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百景から三十六景を読み解く 2

◇百景「木枯の不二」と三十六景「駿州江尻」との対比

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 木枯らしかどうかは分かりませんが、強風に吹き飛ばされそうな旅人を描く作品として、三十六景「駿州江尻」が直ちに思い浮かびます。頭巾を被り街道を旅する女の懐から懐紙が風に飛ばされる様子を連写的に表現しており、そのため、この点にのみ目が行ってしまう作品です。賛同しているわけではありませんが、泰然と構える富士と風に吹き惑わされる旅人達という、対立的構図と読み解くのが一般的です。

 百景初編「木枯の不二」と比較対照しながら、作品をもう一度見直してみましょう。「駿州江尻」の画面中央部に小さな祠らしきものが描かれています。その後ろの白い部分が江尻の「姥が池」ならば、龍(水)神の祠かもしれません。そのうえで、本作品の構想を先読みすると、「木枯の不二」にもあった祠と同様、この祠は富士神霊の依代として(実景かどうかとは別に)挿入されたもので、近景に富士世界が展開されていることを暗示する記号と思われます。つまり、強風に晒され女の懐紙が飛び散るのは、富士が強風に晒され、裾野の山が吹き飛ばされそうになっている様子に同調しているのです。庶民と富士との緊密な関係を願う富士講信者は、近景と遠景とに同じ富士世界が展開していることを期待しています。

 「木枯の不二」の鳴子を吊り下げた綱を思い返せば、「駿州江尻」における富士の稜線はまさに風に吹き飛ばされそうな綱に見え、街道を旅する女から飛び散った懐紙や何か布切れが、まるで引っ掛かっているように描かれていると捉えるべきです。こんな強風が吹いていても、富士と庶民との親しい関係はまったく不変であるからこそ、富士講信者の気持ちを鷲掴みする作品となるのではないでしょうか。したがって、既述した一般的読み解きに対しては、富士が泰然としているのではなく、富士と庶民の関係が泰然・不変なのだと訂正したいと思います。

 なお、街道を旅する人々は、前景に4人、中景に3人で、計7人となります。この点には、北斗七星を信仰基点とする北斎の妙見信仰が表れており、その場合、その中心に北辰星に相当する富士があるというのが北斎の思考です。ちなみに、有泉・前掲『楽しい北斎』(p96)は、「姥が池」ではなく入り江と考え、作品右側において、「強風に吹き飛ばされまいと腰を落としている人物は、大きく江(入り江)に尻を突き出しており」、ここから題名の「駿州江尻」の地口が導かれると解いています。面白い読み解きですが、富士もその裾野(尻)を入り江に突き出していることにさらに気付けば、地口見立てとして完璧になります。よく見れば、「駿州江尻」は富士の右側の裾野がかなり伸びた構図になっており、富嶽シリーズ中、このような描写は例外的ですから、富士も入江に尻を突き出していると言っても良いでしょう。

 

◇おわりに

 上記解説も含めて、本稿の関連箇所で百景と三十六景両シリーズを対比させながら、いままでの評価を見直す方向での議論を意図的に行ってきました。従来、北斎の類い稀な表現力から、ともすれば「風景画」的側面に注意が集中し、作品に仕掛けられた「からくり絵」的要素を多くは見落としてきたように思います。近時は、当時の時代背景を考慮し、「名所絵」ブームの中において見直し、さらに「富士講」の影響を勘案し、作品を解説する動きもありますが、残念ながら、それは総論においてであって、各論的に個々の作品を分析するまでには及んでいないようです。

 そこで本稿では、百景作品を使って、まず富士講信者の目にはどう映るであろうかを念頭に置いて読み解きました。次に、北斎が篤く信仰していた妙見堂ないしは日蓮宗の観点からさらに作品を概括してみました。名所絵的要素や風景画的構成については、後回しにするという方法論です。これが正解なのかどうかは分かりませんが、百景作品についてかなり面白い理解が得られたように思います。

 さらに論を進め、百景作品から得られた資産を三十六景全作品の再評価のために使用すれば、かなり興味ある結論に至るはずです。大胆な芸術的構図と見るか、大がかりな仕掛けと見るかが、作品評価の分かれ目です。私達は、北斎の優れた筆致に長い間騙されて、じつはからくりを読み解く楽しみを失ってきたように思います。本稿では、北斎が富士と戯れていたと同じように、北斎作品と戯れることを主眼としました。読み解きの帰結はともかく、この点での努力だけでも認めていただければ幸いです。

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百景から三十六景を読み解く 1

◇百景「烟中の不二」と三十六景「東海道程ヶ谷」との対比

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 三十六景「東海道程ヶ谷」と百景初編「烟中の不二」とは構図にやや違いはありますが、共に庚申塚が大きく描かれている点で、ほぼ近似した構想を有していると思われます。「東海道程ヶ谷」は、保土ヶ谷から戸塚に向かう東海道途中にある庚申塚を目印として、そこの松並木の間から富士を遠望する旅人達を描いています。松を神社の鳥居と看做せば、富士神霊を拝むかのような描写です。馬を引く馬子の視線は富士に向かい、また作品右下の虚無僧の視線は庚申塚に向かい、絵を見る者の視点を代弁すると同時に、本作品が富士神霊と庚申の神とが交錯する結界を描く、一種の吉祥図であることを物語っています。

 このような従来の見方に、「烟中の不二」で得られた絵本的読み解きを重ね合わせて、さらに北斎の制作意図を深掘りしてみましょう。「烟中の不二」では、旅人と馬子の計3人は、庚申塚の台座に彫られた三猿に見立てられていました。「東海道程ヶ谷」の中に三猿に該当する人物がいないか検討してみると、作品左下に描かれる、駕籠に乗る女客と2人の駕籠舁の計3人がどうやら、三猿に見立てられていると考えられます。左から、言わざる、見ざる、聞かざるでしょうか。「烟中の不二」と対照して、初めて気付く存在です。庚申塚に絡めて、ここに北斎の1つ目のからくりが隠されていたようです。

 他方で、右側の馬に乗る旅人を含めた3人(もしくは2人)が作る三角形は、富士に相似する図形として街道上に出現した富士(塚)と捉えることができます。さらには、右3人と庚申塚を含めた全体が富士に相似する三角形を構成し、その総体を富士(塚)と見るべきなのかもしれません。その場合、2つ目のからくりは規模が大きすぎて、逆に、見落としてしまう程です。

 以上2つの仕掛けを整理すると次のようになります。すなわち、まずは遠景の富士と近景の庚申塚が「東海道程ヶ谷」の景色として描かれています。次に、右側の馬を含めた3人の旅人あるいは庚申塚をも合わせた部分に富士に相似する三角形として富士(塚)があり、左側の3人の旅人は三猿として庚申塚を暗示し、東海道の街道上に、景色と並行的に富士と庚申塚が描かれていることになります。なんと北斎は、「程ヶ谷」の景色を旅人達を使って「東海道」上に再現していることが分かります。歌舞伎役者の「見立て」芝居のようです。

 このように『冨嶽三十六景』を風景画と理解する方法では、北斎が作品に仕掛けたからくりを発見することは難しいと言えます。楽しく仕掛けを味わうためには、絵本『富嶽百景』の視点から、『冨嶽三十六景』をもう一度見直してみる必要があると考えています。

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3-41.大尾一筆の不二

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 鈴木・前掲書(p205)は、「第三編の薄墨の色ざしが北斎自身の手によって行なわれたものかどうか」について、私見と断ったうえで、「北斎の手ではなく、名古屋住の北斎門人中のたれかの所為と見ている」と述べています。その見解を尊重すると、本作品の濃い墨が北斎の意図する部分と考えられます。それ故、富士が黒墨によって一筆書きで描かれていると理解して、本作品を読み解いていきます。

 『富嶽百景』「大尾」の作品から分かることは、「形」という視点では、富士は一筆書きで表現できるということです。ところが、初編・2編・3編に百に及ぶ富士が描かれているという事実に目を向けると、百に及ぶ富士は決して「形」という視点だけでは描かれていないということが分かります。作品制作の出発点に富士講信仰がありますが、その観点からすれば、『富嶽百景』の百に及ぶ富士の多くには、じつは富士の恵みや御利益が描かれているということに気付きます。また、北斎の個人的な妙見信仰の観点からは、富士を地上の北辰星と看做し、庶民世界をその周りを巡る北斗星に擬えて、結局は恵みや御利益の「根元」を富士に求めていることが分かります。さらに、一見すると名所を描いていると思われる作品も、読み解けば、富士の恵みや御利益が感得できる場所を発見し、その奇景を描いているのです。本稿の立場では、以上を総括して、百に及ぶ富士は「富士と人との近しい関係」を描いていると理解しています。そして、その「近しい関係」をある人は富士講信仰から、またある人は妙見信仰からという具合に、それぞれ各人の心情において感得するのです。

 「木花開耶姫命」から始まり、「千金富士」で終わる、初編31作品、「井戸浚の不二」から始まり、「谷間の不二」で終わる、2編30作品、そして、「赤澤の不二 河津三郎祐安 脵野五郎國久」から始まり、「蛇追沼の不二」で終わる、3編40作品のすべてが、「大尾一筆の不二」に内包される富士の本質から生まれています。富士それ自体を超えて、富士世界というものを構想し、この宇宙の全てが富士世界に包摂され、誰もが気を付ければ生活の中に富士世界を見つけ出すことができるということを、北斎流の仕掛け、からくり、地口などを駆使して描き上げたのが『富嶽百景』です。したがって、単なる絵手本としてではなくて、富士世界を語る絵本として読み解くことができます。

