3-40.蛇追沼の不二
百景シリーズの中で、池や沼などを題材に扱っている作品には、初編「柳塘の不二」、2編「冩真の不二」、3編「阿須見村の不二」等があります。おもに東海道と甲州街道近隣と想定される場所なので、本作品も北斎がこれらいずれかの場所を訪れた際の体験から着想したのではないかと推測しています。
沼の中景と近景に小屋・民家・松などが描かれており、富士に相似する三角形を作っています。これらが中景・近景に富士世界を導き出すための記号になっていることは言うまでもないのですが、重要なのは左頁のすやり霞の下に展開する逆さ富士です。制作の経過を考えると、前掲「さい穴の不二」にピンホール現象による逆さ富士の作品があるので、同作品との関連性を考慮すべきです。すなわち、線対称として、右側の富士が沼に映る実景を描写したものではなく、点対称として、それ自身本質的あるいは一種霊(信仰)的な存在と捉えて表現しているという具合にです。
三十六景「甲州三坂水面」、同「青山圓座枩」、百景初編「田面の不二」など、点対称として描かれた逆さ富士は神秘的で、それ自身を別存在として評価する必要があると思われます。また、百景初編「柳塘の不二」では、富士に相似する池を戸塚・藤沢間にあった影取池の白蛇伝説を下敷きに読み解きましたが、本作品の題名が「蛇追沼の不二」となっていることから並行的に考えて、沼の主である白蛇が現れた奇跡を描きながら、じつはその正体が富士神霊(浅間大菩薩)であるということを物語っていると理解できます。富士は龍(水)神ですから、水の根源として沼に現れても不思議はありません(百景2編「冩真の不二」参照)。
他方で、北斎が篤く信仰する妙見大菩薩、日蓮宗という観点から分析してみると、前掲「千束の不二」の画題であった「千束池」(洗足池)に関して、『江戸名所圖會巻之二』(前掲『新訂江戸名所図会2』p127)には、「この池に毒蛇住めり、後、七面に祭るといふ」とあることから、「蛇追沼の不二」の制作に際して念頭にあったのは、じつは「千束池」であった可能性があります。ならば、やはり最後に至って、北斎の個人的信仰心あるいは七面大明神(七面天女)への関心が表出したことを強く感じざるを得ません。同『江戸名所圖會』掲載図版「千束池 袈裟掛松」(同書p128~p129)および広重『絵本江戸土産3編』「千束池 袈裟掛松」の風景と「蛇追沼の不二」とはかなり似ています。その場合、本作品左頁の松こそ「日蓮袈裟掛松」ということになります。
いずれにせよ、北斎作品には常に人々を驚かせようとの魂胆が内在していますが、百景3編・大尾作品の直前であることを考えると、ピンホール現象の富士や逆さ富士の作品を単に西洋的光学の紹介という観点だけで説明するには相当の不足を感じます。富士の本質を写し出し、さらには北斎の本心を表していると捉えるべきでしょう。
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