百景から三十六景を読み解く 1
◇百景「烟中の不二」と三十六景「東海道程ヶ谷」との対比
三十六景「東海道程ヶ谷」と百景初編「烟中の不二」とは構図にやや違いはありますが、共に庚申塚が大きく描かれている点で、ほぼ近似した構想を有していると思われます。「東海道程ヶ谷」は、保土ヶ谷から戸塚に向かう東海道途中にある庚申塚を目印として、そこの松並木の間から富士を遠望する旅人達を描いています。松を神社の鳥居と看做せば、富士神霊を拝むかのような描写です。馬を引く馬子の視線は富士に向かい、また作品右下の虚無僧の視線は庚申塚に向かい、絵を見る者の視点を代弁すると同時に、本作品が富士神霊と庚申の神とが交錯する結界を描く、一種の吉祥図であることを物語っています。
このような従来の見方に、「烟中の不二」で得られた絵本的読み解きを重ね合わせて、さらに北斎の制作意図を深掘りしてみましょう。「烟中の不二」では、旅人と馬子の計3人は、庚申塚の台座に彫られた三猿に見立てられていました。「東海道程ヶ谷」の中に三猿に該当する人物がいないか検討してみると、作品左下に描かれる、駕籠に乗る女客と2人の駕籠舁の計3人がどうやら、三猿に見立てられていると考えられます。左から、言わざる、見ざる、聞かざるでしょうか。「烟中の不二」と対照して、初めて気付く存在です。庚申塚に絡めて、ここに北斎の1つ目のからくりが隠されていたようです。
他方で、右側の馬に乗る旅人を含めた3人(もしくは2人)が作る三角形は、富士に相似する図形として街道上に出現した富士(塚)と捉えることができます。さらには、右3人と庚申塚を含めた全体が富士に相似する三角形を構成し、その総体を富士(塚)と見るべきなのかもしれません。その場合、2つ目のからくりは規模が大きすぎて、逆に、見落としてしまう程です。
以上2つの仕掛けを整理すると次のようになります。すなわち、まずは遠景の富士と近景の庚申塚が「東海道程ヶ谷」の景色として描かれています。次に、右側の馬を含めた3人の旅人あるいは庚申塚をも合わせた部分に富士に相似する三角形として富士(塚)があり、左側の3人の旅人は三猿として庚申塚を暗示し、東海道の街道上に、景色と並行的に富士と庚申塚が描かれていることになります。なんと北斎は、「程ヶ谷」の景色を旅人達を使って「東海道」上に再現していることが分かります。歌舞伎役者の「見立て」芝居のようです。
このように『冨嶽三十六景』を風景画と理解する方法では、北斎が作品に仕掛けたからくりを発見することは難しいと言えます。楽しく仕掛けを味わうためには、絵本『富嶽百景』の視点から、『冨嶽三十六景』をもう一度見直してみる必要があると考えています。
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