 富士を「三国の根元」とする富士講の思想は、当時の江戸っ子の気分に非常に添うものでした。そこで、北斎はそのような江戸っ子の素朴な自尊心に訴えかける方法で、『富嶽百景』の制作を行ったと考えられます。しかし、北斎自身が富士講信者であったかと言えば、否と答えることになりましょう。北斎は、「画狂老人卍」なのです。

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3-40.蛇追沼の不二

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 百景シリーズの中で、池や沼などを題材に扱っている作品には、初編「塘の不二」、2編「冩真の不二」、3編「阿須見村の不二」等があります。おもに東海道と甲州街道近隣と想定される場所なので、本作品も北斎がこれらいずれかの場所を訪れた際の体験から着想したのではないかと推測しています。

 沼の中景と近景に小屋・民家・松などが描かれており、富士に相似する三角形を作っています。これらが中景・近景に富士世界を導き出すための記号になっていることは言うまでもないのですが、重要なのは左頁のすやり霞の下に展開する逆さ富士です。制作の経過を考えると、前掲「さい穴の不二」にピンホール現象による逆さ富士の作品があるので、同作品との関連性を考慮すべきです。すなわち、線対称として、右側の富士が沼に映る実景を描写したものではなく、点対称として、それ自身本質的あるいは一種霊(信仰)的な存在と捉えて表現しているという具合にです。

 三十六景「甲州三坂水面」、同「青山圓座枩」、百景初編「田面の不二」など、点対称として描かれた逆さ富士は神秘的で、それ自身を別存在として評価する必要があると思われます。また、百景初編「塘の不二」では、富士に相似する池を戸塚・藤沢間にあった影取池の白蛇伝説を下敷きに読み解きましたが、本作品の題名が「蛇追沼の不二」となっていることから並行的に考えて、沼の主である白蛇が現れた奇跡を描きながら、じつはその正体が富士神霊(浅間大菩薩)であるということを物語っていると理解できます。富士は龍(水)神ですから、水の根源として沼に現れても不思議はありません(百景2編「冩真の不二」参照)。

 他方で、北斎が篤く信仰する妙見大菩薩、日蓮宗という観点から分析してみると、前掲「千束の不二」の画題であった「千束池」(洗足池)に関して、『江戸名所圖會巻之二』(前掲『新訂江戸名所図会2』p127)には、「この池に毒蛇住めり、後、七面に祭るといふ」とあることから、「蛇追沼の不二」の制作に際して念頭にあったのは、じつは「千束池」であった可能性があります。ならば、やはり最後に至って、北斎の個人的信仰心あるいは七面大明神(七面天女)への関心が表出したことを強く感じざるを得ません。同『江戸名所圖會』掲載図版「千束池 袈裟掛松」(同書p128~p129)および広重『絵本江戸土産3編』「千束池 袈裟掛松」の風景と「蛇追沼の不二」とはかなり似ています。その場合、本作品左頁の松こそ「日蓮袈裟掛松」ということになります。

 いずれにせよ、北斎作品には常に人々を驚かせようとの魂胆が内在していますが、百景3編・大尾作品の直前であることを考えると、ピンホール現象の富士や逆さ富士の作品を単に西洋的光学の紹介という観点だけで説明するには相当の不足を感じます。富士の本質を写し出し、さらには北斎の本心を表していると捉えるべきでしょう。

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3-39.海濱の不二

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 江ノ島か、伊豆の海岸でしょうか、荒波によって浸食され穴が開いた奇岩の向こう側に富士が見えるという構図です。右頁の木の節穴に対して、左頁に巌窟・巌穴を持ってきたことは明らかです。江ノ島や伊豆が巌窟・巌穴によって富士に通じているという伝説は富士講信者にはよく知られていることなので、それを絵にしただけということならば、北斎にしては新規性が感じられません。

 では、図象に注目して読み解けば、遠景の富士も波で穴(人穴?)が開いているように見えます。つまり、富士を海浜の巌穴の1つと認識し、遠景と近景の巌穴のシンクロを楽しむ作品に仕立て上げられていることに気付きます。ついに北斎の想像力は、富士の山腹に穴まで開けてしまったということです。

 他方、右頁のピンホール現象を前提とすると、この巌穴によって、近景枠外に逆さ富士が見えているという謎かけがあるのかもしれません。もしくは、遠景の富士こそ写された像と考えるべきなのでしょうか。神仏世界が富士という形でこの穴を通して見えているとするならば、とてもありがたい絵だということになります。前作品「さい穴の不二」の下資料とも考えられる、前掲『羇旅漫録』には、京都東寺の塔、信州上諏訪の薬師堂などが写る節穴の紹介があり、信仰的関心が基礎に置かれています。その右頁の流れを受けて考えると、「海濱の不二」は、御本尊富士を拝める場所がこの自然の海浜にあることを示す作品なのだと分かります。

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3-38.さい穴の不二

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 「さい穴」とは、木の節穴という意味です。本作品は、その節穴に差し込んだ光が幕代わりの障子に富士の像を結ぶ、ピンホール(カメラ)現象を描いたものです。客が富士に驚くという趣向においては、百景2編「掛物の發端」と共通しますが、本作品は光学的視点を紹介する趣旨が優越しているようです。家の中に逆さ富士を見るのですから、これ程の近しい富士というものはないでしょう。なお、同2編「窻中の不二」には、望遠鏡を応用した光学的視点が背景にあると想像しています。

 ちなみに、北斎がこのピンホール現象の知見を得た過程には、北斎が一時寄宿していた曲亭馬琴の存在が指摘されています(鈴木・前掲書p250~p251)。馬琴の『羇旅(きりょ)漫録』(享和2年・1802)の「五綵(ごしき)の山水」に、岡崎の木綿問屋納戸で縁側の節穴からの光が美濃紙に景色を写す記事があり、北斎はそれを富士に換えて描いたと推測されます。自然の節穴からの採光なので、富士が二重写しになっているところなどが北斎の工夫でしょうか。本作品中、箒を持つ男は草鞋を履いているので、料亭などではなく、まさにどこかの納戸辺りが想定されているのだと思われます。

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3-37.千束の不二

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 『江戸名所圖會巻之二』(前掲『新訂江戸名所図絵2』p127)によれば、「千束の池」は、日蓮終焉の古跡池上本門寺の西1里余の所にあって、「池の側に、日蓮聖人の腰を懸けたまひしと称する古松一株あり」とあります。今の洗足池のことです。北斎の日蓮への傾倒から画題に選ばれた可能性があります。また、見開き左右頁の作品とも宗教施設に絡む点で共通しています。

 手前の天秤棒を担ぐ男の、荷を吊り下げる紐が近景に富士に相似する三角形を作っています。ただし、より重要なのは池の奥側の丘に藁積みが3つ並んでいる部分です。もちろん千束池の畔に富士世界を導き出す記号ですが、それに止まらず、富士をその連続する藁積みの1つに見立てるという意図が感じられます。近景から富士を眺める人々は、富士を田園風景に馴染んだ藁積みと見ており、ここに北斎の仕掛けが隠されているのです。つまり、藁千束(せんたば)の富士がここに描かれており、題名の千束(せんぞく)の富士は千束(せんたば)の富士の地口であったという訳です。

 千束という言葉は、千束分の稲藁(財産)を意味する大変縁起の良い響きを持ちます。したがって、左頁「千束」の作品も、右頁「千年鶴」と同様に吉祥図であるという結論に至ります。もともと、富士は宝の山なのです(初編「千金不二」参照)。

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3-36.羅漢寺の不二

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 本所五ツ目の渡し場近くの天恩山五百羅漢寺の三匝堂(さんそうどう)を描いた先行作品としては、すでに三十六景「五百らかん寺さゞゐどう」があります。これに対して、本作品はその形から栄螺(さざえ)堂とも呼ばれていた高楼の堂の九輪部分に焦点を当てて描いたものです。背景には、深川の田園風景と立ち並ぶ木場の材木群が描かれています。

 本作品の読み解きはそれ程難しくはありません。前面に描かれる九輪部分が明らかに富士に相似する三角形をなしていて、近景に富士世界を導き出しているからです。それ故、空を舞う鶴と合わせると富士に鶴という吉相図になります。もちろん、遠景の富士についても同じです。「五百」羅漢寺、「千年」長寿の鶴、「不死」の富士という縁起のよい3つを並べるという趣向で、百景「福録壽」と同系列の作品です。なお、九輪の右側を飛翔する鶴を富士に相似する三角形と見れば、遠景の富士(神霊)が五百羅漢寺に向かって飛んでくるという面白いイメージの作品になりますが、後に続く1群の鶴が富士の方向から飛んできていないので、考えすぎかもしれませんが。

 三十六景「五百らかん寺さゞゐどう」では近景の富士を構図中に見つけることができないという未完成があったのに対して、本作品ではその部分を完全に修正しています。ただし、実際は堂の屋根には九輪は付いておらず、この部分は北斎の創意であるという指摘があります(鈴木・前掲書p249参照)。

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3-35.郭公の不二

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 歌の世界では、「郭公」と書いて「ほととぎす」と読ませることが多いので、夏を知らせる「時鳥」の意味で本作品の題名を理解します。富士の頂上付近に重なるほととぎすの方を見ながら、漢服姿の文人が夏の涼を感じ取り、何か詩歌か狂歌などでも考案している様子です。百景2編「冩真の不二」に登場する絵師の姿と確かに似ています。共に風流人です。

