28.月百姿 廓の月
御届明治19年(1886)3月/画工 月岡米次郎(芳年印)/板元 秋山武右エ門/彫工 圓活刀
新吉原遊廓は、江戸時代においては浮世絵の典型的画題です。今まで見てきた『月百姿』作品に限定すると、遊妓や芸妓などの美人を描くものは、「1.君は今駒かたあたり…(たか雄)」、「10.四條納涼」、「21.いつくしまの月(室遊女)」などで、基準を緩めても、「5.名月や畳の上に…(其角)」程度でしょうか。意外に少なく、その意味では貴重な1枚です。歌川広重『東都名所 吉原仲之町夜櫻』(佐野屋喜兵衛・天保5年~10年・1834-39)などに描かれる、月の新吉原の情景から、必要最小限度の人物・景色だけをトリミングしたのが本作品であって、見る者の知識や想像力によって、画趣は相当異なってきます。このような制作態度は、『月百姿』シリーズ全体についても言えることです。
たとえば、本作品を江戸時代の芳年の大判3枚続中央部分図(『仮寝のきぬぎぬ』丸屋甚八・万延元年10月・1860)と比べると、白粉臭が感じられる程あった色香が削ぎ落とされ、反対に、アニリンレッドの赤色を要所に使って、女の生命力は内に隠されています。
また、明治の大判作品(『東京自慢十二ヶ月 三月吉原の桜 尾州楼長尾』井上茂兵エ・明治13年3月23日・1880)と比べると、本作品の後ろ姿からは美人の艶やかさは見えず、月明かりの下、禿との対照から知的な優しさが感じられます。この当時、江戸時代を眺める芳年の眼差しは、「22.烟中月」におけると同様、別次元から江戸世界を眺めている感覚に襲われます。
本作品の美人がどんな表情をしているのかは分かりませんが、相対する禿の顔を見て判断すると、春の月に照らされ、散りゆく花びらを静かに眺めている表情が想像できます。版画家磯田一磨(1882~1956)の歌麿と対比する文章に、次のようなものがあります。すなわち、「芳年の女は向上進歩を目的としていたから、文明開化思想に支配されて、本能生活を卑しとした健全さがある」、「芳年の女は身を堕として遊女暮しをしていても、折があれば足を洗って洋行の魁でもやり兼ねない意志を蔵している」、「芳年の女は官能にのみ生命を懸けていない。其の線は鋭い理知の閃きを秘めている」と(高橋・前掲「総説・明治版画」p79)。非常に参考になる分析で、本作品の遊女が健全な婦女に見えること、理知をもって散る花を眺めていること、そしてたぶん今頃は廓から脱して、明治の大官連のお気に入りそうな女性になっているかもしれないと思わせるのです。意地と張りに生きている江戸時代の廓の女の姿は、ここには見いだされません。
*The Flowers of Japan and The Art of Floral Arrangement(明治24年・1891)の芳年の挿絵参照。
| 固定リンク
「芳年の月百姿」カテゴリの記事
- 100.つきの百姿 いてしほの月(2022.07.20)
- 99.月百姿 猿楽月(2022.07.20)
- 98.月百姿 むさしのゝ月(2022.07.19)
- 97.月百姿 梵僧月夜受桂子(2022.07.19)
- 96.月の百姿 姥捨月(2022.07.18)


コメント