直線的に流れ、道路下を潜って左に折れ、最終的には滝沢川に流れ込みます。写真を見ると道路際に電柱があって、そこに街灯が付いているので、夜、道路を走る車や歩く人から蛍はほとんで確認できません。蛍を見るには、いささか情緒がない場所です。
この中宿の「蛍の堰」を再度採り上げたのには理由があって、写真からも分かるように、右側の本来ならば水田であった場所が未耕作地になっていることです。その右側には畑跡があって、今はススキが背を高くした原野になっており、さらにその右側は朽ちた家屋とサイロが残っています。何十年にも亘って空き家・空き地となっているという事実に大変興味があるということです。堰自体は擁壁化されているので、滝沢川から生息地を広げた蛍は、その工事によって一時消滅したのかもしれませんが、緩い流れと耕作放棄地の脇という環境からどうやら復活したのではと推測されます。
他の堰では水田耕作が継続的に行われた結果、蛍は定着できなかったのでしょう。近時、滝沢川自体が滝口から石原橋と大橋を経由して、新井橋に至るまで全て浚渫されてしまい、蛍を見ることができず、当該中宿の蛍はここに陸封されてしまったいう訳です。古町の「蛍の堰」も中宿の「蛍の堰」も、事実上の未耕作地あるいは耕作放棄地の脇を流れているということが重要です。
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