 本作品の仕掛けは、右頁の読み解き方法がヒントになります。すなわち、水辺の台上に座る文人の姿自身が富士に相似する三角形をなしていることに気付きます。文人を富士に、富士を文人に見立てる擬人的な仕掛けです。では、近景においてほととぎすはどこに描かれているかというと、文人が右手に持つ団扇がそれに相当することになりましょう。反対に、すやり霞の縁台の上で、富士がほととぎすの声に夏の涼を感じている1枚と見ることになります。富士を風流人に見立てたということです。

 さらに深読みすれば、山口素堂の、右頁が「目には青葉」、左頁が「山ほととぎす」でしょうか。「初鰹」の季節です。

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3-34.山氣ふかく形を崩の不二

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 山気が谷底から立ち上り、藁葺き屋根、森、山そして富士を覆い、それらの形が崩れていくかのように見える様を描いた作品です。手前のU字形の地面には左側に杣人、右側に猟師が立ち、杣人は猟師から煙管の火を貰っている様子です。なぜ近景にこの2人が描かれているのかを解き明かすことが作品理解の入口です。

 まず、遠景の太い墨の柱2つで表現される富士と2人の人物が寄り合う姿とが相似関係にあることに気付きます。遠景と近景の富士が見つかり、一体としての富士世界がここに展開されています。そして、煙管の火のやりとりをしているとすれば、ここから煙草の煙が立ち上がっていることを想像するのは容易いことです。近景の2人の男が煙草の煙に覆われた様子を、「山氣ふかく形を崩の不二」と形容することもまた可能です。山人2人が煙管の火のやりとりをする姿を山気に覆われる富士に見立て、また山気に覆われる富士を山人2人が煙草を吸う様子と看做すという仕掛けです。

 富士をいかなるものにも変容させてしまう北斎ですが、煙管の火をやりとりする2人に擬える手法には驚くばかりです。

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3-33.不斗見不二

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 「何々の不二」と題するのが本シリーズの原則なので「ふとみのふじ」か、あるいは「ふとみるふじ」と読むのでしょう。武士が2人の従者に話をしていたところ、ふと見上げた破れ築地(ついじ)の向こうに富士が控えていた様を描いた作品です。なお、築地とは、柱を立て、板を芯として両側を土で塗り固め、屋根を瓦で葺いた塀のことです。本作品では、築地が大きく崩れており、寺社か屋敷跡の様子で、富士頂上よりも高く伸びた庭の秋草が時の移ろいを表しています。

 読み解くならば、近景の3人の武士達が三角形を作っているようにも見え、もしそうならば、近景の富士となり、遠景と近景の富士の間に築地があるということになります。また、百景「狼煙の不二」を思い起こすと、間の破れ築地こそを富士と見立てているのかもしれませんし、遠景の富士を破れ築地と同一視しているのかもしれません。ここまで来ると、本当に富士を身近な存在として感じていることが分かります。屋敷跡の破れ築地を富士と見、あるいは富士さえ破れ築地と見るに止まらず、秋草の繁茂を重ね合わせて荒れた庭のあわれをも表現しています。

 一方で富士を「三国の根元」と位置づけるかと思えば、他方であわれな破れ築地と看做す北斎も自由奔放ですが、それが許される富士とは庶民にとってどんな存在なのでしょうか。本稿は、その答えが百景最後の作品「大尾一筆の不二」の中にあると考えています。

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3-32.茅の輪の不二

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 本作品は、「茅の輪」くぐりを描くもので、これは茅萱(ちがや)を紙で包み束ねて輪にしたものを鳥居や拝殿などに設け、参詣者がそこをくぐり抜ける儀式です。6月晦日(みそか)、災厄を避け、穢れを落とし、夏を無事に終えるための「夏越(なごし)の祓い」の1つです。神社本殿の方に向く鳥居をまるで富士が御神体であるかのように表現しているところに、北斎の制作意図があります(三十六景「登戸浦」参照)。御神木の幹から清水が流れ落ちるという不思議な場所ですが、3人が身を清め参詣の用意をしています。

 茅の輪の中に富士が収まる構図は輪の中に富士世界があることを表していると考えられ、茅の輪くぐりによる厄除けが、実は富士の御利益であることを物語っています。また、富士は水の根源なので、御神木の霊水も富士から賜ったものと理解できましょう。円形と三角形の組み合わせは、たとえば、百景「鳥越の不二」と同じように見えますが、三角形である富士が円形の中に収まっているかどうかで、その意図するところは異なります。本作品は、三十六景「尾州不二見原」の系列に属します。荒ぶる神を鎮める「夏越の祓い」は、富士が身近に寄り添って庶民を導いてくれる様子を明瞭に示しています。

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3-31.武藏野の不二

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 すやり霞が漂う武蔵野の薄(すすき)の向こうに、満月に照らされた富士の姿を描いています。薄墨の中に浮かぶ月の光が、薄野をも照らしているように見えます。すやり霞の間隔の自然な調整によって、巧みに遠近感が表現されており、名所絵として評価してもよい1点です。日本画世界の「武蔵野図」の定型に従っており、本作品に何か北斎流の仕掛け(たとえば、百景「風情面白キ不二」の蹴鞠)を発見することは難しいのではないでしょうか。

 しかし、本作品を左右1対の構図の一部と理解すると、もっと大きな仕掛けに気付きます。右「見切の不二」が準備整わない富士の眺めと船宿の様子を並行的に描いていたのに対して、左作品は、準備万端相整った、江戸っ子自慢の富士の姿を描いているのです。つまり、右作品に描かれていた遠方の富士の本来の様子を、左作品に近影として描き上げたということです。ちなみに、『江戸名所圖會巻之三』(前掲『新訂江戸名所図会3』p374)によれば、当時すでに武蔵野は「往古の風光これなし」なのですが、「月夜」に狭山に登れば、「曠野(こうや)蒼茫(そうぼう)千里無限(きわまりなし)。往古(いにしえ)の状を想像するにたれり」と続きます。だから武蔵野は月夜なのです(百景2編「月下の不二」参照)。

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3-30.見切の不二

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 鈴木・前掲書(p247)が言うように、「見切の解釈がやや不安定」です。本来の意味は、見えてはいけないものが見えてしまうことで、今日的使用方法とは異なります。原意からすると、支柱に立て掛けられた障子の桟に和紙が貼られていないので、その間から見えてはいけない富士が見えてしまっていることを指しているように思われます。百景2編「刻不二」とは相違し、思いもよらず見えているというニュアンスです。

 前景で筆を持つ男は、斜めに立て掛けられた看板に「千客萬耒」「大叶」「ふじや」と書き入れています。その後ろには、「やねふね にたり ちよきふね つりふね」とあって、「屋根舟、荷足、猪牙舟、釣舟」の意味なので、船宿であることが分かります。書き入れられている斜めの看板とその右側に置かれた和紙の包みが、それぞれ富士に相似する三角形をなしています。船宿の入口辺りの風景を写すものですが、そこでの準備仕事が思わず見えてしまった状況と解すれば、これも「見切の不二」です。遠景と近景にともに見切の富士があるという北斎得意の仕掛けです。準備万端整う前の富士と船宿ふじやということです。準備相整えば、2編「掛物の發端」のような状況に至るのでしょう。

 さて、描かれた場所は、船宿ということを勘案すれば隅田川東岸の向島から深川辺り、とくに柳橋の対岸でしょうか。

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3-29.大井川桶越の不二

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 大井川は、江戸幕府の防衛政策上、架橋も渡船も禁止されており、東海道の宿場島田・金谷の間は徒歩(かち)が原則で、そうでなければ、川越人足による肩車と輦台の使用に頼ることになっていました。ただし、これでは両岸の住民などははなはだ生活に不便なので、上流部においては、盥状の桶を利用して5人程の客と2人の漕ぎ手が乗った盥渡しが黙認されていました。建前上、舟ではないということなのでしょう。本作品は、富士を背景に大井川を越える盥舟を描くものです。

 名所絵的要素が少なくありませんが、制作意図としては、水の根源である富士と大井川を組み合わせて、一体化した富士世界を表現しています。くわえて、船頭の持つ竿と盥上の踏み板とが綺麗な三角形を作り、近景の富士になっている点も見落とせません。不安定で危険な盥渡しを富士が見守っているというメッセージが伝わります。反対に、富士も盥渡しをしているのかもしれないという共感性も忘れてはなりません。

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3-28.福録壽

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 「福録(祿)壽」は、道教の3つの願い、すなわち、幸福(実子)、封禄(財産)、長寿(健康)を具現化した存在で、日本では寿老人と同一視されます。下掲北斎漫画11巻の巻頭に描かれる老人の姿がその典型です。

 本作品の場合は、富士の上空に飛ぶ「蝙蝠(こうもり)」を「福」、近景の「鹿(しか)」を「鹿(ろく)」=「禄(ろく)」、そして「不二(不死)」を「長寿」とそれぞれ解し、合わせて「福禄寿」とする仕掛けが施されています(富士と常緑の松との組み合わせとして、百景初編「松山の不二」参照)。蝙蝠と鹿の組み合わせは当時わりと知られた地口なので、北斎のオリジナルの部分は、富士を健康長寿のシンボルと見た点にあります。本来ならば、漢画風の吉祥図になるところ、富士を加えて日本風に仕立てあげたという意味で、北斎流のジャポニズム作品です。

 なお、単純な地口、音韻合わせを超えて、鹿が富士に相似する三角形になっているという絵画的視点も重要です。見開き左頁と1対の作品と考えると、鹿のいる場所は大井川上流と想定されます。

