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〈50〉東海道五拾三次 𡈽山 鈴鹿山之圖

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「急ぐとも 心してゆけ すべりなば あと戻りせん 雨の土山 柴の門茶女」

  保永堂版「𡈽山」は副題「春之雨」が示すように降雨の景色ですが、これについては、『鈴鹿馬子唄』の「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」を意識したものであると言われることが多いようです。この観点からすると、狂歌入り版には雨の土山とそうでない作品がありますが、雨の土山の方が自然であるということになりそうです。しかし、狂歌入り版には「鈴鹿山之圖」という書き入れがあることに注意しながら、もう一度、鈴鹿馬子唄を読み直してみると、坂(下)は晴れ、鈴鹿(峠)は曇り、(坂下に相対するあるいはかつての間・あいの宿)土山は雨と唄っているので、鈴鹿峠は曇りでよいと気付きます。つまり、鈴鹿峠では土山の雨を前提に雨具を身に付ける旅人の姿および曇天を表す墨色の一文字暈かしで十分であるという訳です。その場合、狂歌入り版・雨の土山は、保永堂版・雨の土山の人気に推された後摺りと見ることになりましょう。雨の土山の方が、確かに売れそうです。

 『東海道名所圖會 巻の二』(前掲『新訂東海道名所図会上』p288)によれば、沢村の立場入口が、「近勢(近江・伊勢)国堺」とあり、前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「坂下」には、坂下の西方に「上り坂八丁廿七曲」の急坂、「立バさは」、「いせ近江の界」があり、そこを過ぎると「かにか坂」の下り坂になるとあるので、狂歌入り版はこの国境辺りの様子と推測できます。茶色の合羽姿の2人は雨の土山からやって来た旅人、その後ろの青色の合羽と簔姿の旅人は雨の土山に向かう旅人と考えられます。茅(藁)葺きの屋根は、峠の茶屋でしょうか。前掲「阪之下」と同様、構図は西洋遠近法、タッチは漢画風「米点(べいてん)」(米法山水)を駆使した作品です。ちなみに、保永堂版は構想図なので、土山に雨が降るのは、画中に描かれている坂上田村麻呂を祀った田村神社の神威がなせる業と理解できます。前掲名所図会(p286~p287)の図版中に、鈴鹿の鬼退治に際し、「千の矢さきが雨となり 酒ともなりて鬼殺しなり」と書き入れられています。


 狂歌は、旅を急いでいても落ち着いて行こう、足が滑るならば後戻りしよう、雨の土山では、という旅の注意喚起となっています。箱根峠に匹敵する難路と言われる所以です。

*上記浮世絵画像は、上図が慶応大学メディアセンター、下図が国立国会図書館デジタルコレクションのものです。

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