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3-9.跨キ不二

Fugaku3_0092

 三十六景「尾州不二見原」と「同巧異曲」(鈴木・前掲書p239)という評価も納得です。大きな槌、底のない桶の箍(たが)を打つなど、構想優先の作品です(有泉・前掲『楽しい北斎』p197参照)。「キ不二」とは、桶を跨いだ股の間から富士が見えることが第一義とは思われますが、富士も桶を跨いで桶職人を助けているという視点も重要です。富士も桶職人と同じように仕事をしているという共感が生まれるからです。前作品と同様に、気が付けば側(股の間)に富士がいるという近しい感情を狙った作品です。

 深読みすれば、富士自身に箍を嵌め込んでいるようにも見えます。さらには、槌を振り上げる職人のポーズが富士の右稜線を形作っていると看做すならば、近景に大きな富士世界が出現することになり、富士講信者の共感を強く受けることと思われます。とすると、「着想としてはあざとい」(鈴木・前掲書p239)という批判もかなり軽減されるでしょう。北斎の百景作品の理解には、富士と庶民生活とが一体となって同じ世界を作っているという感性が必要で、あまりに富士を神聖視する思考は北斎のものではないと言えます。

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葛飾北斎」カテゴリの記事

コメント

 ≪…富士も桶職人と同じように仕事をしているという共感…≫で、[不二](富士)の深堀に重ねたい・・・
[風が吹けば桶屋が儲かる]の流れを、絵本「ひよこのコンコンとまらない」に重ね、数の実数直線を想う・・・

 数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【 ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と 】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[数のヴィジョン]に・・・

岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~

投稿: 同じ世界を作っているという感性 | 2024年7月 6日 (土) 14時10分

 数の言葉ヒフミヨ(1234)を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面(2次元)からの送りモノとして眺めると、自然数の量化の姿(構造)が観える。
 『ヒフミヨ ヒンメリ』のコアの軸の象徴の[√8]が、≪…不二…≫として[円]の一歩[1]の歩みが創る[ながしかく](1×2)で対角線(√5)は、ヴェシカパイシス(神聖幾何)の現れだ。
 [円]の4等分が創るカオスな弦(√2)をコスモスな[2]にすると、[ながしかく』の『半分こ』の[直角三角形](√2 √8 √10)に生る。
 これこそが、√5から√10 への変身で、根(√)が在っても無かっても成り立つコトに想う・・・
  (√2)²+(√8)²=(√10)²
   2  +  8 =  10

 ヒフミヨは冥途の土産勾股弦 

因みに、√5 は、
   ​
   2.2360679(富士山麓オウム鳴く)

投稿: ヒフミヨは冥途の土産勾股弦 | 2025年1月17日 (金) 12時31分

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