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3-27.狼煙の不二

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 広重『絵本江戸土産2編』「同所 狼煙打上の図」には佃島でのこととして、以下のような説明があります。すなわち、「毎年夏の末より秋に至り、この嶋にて狼煙の稽古あり。都下の老若扁舟(へんしゆう)に棹して是を見物す。宛(あたか)も湖に木の葉の散浮が如し」と。おそらく北斎もこの佃島沖での幕府訓練を描く意図で、あわせて、冬から春にかけて行われる佃島での白魚漁を念頭に、その舟の底を焼く様子を描き加えたものと思われます。舟底を火で炙るのは、腐敗を止めるためか、もしくは松ヤニを塗って防水加工しているかのいずれかと推測されます。

 読み解きの方向は、右下と左上に黒い三角形が2つ、3つとあり、網を干している様子と理解できます。家々の三角形の屋根も含め、これらが近景に富士世界を導き出す記号になっていることは言うまでもありません。白黒の色の対比も意識的なものです。問題なのは、作品中央部分に描かれる舟底を焼いている情景をどう捉えるかです。題名には「狼煙の不二」とあるにも係わらず、描かれた狼煙は遠景の富士の上に小さく見えるに過ぎず、たとえば、狼煙を近景に拡大して描く、広重・前掲『絵本江戸土産』図版とはまったく正反対です。

 白魚漁の舟は、その形が単純には富士に相似する三角形とは見えないのですが、北斎の意図は富士と看做すところにあると仮定すると、「舟底を炙る火」と「富士の頭上にある狼煙」を対比しているのではという思いに至ります。深読みすれば、前景の舟は逆さ富士なのであって、底と思っている部分が実は上部で、そこが炙られていると解せます。逆に、富士の上部にあると思っている狼煙は、舟に見立てられた富士の底部分を炙っていると並行的に理解できます。つまり、遠景の富士は白魚漁の舟に見立てられ、その舟底を狼煙によって炙られていると見ることができるのです。「狼煙の煙で炙られる富士」という発想は画期的ですが、それを近景の舟底焼きと同調させる仕掛けは、さらにだれも思いつかないアイデアです。ここまで推論を突き詰めれば、北斎も、本作品「狼煙の不二」の面白さを十分に読み解いたと言ってくれるように思います。

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3-26.村雨の不二

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 村雨(むらさめ)とは、「群れた雨」の意味で、強く降ってすぐ止む雨のことです。にわか雨、通り雨、驟雨(しゅうう)、白雨などと同義です。したがって、百景2編「夕立の不二」の別バージョンとも考えられます。富士を龍(水)神と捉える思考からすれば、本作品はこれだけで旅人と富士とが一体化し、富士に包まれた旅の情景を描いていると理解できます。直線と薄墨を重ね合わせた雨の向こう側に富士のシルエットが浮かぶ、彫り・摺りの技法もなかなか優れています。

 街道を行く人々は、傘を差し、笠を被り、簔や合羽を身につけて歩いています。その傘に記される「三篇」は、百景「青山の不二」と合わせると、「書肆 ふがく百景三篇」となりますが、本来ならば、版元やスポンサーの広告を入れたいところです。また、作品の構成要素に注目しながら読み解けば、棒手振りが棒に吊す、あるいは漁師が手にぶら下げる荷物の紐が富士に相似する三角形を作っていることを指摘しておきます。さらに大事なことは、シルエットの富士が、雨に濡れる旅人達と全く同じような姿に見えることです。たとえば、後ろから2番目の男の旅姿に似ています。富士も旅人も共に雨に濡れている様子を表現し、その姿への共感が作品の根底にあると気付くことが肝要です。

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3-25.足代の不二

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 足代(あししろ)とは足場と同じ意味です。左官職人が土蔵の壁に土を塗る作業をする足場の彼方に、富士が眺望できるという作品です。隅田川河畔の土蔵群の1つを題材に採り上げているのでしょうが、白壁の上に土を塗る点は納得ができません。雰囲気は、三十六景「本所立川」に似ています。

 さて近景の富士を探すという本稿の定石に従うと、足場の下にいる職人が上の職人に土を渡す、その棒状の道具が富士の前に描かれているのが気になります。右下の桶に入れられた同様の棒と組み合わせると、足場に大きな三角形が浮き上がってきます。足場の横棒との組み合わせによっても、富士に相似する三角形を見つけることができます。これこそ「足代の不二」であり、近景に富士世界が展開し、その恵みがあることを訴えていると考えられます。さらに重要なことは、足場に上がる職人が富士よりも高い所で仕事をしていることです。気が付けば、職人は富士の天上世界にいたという訳です。翻って考えると、遠景の富士も足場になって下働きをしていることになります。

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3-24.橋下の不二

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 歌川広重『甲陽猿橋之図』(竪2枚続)を彷彿とさせる構図です。おそらく、北斎が甲州桂川渓谷を旅した際の着想ではないかと感じます(三十六景「甲州犬目峠」参照)。多くの解説は、渓谷に生える巨木の枝を切り、その幹を橋脚に利用して架した、構想上の橋の下に富士が見えると理解しているようですが、単純に橋桁にぶつかりそうな枝を切っただけの通例の架け橋なのかもしれません。

 橋の左側の崖上に見える三角形の屋根が近景の富士の記号ならば、それと橋下の富士とが橋を挟んで通行の安全を守っていると考えられます。初編「洞中の不二」と共通の構図とも感じられます。その視点から分析すると、「三国の根元」と身禄が言った富士が、庶民が渡る橋の下にあるという謙虚な姿が描かれており、富士が本当に近しい存在であることが分かります。また、橋脚のように見える巨木が富士の依代となって、橋を支えているとも言えましょうか。それは富士が橋を支えているという意味になります。見方を変えれば、巨木信仰を富士講信仰で裏打ちしたところにおいて、本作品は成立しているということです。

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3-23.網裏の不二

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 『江戸名所圖會巻之一』図版「佃島 白魚網」(前掲『新訂江戸名所図会1』p198~p199)を参考にすると、本作品は隅田川河口の佃島辺りの白魚漁を念頭に置いていると考えられます(百景2編「嶋田か鼻 夕陽不二」参照)。ただし、実際の網に比べ、本作品の四つ手網はかなり縦長に描かれています(有泉・前掲『楽しい北斎』p201)。とはいえ、その網の背後に富士が透けて見える構図はなかなか秀逸ですし、網の表現を支える彫りの技術も相当高度なことが分かります。なお、北斎『千絵の海』「相州利根川」に、本作品を反転させた形式の作品があり、北斎も気に入っていたことが分かります。

 四つ手網を使って白魚漁をしていた漁師が思いがけずに、富士を網に捉えてしまった面白い光景を描写することが本作品の制作意図なので、意識的に網を縦長にして富士の丈に合わせたと想像されます。また、網の骨自体が富士に相似する複数の三角形を作っています。近景に富士世界を導き出す記号です。なお、仕掛けという観点では、網の背後に富士があるのではなく、網の中に富士があると考えて初めて、人と富士との近しい関係を表現する『富嶽百景』の1枚となるという理屈です。

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3-22.青山の不二

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 三十六景「青山圓座枩」という作品があることを考えると、本作品は同作品へのオマージュか、進化型ではないでしょうか。傘が「圓座枩」に見えてきますが、画中に逆さ富士を隠していた「青山圓座枩」程の仕掛けは本作品には見当たりません。その分、白い傘と青空との対比が綺麗に、また日差しさえ感じられます。情景は、職人が白張りの傘に桐油を引いて日に干しているところです。傘には「ふがく 百景」「書肆(しょし)」とあります。

 本稿の分析方法に従うと、傘の間から富士を見上げる職人の前後に閉じられた傘が置かれており、それらが近景の富士を示すものとなります。遠景と近景の富士の中で職人が仕事をしながら、ふと実際の富士を見上げた一瞬の様子です。作品の読み解きで重要なことは、遠景の富士も一連の傘の1つに見えるところです。富士を傘に見立てているところまで読み解かないと、北斎が目指した庶民と近しい存在である富士を描くという百景シリーズの趣旨を理解するには至りません。

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3-21.村堺の不二

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 百景初編「烟中の不二」、同3編「曇天の不二」、三十六景「東海道程ケ谷」など、富嶽シリーズには村境に建つ道祖神と富士とを重ね合わせた作品群があり、本作品もその系列に属します(個人的には、「結界の富士」と名付けています)。題材は、村の出入り口の道に魔を防ぎ、追い払うための注連縄と御幣を供える「道切り」の行事を描いています。悪霊・疫病神は道を伝ってやってくるという考えから、境界にそれを退散させる標を置いて祈願するのです。霊的な検疫システムという訳です。

 作品の左隅に三角形の藁積みがあって、近景の富士を形作っています。遠景と近景の富士の間に道切りの標があるということです。重要な視点は、御幣の重みで逆三角形になった注連縄の背後に富士を描いている幾何学的構図で、この逆さ富士が依代となって、境界を守っているのが実は遠景の富士であると感じさせる工夫こそ評価されるべきです。近景2人の女が振り返り、その内の1人が指差していますが、その先にあるのは道切りの逆さ富士でしょうか、それとも背景の富士でしょうか。もちろん、両方でなければなりません。視点を変えれば、遠景の富士も道切りの標となっていることを理解する感性が必要です。

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3-20.瀧越の不二

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 前作品「鳥越」の地口としての「瀧越」ですが、背景の空に鳥が舞っているところを見ると、さらに「瀧越」の先に本当の「鳥越の不二」があるという仕掛けでしょうか。百景2編「冩真の不二」、「筧の不二」、「谷間の不二」など水を主題に採り上げる作品の多くは、富士が水の根源で、水そのものが富士の依代になっていると考えられます。そのためか、これらの作品系列では、近景に富士に相似する三角形を見つけることが困難なことが多いのです。本作品もその典型で、子供を連れた夫婦の杣人が山道を帰路につくその脇に滝が流れ落ち、その先の2人の男の背後に富士があります。女の足下に水煙が上がっているので、それなりの瀑布のはずですが、不思議なことに、そう見えない平板な滝の描写です。

