〈52〉東海道五拾三次 石部
「都女の はらをかゝへて わらふめり はらみ村てふ こゝの名どころ 頭巾亭鈴掛」
狂歌入り版の「水口」「石部」の両図は、保永堂版の「旅人留女」を描く「御油」、「旅舎招婦ノ圖」を描く「赤阪」に対応しているように感じられます。とすると、狂歌入り版「石部」において、近景の部屋で按摩に肩を揉ませ寛ぐ男の前で手を突く女は遊女(飯盛女)でしょうか。頭に多くの飾りを付け、大きな帯を締める姿は芸者風に見えます。若い女であることは確かです。左奥の部屋では、2人の男が内風呂を使っており、「火の用心」の注意書きが見えています。庭には梅と椿の花が咲いています。この季節ならば、本来は障子は閉められているはずですが、旅人達の様子を伝えるため、描法として開いています。
「京発ち石部泊まり」という言葉があるように、京都を発った旅人の1泊目が石部宿であることから選ばれた画題と思われます。くわえて、この宿が、人形浄瑠璃・歌舞伎『桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)』(お半・長右衛門)や『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』(重の井の子別れ)などの舞台であったことから推測すると、近景の若い女と中年男との出会いの場面は、京都信濃屋の娘・お半と呉服商帯屋・長右衛門の見立てと読み解けます。『東海道名所圖會 巻の二』「目川」の図版(前掲『新訂東海道名所図会上』p253)を写す、保永堂版よりも構想的です。なお、お半と長右衛門はこの石部で同衾し、お半は妊娠して桂川での心中事件へと発展します。
石部の西側、立場「梅の木」と「目川」の間に、「てはらみ」(手孕・手原)という地名があります(前掲『東海木曾兩道中懐寶圖鑑』「石部」)。狂歌は、「はらをかゝへて」と「はらみ村」との地口を楽しみ、京都と石部を舞台としたお半・長右衛門を前提に、「都女」が「こゝの名どころ」(石部の名所)である「はらみ村」でお半が「孕む」のもむべなりと笑うだろうと詠んだのです。石部はらみ村に行けば、それは孕むでしょう(笑い)という訳です。
*「てはらみ」から「ほぶくろ」に向かう辺りで、近江富士「三上山見ゆる」となります(前掲図鑑参照)。
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