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〈53〉東海道五拾三次 草津

Kyokairit52
「たのしみの 日数かさねて 春雨に めぐむ草津の 旅の道芝 芝口屋丘住」

 草津宿の西にあった「矢倉」立場の風景で、有名な「うばもちや」「うばか餅」(姥が餅)の店の活況を描いています。作品の右側の軒先には、琵琶湖の矢橋(やばせ)湊へ至る矢橋街道との追分道標があるはずですが、大きな荷物を背負う馬と馬子が立っており、よく見えません。代わりに、「京橋仙女香」の看板が掛かっており、店とスポンサーの宣伝を優先させたことが分かります。他方、草津宿の東側には、東海道と中山道との追分の道標があって、こちらは、広重『木曽海道六十九次之内』「草津追分」の題材となっています。保永堂版は副題「名物立場」として、『東海道名所圖會 巻の二』の図版(前掲『新訂東海道名所図会上』p246~p247)を元絵としており、また狂歌入り版でも、視点を空中においてほぼ同様の店先風景を写しています。同名所図会、保永堂版(構想図)、狂歌入り版(実景図)のいずれもほとんど同じ定番の情景ですが、その理由は、姥が餅屋がいずれの作品においても、強力なスポンサーになっていると考えれば不思議ではありません。

 なお、荷を背負う馬の左側に、先導者と2人の瞽女が店から出てくる姿が描かれており、保永堂版「二川」の「名物かしは餅」を買い求める瞽女一行と同じ趣向と分かります。姥が餅については、近江源氏(六角氏)に連なる人物あるいは由緒ある家柄の幼児を、乳母が密かに養育するために売り出した餅に始まると言われています。前掲名所図会(p246)の図版には、「春風の吹くにつけてもあがれ/\ さたうをかけて姥がもちやくちや」とあるので、甘い餅であったと推測できます。ちなみに、室町時代後期の連歌師宗長が「武士(もののふ)のやばせの船は早くとも いそがば廻れ瀬田の長橋」と詠んだことから、「急がば回れ」という言葉が生まれたそうです。


 狂歌は、楽しい旅を重ね、春雨に芽吹く「草津」宿の草が旅の道案内(道芝)をしてくれるという程の意味で、春に絡めて「草津」の「草」と「道芝」の「芝」の縁語で遊んでいます。前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「草津」には、「湖水南北十九里東西八九里或は一里斗の所形琵琶に似たるゆゑびは湖といふなり」と記され、「矢橋」(矢橋の帰帆)、「のぢ」(野路の玉川)、「瀬田大橋」(瀬田の唐橋)など風光に優れる名所・歌枕の地が多く、確かに旅の道案内も必要でしょう。

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