 深読みすれば、女が持つ斧と男の持つ杖とが富士に相似する三角形を形成していると解すことができなくもありませんが…。北斎の作品傾向を考えると、平板な滝は意図的な仕掛けであると推測できます。とすると、背後の富士と相似させるつもりなのではないでしょうか。言い換えれば、遠景の富士の中に近景の滝を見ているということです。同様の構造は、後掲「狼煙の不二」でも発見できるので、そこで詳述することに致します。なお、「瀧越の不二」について、イメージ的には伊豆・天城峠の浄蓮の滝が思い浮かびます。

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3-19.鳥越の不二

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 本作品は浅草鳥越の天文台、すなわち、江戸幕府の役所機関「天文方」の施設「頒暦所(はんれきじょ)御用屋敷」を描くものです。富士をバックに、天体の位置を測定する器具「渾天儀(こんてんぎ)」を据えた場所から、役人が富士を眺めています。手前の屋根は、天体の高さを測定する「象限儀(しょうげんぎ)」を置いた小屋と思われます。文化8年(1811)には、「蕃書和解御用」という外国語の翻訳局も設置されています。「司天台の記」によると、周囲約93.6m、高さ約9.3mの築山の上に、約5.5m四方の天文台が築かれていたそうです。伊能忠敬も当地へ通っていたと言います(台東区教育委員会HP参照)。

 百景2編「窻中の不二」、三十六景「尾州不二見原」などと構図が似ていますが、背後の富士が円の中に収まっていない点が根本的に異なっています。手前の、象限儀を置いた小屋の屋根が富士に相似する三角形を構成しており、遠景の富士に対する近景の富士であることが分かります。また、富士を幕府の天文観測施設と組み合わせる構図は、妙見信仰の観点に基づいて富士を地上の北極星と看做す北斎の発想からはよく理解できます。しかし、富士が渾天儀を越えて聳え立つ姿は、外国語翻訳など海外の知識の粋の上に日本の富士があるという、ジャポニズム(日本化・日本主義化)を狙った作品として把握すべきです。百景3編「朝の不二」や同「兀良哈の不二」と同系列の作品です。

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3-18.稲毛領夏の不二

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 本作品でいう「稲毛領」とは、房総にある稲毛海岸の地を指しているのではなく、武蔵国の多摩川両岸、現在の川崎と横浜にまたがる地域であると思われます。「調布の玉川」と言われるように、古より絹織物を朝廷に納めていた地域で、百景2編「月下の不二」では、多摩川の川辺で砧打ちをする情景が描かれていたことを思い出して下さい。本作品でも、手前の川岸では布を運ぶ人々が、対岸では砂の上に布を晒している人々がそれぞれ描かれています。何よりも、左頁には多くの布が竿に干されている様子が確認できます。

 近景に富士を見つけ出すという常套手段を使用すると、一番左の干し竿とその右側の干し竿、そしてそれに連なる河岸段丘が作る大きな三角形に気付きます。また、右頁、対岸の砂地が逆さ富士を形作っているように見えます。これらによって、此岸において昼食を摂っている人々、また彼岸で布晒しの作業に就いている人々、近景にいる全ての人々が富士と一体となった世界にいることが明確になります。さらに重要な点は、遠景の富士が布状の筋雲に覆われ、まるで晒した布に包まれているように描かれていることです。帯状の雲に覆われた遠景の富士を、北斎は近景にある多摩川の布晒しと読み解いたということです。

 百景を名所絵あるいは風景スケッチと位置づける視点がいかに不十分なものであるかを上記で指摘しているのですが、作品に隠されたからくりが読み解ければ、北斎が構想した物語が自然と理解できます。その場合、百景を「絵本」と位置づける視点が前提となることでしょう。なお、本作品は、『百人一首 うはかゑとき』「持統天皇 春過て 夏きにけらし しろたへの 衣干てう 天の香久山」とモチーフが同じと思われます。香具山を富士に替えれば良いのです。逆に、『百人一首』は「調布の玉川」を意識しているのかもしれません。しかし、百景に比べ、遠景と近景の景色や事物の相関関係がかなり希薄で、画中の仕掛けが弱く感じられます。この辺りに、百人一首シリーズ中断の理由があるのかもしれません。

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3-17.甲斐の不二 濃男

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 「濃男」が農作業する男を意味する「農男」と同じならば、富士山麓の雪が消えかかる際に、山肌に残る雪形の一種です。農男が見えた頃より、里で農作業が始まるという習慣があって、鈴木・前掲書(p243)によれば、これは、「駿河国」の土俗として紹介されています。また、小島烏水『雪の白峰』(『青空文庫POD』2017、p6)によれば、「甲府方面からは、富士の『豆蒔小僧』というのが見える」とあるので、農男を甲斐での現象とする部分には確かに疑問が残ります。ただし、そもそも本作品は雪形の農男ではなく、墨色の黒い地形が農男に見えるということなので、北斎の新解釈と考えて良いのではないでしょうか。

 作品の中景に三角形状の網がいくつも張られています。おそらく、苗代を守るための防雀網・防鳥網と思われ、これが近景の富士を形作っていることは言うまでもありません。その近景の富士の前で農男がまさに田圃仕事をしている様子が、遠景の富士の山肌に残った農男の地形と相似しており、そのからくりを楽しむための作品です。「甲の不二」かどうかより、北斎が甲府旅中にでも思いついた新アイデアと理解すべきでしょう。

 本作品から明らかなことは、富士の前面に展開される情景の多くが、富士見立てになっているということです。本作品は、近景に富士世界を探し出すという観点が間違っていないことを、明確に証明する1点です。

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3-16.風情面白キ不二

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 僧侶と寺男が見守る中、蹴鞠に興じる1人の僧侶が転倒したのを皆で笑い合っている情景です。その時、ちょうど蹴り上げた鞠が富士の頂上辺りに位置し、まるでダイヤモンド富士、もしくはパール富士のように見えた奇景を紹介する作品です。鈴木・前掲書(p243)は、「この趣向は案じ過ぎて興が薄れる」と述べています。しかし、現代ならば、「インスタ映え」がする面白い描写に当たることでしょう。遠景の富士と近景の鞠との距離感を相対化し、一体化した世界を写しています。さらに一歩進めて、富士も転倒しながら蹴鞠(今日的にはヘディング?)をしていると読み取っても良いと考えます。

 怪我の功名となった、その風情が面白いという視点に、北斎の遊び心が溢れています。富士を日常的笑いの世界に取り込み、富士を庶民の身近に置こうとする意図を拾い上げるべきです。蹴鞠する僧侶を転倒させるところが北斎の卑俗的性格の部分ですが、僧侶の右足の直線は富士の稜線に相似させているのかもしれません。さらに、見ている僧侶と寺男の腕の直線にも同趣向を感じます。すべて近景の富士です。

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3-15.八堺廽の不二

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 『東海道名所圖會』(前掲『新訂東海道名所図会下』p53~p54)には、富士は、「形、蓮華を合するに似たり。絶頂は八葉層々、第八層に至る。中央に大窪(だいわ)あり。窪底に池水を湛う。色、藍の物を染むるがごとし。これを飲めば、味、甘酸にして、諸疾を治す」とあり、富士の頂上部に8つの峰があって、それが火口を取り囲んでいること、また、かつては火口に水が湛えられていたこと等が語られています。この火口周辺の8つの峰(八神峰)を富士講の信者が廻る様子を描くことから、本作品は、「八堺廽の不二」と題されています。なお、「お八巡り」、「お鉢巡り」とも呼ばれることもあります。富士講の信者が、火口の神峰やその他の聖地(久須志神社・虎岩・銀明水・富士山本宮浅間大社奥宮・雷岩・釈迦の割れ石・金明水)を巡るのは、火口に浅間大菩薩が坐し、富士こそがその「根元」とする身禄の教えを体験しようとしているからに他なりません。つまり、参拝行為なのです。この点では、前作品「田の不二」に示された里の富士世界や富士詣りの様相とはかなり異なっています。

 本作品は、おそらく、吉田口から登頂した信者一行が、頂上部を剣が峰に向かって時計回りに回っていく姿を描くものと思われます。墨色に塗りつぶされている所が火口部と想定されているのでしょう。右図には、笠を預け崖をよじ登り、火口を垣間見て、そして左図において、再び笠を被り直して1列に歩んで行く様子が描かれています。人の流れを北斎のサービス精神から、まるでカメラの連写のように表現している点が特徴的です。S字状の(蛇行する)人の流れに意識が向かう結果、富士火口の神聖な姿に目が行かないきらいがある点は、良くも悪くも北斎らしいところです。富士登頂を象徴(構想)的に描いた1枚であり、「誇張に過ぎている」と言われる所以です(鈴木・前掲書p243参照)。

 百景2編「冩真の不二」や同3編「阿須見村の不二」など、富士の湧水の地(近景の富士世界)を念頭に置くと、「八堺廽の不二」は湧水の源流地(遠景の富士)を描いていることが分かります。富士の湧水で水垢離をし、富士登頂に出発し、火口において富士登頂が完結するのは、火口で水の根源である浅間大菩薩(木花咲耶姫)を遥拝するからです。蛇行する行者の一連の流れは、水神としての蛇(龍)体を表現するものとして理解してはどうでしょうか。北斎が、信者の登頂・下山の様子を蛇行で特徴づけている点については、百景初編「不二の山明キ」「辷リ」を参照下さい。

