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〈54〉東海道五拾三次 大津

Kyokairit53

「君が代の たからを積みて 門出の 仕合よしと いさむうしかひ 常磐園松成」

 琵琶湖の大津湊を描いていることは分かりますが、狂歌入り版が実景とするならば、いったいどこの場所でしょうか。ヒントは、画中右端に見切れる石場の常夜灯です。前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「大津」を参照すると、湖畔の膳所(ぜぜ)城(「城主本多下総守」)の西側に「ばせをつか」「義仲寺」があり、それを過ぎたところに「立ハ石場」とあります。湖側に「矢ばせより舟つき」とあり、この辺りを前景にして、中景に「大津町九十八丁」、遠景に「三井寺」のある比叡山と比良の山々を一望する視点構成と思われます。近景の茶屋と大津湊から堅田浦の遠望が、何か前掲「品川」にも似た雰囲気を醸し出しています。品川は旅の見送り・出迎えの宿場(湊)であり、また、大津も旅人との再会を祝う「酒迎(さかむか)え」の宿場(湊)として知られています。

 琵琶湖周辺には多くの名所がありますが、具体的情景は広重『近江八景之内』に譲ることとして、狂歌入り版は単純な湊の茶屋風景です。ここの茶屋では、おそらく、背景の堅田浦で獲れた「源五郎鮒」の鮓(すし)が名物として売られていたはずです。『東海道名所圖會 巻の一』(前掲『新訂東海道名所図会上』p155)に、「むかしより淡海の名産に、源五郎鮒というあり。これは佐々木家一国を領せし時、家来に錦織(にしごり)源五郎という者、漁者(ぎょしゃ)を司る」、「これによってその支配司を、魚の名に呼ぶならわしとはなりにけるとぞ聞こえし」とあります。なお、同図鑑にはこの辺りから「阪本道」、「三井寺道」があることが記されており、戦国時代の坂本城、比叡山焼き討ちが想起され、明智光秀の見ていた風景が思い浮かぶばかりです。

 狂歌入り版の場所から西方に進むと東海道は宿場内を左に折れ、上り坂となります。この情景を描いたのが、広重『木曽海道六拾九次之内』「大津」です。そして、その坂道を上り終わり、下った所にあったのが山城国に近い「走井」で、それを画題とするのが保永堂版副題「走井茶店」です。そこには、大津湊に集積された各地の物資が牛車で東海道を通って京都に運ばれる様子が描かれています。まるで狂歌は、この保永堂版を見て詠っているかのような内容です。この世の(大事な)宝物を積んで、牛飼いが「仕合」「吉」の腹掛けを牛に着け、勇んで「門出」(出発)する様子です。「仕合」「吉」「門出」はいずれも荷牛・馬の腹掛けに染め抜かれた文字で、縁起を担いで、荷物の安全到着を願ったものと考えられます。

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