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3-14.隅田の不二

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 題名から隅田堤であることは間違いなく、桜越しに富士を遠望するとなれば、隅田川東岸の向島辺りかと想像できます。花見をする庶民と富士との組み合わせは、百景初編「花間の不二」と三十六景「東海道品川御殿山ノ不二」にあります。絵の趣は全て同じように感じられます。

 富嶽シリーズでは、近景に富士世界を出現させる仕掛けを見つけ出すことが読み解きの糸口です。まず構図的には、右頁の下半分に大きな三角形状の丘が描かれているのが見つかります。また、遠景の富士との対角線上にある、茅葺き屋根が明確に三角形を作っていることに気が付きます。これらの記号によって、近景にも富士世界が存在することが意識化されます。

 さらに進んで、富士の本質論からは、遠景の祭神「木花開耶姫命」が桜を象徴するのに対して、近景に咲くのはまさに桜そのものなので、両者相呼応して、一体とした桜の世界が見えてきます。遠景も近景も、「木花開耶姫命」の世界であり、桜の世界であるという訳です。言い方を変えれば、桜が富士の依代となっていると言うことができます。反対に、富士の山腹から裾野は桜でできているかのようにも見えます。本作品からは、富士世界が、庶民が集い花を愛で酒席を楽しむ等極楽のような場所であることが発信されており、三十六景「東海道品川御殿山の不二」では、御殿のような場所であることがやはり発信されているのです。私達は、あるいは今日の浮世絵解説では、北斎が富士を本当に近しい存在と捉えていることを見落としているのではないでしょうか。

 なお、三十六景「東海道品川御殿山ノ不二」について付け加えれば、作品中央部分全体が大きな三角形の丘を作っており、これが近景の富士となっています。そのうえで、桜の木々が富士の依代となって、近景に「木花開耶姫命」の世界を導き出しているのです。人々が舞い踊るほど明るく楽しいのが富士世界なのです。江戸に住む富士講の信者にとっては、富士は行事や行楽の対象なのでしょう。他方、修験道、または富士に登山する富士講の信者にとっての富士が、それと同じものなのかどうかは別問題です。これを示すのが、次作品「八堺廽の不二」です。

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3-13.阿須見村の不二

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 「阿須見村」は、現在の山梨県富士吉田市の明見のことで、富士八海の1つ明見湖の湖畔にあります。富士講開祖長谷川角行が水垢離した場所で、吉田口登山道の入口に当たります。有泉・前掲『楽しい北斎』(p200)が指摘するように、明見からは富士がとても大きく見えます。北斎は、実際に甲州を訪れたことがあると推測されるので(百景初編「霧中の不二」解説参照)、この事実は知っていたでしょう。にもかかわらず、民家の屋根と屋根の間から、頭の先のみを覗かせる富士の姿です。

 間違いないのは、富士を屋根の1つと看做し、反対に屋根を富士頂上部と看做し、両者を相対化して、遠景と近景の一体化した世界を描く百景シリーズ共通の表現様式であることです。しかし、なぜ民家の屋根の背後に、大きく見えるはずの富士をこれ程までに小さく描いたのでしょうか。その理由は、まさか見えないと思われるのに見える「兀良哈の不二」に対して、絶対見えるはずなのに見えない「阿須見村の不二」を対比するイタズラ心だと考えられます。

 また、「阿須見(あすみ)」という言葉から、「あ!隅に見える富士」の地口を狙ったのかもしれません。見開き左右頁で1対の作品とすると、「富士はオランカイ、あ、隅に見える!」と繋がる地口ともなります。もしそうならば、北斎は、目一杯、富士と戯れています。

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3-12.兀良哈の不二

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 「兀良哈」(ウリャンハイ)とは、元々は明時代、蒙古東部の地方を指した言葉です。北斎は、以下のような経緯があって、「オランカイ」と読ませる趣旨でしょう。すなわち、文禄の役(1592年)で加藤清正が朝鮮半島咸鏡道(ハムギョンド)に侵攻し豆満江を渡った際、辺境地域一般を朝鮮の方言で「オランカイ」と呼び、それに「兀良哈」という文字を当てました。そこから誤解が生じ、清正が満州・女真族の国都まで攻め入ったという伝説が生まれることになります。その清正の朝鮮征伐を念頭に置いて、北斎は朝鮮半島北部豆満江辺りを想定して本作品を描いたものと思われます。おそらく、奇岩のあった豆満江岸から富士を遠望する構図と想像できます。実際に「小富士」と呼ばれる富士に似た三角錐の山が見えるので、北斎はオランカイに関する風土資料を下に、地域の○○富士を描く趣旨で制作したものと考えられます。

 日本で言う棒手振りの棒に吊るされた荷受の紐が作る三角形が、近景の富士の記号となっています。しかしながら、本作品鑑賞の要は、中国東北部という海外風景に富士が描き加えられることによって、日本(主義)化されている点です。ついには、富士が国体となっていることさえ感じる作品です。百景3編「朝の不二」、同「水道橋の不二」と同様、富士を「三国の根元」と捉える身禄の思想を受けた作品系列に属します。

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3-11.羅に隔るの不二

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 「羅」は元来鳥を捕まえる網を指しますが、ここでは蜘蛛の網(巣)の意味で使われています。後掲「網裏の不二」と同様、網の背後に富士が見えるという発想です。しかしながら、同心円を描く実際の蜘蛛の網とは異なっており(有泉・前掲『楽しい北斎』p199)、かなりデザイン化されています。

 蜘蛛の網に紅葉らしき葉が1枚引っ掛かっていますが、この意味を考えると、おそらく、富士が蜘蛛の巣に引っ掛かっているかのような光景を意識させるために、面白く対比表現を採ったものと思われます。つまり、落葉を富士の依代として、富士との近しい関係が手際よく描かれています。さらに深読みすれば、蜘蛛の網の中心(こしき)から光が溢れているようにも見え、また網に掛かる落葉が紅葉ならば太陽の赤のイメージのようでもあり、いずれにしても、富士を日神とする富士講信仰を強く感じさせる作品です。見開き右頁の「水道橋の不二」との関係では、神田川の水紋のようにも、その水面に映った富士のようにも見えます。左右1対の作品ということに拘るならば、神田川の岸壁近くの木々に作られた蜘蛛の巣越しに富士を眺望し、その情景を切り取った作品なのかもしれません。

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3-10.水道橋の不二

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 三十六景「東都駿臺」、広重・江戸百「水道橋駿河臺」を見れば分かりますが、水道橋辺りの神田川の上流方向に富士を眺望することはできません。地理的には、絵の左側方向に位置しています。しかしながら、御茶の水付近の断崖風景は、「小赤壁」と呼ばれる名所で、そこに富士を描き加えるのは定番の構図であり、北斎もそれに従ったということです(『江戸名所圖會巻之一』図版「御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」前掲『新訂江戸名所図会1』p106~p107参照)。

 ただし、川を下る高瀬舟に荷物を三角形に山高く積み上げる技法は、近景に富士世界を導き出す北斎お得意のものです。遠景の富士と近景の生活の中にある富士とが一体となって、1つの世界を作っていることがよく分かる作品です。さらに、富士を水の根源と考える富士講信仰からは、神田川の水が富士に淵源するかのように感じられます。また、中国由来の「小赤壁」を、日本の富士の引き立て役に使う表現方法は、日本型華夷秩序を示すものとして、庶民の心をくすぐるはずです。

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3-9.跨キ不二

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 三十六景「尾州不二見原」と「同巧異曲」(鈴木・前掲書p239)という評価も納得です。大きな槌、底のない桶の箍(たが)を打つなど、構想優先の作品です(有泉・前掲『楽しい北斎』p197参照)。「キ不二」とは、桶を跨いだ股の間から富士が見えることが第一義とは思われますが、富士も桶を跨いで桶職人を助けているという視点も重要です。富士も桶職人と同じように仕事をしているという共感が生まれるからです。前作品と同様に、気が付けば側(股の間)に富士がいるという近しい感情を狙った作品です。

 深読みすれば、富士自身に箍を嵌め込んでいるようにも見えます。さらには、槌を振り上げる職人のポーズが富士の右稜線を形作っていると看做すならば、近景に大きな富士世界が出現することになり、富士講信者の共感を強く受けることと思われます。とすると、「着想としてはあざとい」(鈴木・前掲書p239)という批判もかなり軽減されるでしょう。北斎の百景作品の理解には、富士と庶民生活とが一体となって同じ世界を作っているという感性が必要で、あまりに富士を神聖視する思考は北斎のものではないと言えます。

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3-8.暁の不二

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 三十六景「隅田川関屋の里」を彷彿とさせる作品です。宿場の高札場を出て堤を疾走する3頭の早馬を2人の早(継)飛脚に入れ替えたもので、制作意図は同じと考えられます。そのことから、背景の富士は暁の光に照らされて赤富士となっているか、あるいはその直前と推測できます。三十六景および百景作品いずれにも、人馬の料金、法度、道徳を記した高札場が描かれており、この高札場の存在には一定の意味があると考えられます。

 高札場の屋根が三角形で、屋根の色も同系色という点で、近景の富士に見立てられている可能性があります。富士の依代として使われているのかもしれません。逆に、遠景の富士を高札場と見立てるならば、宿場の出入り口に富士の高札場があり、早(継)飛脚を見送っている風情です。また、遠景と近景の2つの高札場と2人の早飛脚とが対比されていると見ることもできます。とするならば、文を入れた箱を担いだ早飛脚と同じように、富士も朝早くから仕事を始めているという共感が生まれてきます。気が付けば側に富士がいるという近しい感情を狙っていると理解できます。

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3-7.来朝の不二

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 朝鮮通信使の来朝風景です。羽根のついた唐人笠を被り、チャルメラ(唐人笛)などを吹く楽隊を同行しています。「通商」ではなく、「通信」という言葉には、正式な外交関係があるという意味があります。朝鮮通信使に対しては富士を見せることが大事で、そのため、京より東海道を下って江戸へ向かうルートが選ばれました。本作品は、北斎の文化8年頃(1811)の中判作品『絵本驛路鈴』シリーズ『東海道五十三次 十四 原』(伊勢谷利兵衛)の延長線上にあると思われます。なお、百景初編「豊作の不二」には、朝鮮通信使の姿を模した唐人飴売りが描かれています。

 富士講信仰には、身禄の「不二は三国の根元」という思想があるので、朝鮮通信使の来朝風景を描く作品は、富士が世界の中心にあることを端的に語るものと信者には映ったことでしょう。通信使の顔が全て富士に向けられていることについて、「皮肉な描き方」という見解がありますが(鈴木・前掲書p238)、逆に、この表現こそが富士講信者にアピールする重要な部分なのです。あたかも、富士参詣のために来朝したかのような印象があります。中国を中心とする国際秩序に一矢報いたいという当時の江戸庶民の雰囲気からすれば、富士を中心とする日本型中華(華夷)秩序を構成する絵として、大いに受けたことと思われます。

 さて、本作品で見落としてはならないのは、右頁右下部分、木札の両側に見える2つの三角形です。おそらく、盛砂もしくは斎砂(いみすな)と考えられます。貴人を迎える際に車止めなどの左右に築かれた砂山のことで、神の依代であり、その場所を清めるためのものです。木札が立てられていることと合わせて推測すると、通信使一行が休憩・宿泊する施設が枠外の近景にあるのかもしれません(広重・保永堂版東海道「關 本陣早立」参照)。北斎が窮屈な構図の中に敢えて描き込んだのは、富士に相似する三角形であり、また盛砂(斎砂)が神の依代であるからでもあり、この仕掛けによって近景に富士世界を出現させる意図があるからです。顔が全て富士に向けられている通信使の背後に、実は盛砂の富士があったというユーモアを発見して初めて、作品を正当に評価できるということです。深読みすれば、遠景の富士が反対に盛砂に見立てられ、遠景と近景の盛砂の間の清められた街道を朝鮮通信使が旅しているという奇景を描いていると理解されましょう。

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3-6.曇天の不二

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 百景初編「烟中の不二」を一部切り取ったような作品です。富士を覆い尽くす積乱雲が湧き立ち、それに気付いた旅人が雨除けの合羽を用意している図です。雲の背後に富士があるのか、それとも富士のように見える雲なのか迷うところですが、富士シリーズなので、富士が雲に覆われていると判断します。前作品に続いて、富士を龍(水)神と見る視点の作品です。

 近景の道祖神が富士の依代となっており、同時に湧き立つ雲に覆われた富士との相似形を作っています。遠景の富士の気象変化が、近景の旅人の旅模様に影響を与えるという密接な相関関係が画題となっています。人々の生活が富士と一体となっている様子は、富士講信仰の根本的思想と一致します。道祖神は、村境など結界に祀られ、旅の安全を守るものなので、富士との一体感は道中に安心感を必ずやもたらすものと考えられます。なお、道祖神、青面金剛、龍(水)神祠、大口真神、その他不動明王の祠など、多く神仏を北斎は依代として利用し、富士の恵み・御利益を此岸に導き出しています。結局は、本地は富士にあるという発想です。

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3-5.市中の不二

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 三十六景「東都浅艸本願寺」、同「江都駿河町三井見世略圖」、百景「七夕の不二」等を彷彿とさせる構図です。瓦屋根の間から富士が顔を覗かせ、富士と屋根とを相対化させて、屋根の1つに見立てられた富士を含めた家々の屋根の間に、火の見櫓が建っているという情景です。富士山頂よりも高い火の見櫓という訳です。富士の右側稜線に並行する凧の糸は、美術的表現を超えて、やはり江戸市中に富士世界を出現させるための仕掛けです。凧の糸が作る富士塚の稜線に火の見櫓の梯子が重なり、見張りの火消しは、凧の富士塚を登るがごとくに見えることが想像されます。

 本題とは離れますが、火の見櫓に瓦屋根の家々という景色は、江戸が防火対策に優れた町であることを象徴するもので、江戸っ子自慢の景色です。そこに富士が重なるのですから、富士世界との一体性を離れても、美しい防火都市と感じられることでしょう。本作品は、富士を龍(水)神と捉えている作品の1つと理解すべきです。

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3-4.貴家別荘砂村の不二

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 砂村と言えば、広重『名所江戸百景』に「砂むら元八まん」という作品があり、深川洲崎の東端に続く海浜地域が描かれています。切絵図『本所深川繪圖』(前掲『嘉永・慶応江戸切絵図』p54~p55)には「砂村新田」とあり、深川八幡宮の元宮や大知稲荷がある他、「松平出羽守」の敷地が記されています。深川洲崎から富士塚があった元宮へは蘆原を通る一段高い道があり、北側は本所まで田園が広がり、南側は房総半島が見通せる海が続くという場所です。2編「洲嵜の不二」、「嶋田か鼻 夕陽不二」などと同じく、富士講の拠点地域の周辺を紹介する作品の1つです。

 和船の舳先部分を利用した祠に、「水中出現不動明王」という木札が付けられており、おそらく、漁師の網に掛かったか、流れ着いた不動明王が祀られているのだと思われます。言うまでもなく、この不動明王の祠が遠景の富士の依代となっています。高潮被害の多い地域なので、治水・波除などを祈願して、「貴家別荘」にて大切に守られているのでしょう。砂村の西側地区は木場なので、別荘があってもおかしくない環境です。作風は、作品の中央部に不動明王を描く三十六景「相州仲原」に似ています。ということは、釣竿と釣り糸には要注意ということです。

 2人の釣竿が交錯している点を捉えて、「単純なマナー違反」を描くものという指摘がありますが(有泉・前掲『楽しい北斎』p194)、重要なのは、なぜ北斎がこのような状況を描くのかをさらに探るべきことです。不動明王の祠の三角形と交錯する釣竿が作る(鋭角の)三角形との相似という、美術的技法の応用が1つ考えられます。しかしながら、『富嶽百景』は富士が主題なので、単純に(鈍角の)三角形が遠景の富士に相似し、近景に富士世界を導き出していると見た方が自然です。あるいは、左端の釣り人の釣竿とその右隣の釣り人の釣り糸が逆さ富士を作っていると認めた方が、もう一段説得力がありそうです。いずれにせよ。不思議な構図と感じられる部分にこそ、北斎の仕掛けが施されているのです。

 なお、本作品では富士の裾野を蘆か笹のような植物が覆っています。『江戸名所圖會巻之七』の図版「砂村冨岡元八幡宮」(前掲『新訂江戸名所図会6』p36~p37)には、「此辺矢竹多し」と記されるので、その植物は矢竹ではないでしょうか。とすれば、全くの構想図ではなく、ある程度、実地に基づいていると言えそうです。さらに、深読みすれば、矢竹の林を富士の前面に位置する大山と見立て、その本尊の不動尊と近景の不動明王とを結びつけていると推測することも可能です。

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3-3.深雪の不二

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 3編巻頭の「赤澤の不二」は、正月の吉例となっている『曾我物語』から題材を採っています。次の「男體山行者越の松」は、正月初子(はつね)の行事である「子の日の小松引き」に係わる、五葉松の大樹が題材です。この流れを意識すると、「深雪の不二」は、やはり、正月に降る新年の雪を愛でるという視点で採り上げている可能性があります。つまり、吉祥図として読み解く必要性があるということです。

 なお、浮世絵表現において、雪は再生や(再)出発のイメージを表すことが多く、本作品もいよいよ3編が実質的に始まることを告げるものです。「大雪に富士山が山頂までこのようにはっきり見えるはずはない」という指摘がありますが(鈴木・前掲書p237)、広重・保永堂版東海道「蒲原」と同様、心象表現と理解すべきで、この風景がどこにあるかという名所絵的分析ではなく、表現意図を丁寧に探ることが肝要です。ただし、直感的には、原宿辺りの雪景色かと想像されます。

 牡丹雪の降る様子は、厳しい山岳というよりは、里の穏やかな季節表現と感じられ、街道を旅する人々を柔らかく包み、その背後にある深雪の富士も、親しく人々の傍らで見守っている存在と看做されます。2編「冩真の不二」の「八海廻り」を思い起こすと、富士に降り積もった雪が地下水となって湧き上がり、人々の口を潤す水となる訳なので、龍(水)神としての富士の原点を表現していると考えられます。また、同「三白の不二」を想起すれば、雪によって、遠景(心象)の富士と近景の街道を歩く旅人とが一体化することになります。旅人の足元の表現方法は同「雪の且の不二」と共通し、その意味では、「絵空事」というよりは(鈴木・前掲書p237)、狂歌的世界を描いていると言ったほうが正確なのではないでしょうか。

 さらに、深読みすれば、本作品の右頁の旅人は7人で北斗七星を形作り、左頁7+1の旅人は北斗七星と北辰星という妙見信仰を基本とした構図と考えられ、いずれも北斎の個人的信仰を経由してはいますが、人々の富士への信仰が作品の基底にあることをよく描いています。空から降る雪を天からの贈りものとすれば、本作品は宇宙の根本を写しているようにも思えます。おそらく、人と富士とを対立的に捉えようとする見方では、重い足取りの旅人と雄大に聳え立つ富士を対比させることでしょう(山形美術館図録『北斎 富士を描く』p103参照)。富士講信仰から出発すれば、旅人も富士も共に同じ雪の下にあるという一体感を読み取ることとなり、そうでなければ、初めに触れたように、本作品を吉祥図と見ることはできなくなります。

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3-2.野州遠景の不二 男體山行者越の松

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 有泉・前掲『楽しい北斎』(p193)は、「『行者越の松』の様な松がこの世に存在する筈も有りません」と一刀両断に切り捨てていますが、実景としてではなく、その構想の意図を読み解いてみましょう。北斎の付けた題名をたよりにすると、場所は下野(しもつけ)国男体山のどこかで、鈴木・前掲書(p236)は、『日光山志』巻3にある「如宝山(によほうざん)の蔓延松(はひまつ)」が恐らくそれであろうと推測しています。同『日光山志』には、「如宝山の蔓延松 姫小松と称する五葉なり 山中に多く生ず 是は如宝山の北裏にあり」、「峰修行する行人此松の枝上を渡り 禅頂する道なり」と記され、掲載図版「如寳山の靈松」には、谷川が流れる岩山を這い伝わって延びる松の繁茂が描かれています。「行者越の松」は、この姫小松(五葉松)と見て間違いないでしょう。男体山から実際に富士を遠望することはできますが、「行者越の松」は「如宝山の北裏」にあり、その地点から富士を遠望できないので、時間的経過を省略し、行者が枝上を渡る如宝山の霊松とその後見える男体山からの霊峰富士を重ね合わせた構想図と考えられます。つまり、男体山の勝景紹介がベースにあるということです。

 「行者越の松」が、『日光山志』に記載される蔓延松(はいまつ)とするならば、「姫小松と称する五葉なり」という説明があるので、千年の齢をもつ松の若木を根から引き抜きその長寿を譲り受ける、正月の初子(はつね)の日に子供に引き抜かせる小さい松のことであると分かります。また、五葉松は、「御用を待つ」という語呂から仕事が舞い込む縁起物と扱われます。いずれにせよ、長寿と良い縁起を象徴する存在です。行者がこの松に祀られる祠に向かうのは、正月初子の行事と同様、長寿な松の精気を授かる行為と理解できます。また、富士を遠望するのは、富士の霊気を感得する行為と考えられます。このような松と富士が揃う構図なのですから、本作品は間違いなく吉祥図です。

 では、百景3編を読み解く際の手本とするため、当吉祥図に潜む北斎の構想上の仕掛けをいくつか抽出してみましょう。

 第1は、遠景と近景の富士を使って彼岸と此岸を相対化させる手法が内在しています。すなわち、遠景の富士を「行者越の松」に見立て、反対に近景の「行者越の松」を富士に見立て、富士と一体化した世界を描いています。それによって、富士が我々のすぐ側にあると認識できます。

 第2は、祠を依代とする手法が用いられています。すなわち、「行者越の松」の上にある祠が富士神霊の依代となって、此岸に富士世界を導き出しています。三十六景・百景作品では、その他、鳥居や神木などが依代としてしばしば利用されています。

 第3は、富士の三角形に対して、円形や半円形を近景に対比する形で描く手法です。すなわち、橋などの円や輪の形は、調和、(夫婦)和合、平和を暗示し、また此岸と彼岸を結ぶ存在として永久(とわ)をも意味します。その中に富士があるというのは、富士がその象徴であり、富士世界が平和や永久を導く存在であるということを表現しています。富士が数学的中心ではなく、ほぼ中心に描かれることが多いのは、権威ではなく、自然な形で側に近しく坐しているという発想です。「気が付けば傍らに富士(その恵み・御利益)がある!」という意識です。

 第4は、妙見信仰の表出です。すなわち、北斎が富士講信者の信仰に共鳴し、その観点だけから作品を制作していると考えるのは早計で、たとえば、本作品では、行者の数が7人で、北辰星・北斗七星を信仰の象徴と解する妙見信仰を読み取ることができるからです。おそらく、北斎は、、富士講の信仰だけではなく、自身が篤く信じていた妙見信仰の観点から富士講を捉え直して各作品を制作していると推測されます。したがって、宇宙の中心に北辰星があってその周りを北斗七星が巡るように、地上の中心に富士があってその周りを7人の行者が巡るという構図となるのです。

 第5は、日光が舞台であるという名所絵的視点です。すなわち、「男體山行者越の松」が『日光山志』から題を採ったとするならば、本作品は日光の奇景紹介であることに帰結します。この場合、東照大権現の聖地として、江戸を北方から照らす「日光」は、日神である富士との親和性を十分に示しています。

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3-1.富嶽百景三編・赤澤の不二

◇本稿の視点

 鈴木・前掲書(p203以下参照)は、「とに角まとまりをつけようという意図を当編からは感じる」と述べ、その原因として、版元西村屋与八の家業不振を推測しています。手早く版行する必要に迫られ、「相当無理な構図を挿入したのであろう」という訳です。ただし、結局は西村屋からは販売されず、名古屋の永楽屋東四郎(東壁堂)の手に渡って、北斎晩年の嘉永2年頃発刊されることになります。

 初編・2編は、1つには富士を日神と、他には龍神(水神)と見て、それに付合する情景を主に描き上げています。その背後には、富士講信者の信仰を意識し、かつ北斎の個人的な妙見信仰を被せて制作しているように感じます。言い換えれば、富士の本質を先に捉えて、そこから富士の姿を導き出しているということです。つまり、演繹的方法論であり、伝統的表現では「略図(やつしえ)」の技法です。

 これに対して、3編は、とにかく富士を絵手本『北斎漫画』の如く描き重ねています。実際に手早くシリーズを纏め上げる必要性があったかもしれませんが、それを超えて、3編には北斎なりの構想があると考えられます。おそらく、帰納的方法論で、多くの富士図から逆に富士の本質に迫ろうとする態度です。その結末が、最終頁「大尾一筆の不二」となるのです。ただし、残念なことに、墨板以外の色板や薄墨の色ざしは北斎の手によるものではなく、「つたなさ」、「無神経とも思われるタッチ」があるのは、鈴木・前掲書(p205)の指摘するとおりです。


◇赤澤の不二 河津三郎祐安 脵野五郎國久

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 赤沢は、現在の伊東市赤沢付近のことです。2人の力士が相撲をとる迫力ある構図です。これは、『曾我物語』冒頭の逸話に基づくもので、平家に敗れた源頼朝を慰めるため行われた相撲の催しに際し、「脵野五郎國久」の攻め技に対して、「河津三郎祐安」が相手の内股に脚を掛け、腕を相手の首に巻き、自分の後方に倒すという逆転技で勝利したものです。この技が後に「河津掛け」(蛙掛け)と呼ばれることになります。

 その帰途、伊東祐親の嫡男である祐安(泰)は、工藤祐経と祐親との所領争いに絡んで、祐経の郎党の大見小藤太と八幡三郎によって射殺されてしまいます(歌川国芳『木曾街道六十九次之内』「八幡 近藤小藤太 八幡三郎」嘉永5年6月・1852、参照)。この事件が、祐安の遺児・曽我十郎祐成と五郎時致の「曾我の仇討ち」の発端です。当時誰もが知る『曾我物語』から主題を選んだのは、各登場人物の様々な営みが富士の麓で起こったことが大きな理由です。本作品は、その富士の稜線の一部を2人の力士の背後にそれとなく挿入しています。

 『曾我物語』から題材を選んだことは、百景2編「武邊の不二」の仁田四郎忠常の物語とも繋がり、3編が百景シリーズ全体の流れに沿って開幕するということです。『曾我物語』と言えば、歌舞伎などでは正月の吉例となっている、曾我物の代表格「曾我の対面」が有名です。「曾我の対面」では、敵である工藤祐経と曾我兄弟とが対面するだけで、実際の仇討ち場面とその成就は暗示されるに留まります。しかしながら、仇討ち成就の吉を祝い、正月の悪魔祓いの行事として、(さらには役者の顔見世として)、庶民に定着していることが重要です。つまり、『曾我物語』の冒頭の逸話から始まる百景3編は、大変おめでたい図柄を最初の作品として掲載していることになります。富士と祐安の河津掛けの図柄は、たとえば、富士と鶴の図柄と同じく、大変おめでたい吉祥図として見る必要があるということです。どちらかといえば、仇討ち成就(もしくは相撲の勝利)が富士の御利益だと強く主張するというよりは、曾我兄弟の物語には、初めから終わりまで富士が側にあるという近しさを表現しています。以下の作品の読み解きに際しては、3編がこの作品から始まっていることを忘れてはなりません。

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2-30.谷間の不二

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 題名「谷間の不二」の言う「谷間」とはどの部分なのかを、まず確定しましょう。おそらく、左の崖の下を捉えて谷間と見ていると思われ、その崖下の岩間から水が湧いている様子が描かれています。富士はこの谷間からさらに下る坂道と森の背後に眺望できます。その坂道を2人の杣人が背中に粗朶を担いで登ってきます。岩間の泉には先に到着した2人の杣人が粗朶を地面に置き、1人は草鞋を履き直し、もう1人は柄杓で桶に水を汲んでいるようです。この湧き出す水が霊水であり、村まで運んでいくことが想像できます。

 富士に相似する三角形など、近景に富士を導き出す形象を見つけ出すことができない、本作品はどう理解したらよいでしょうか。百景2編が富士を根源とする水が副テーマであることを思い起こせば、遠景の富士と近景の岩間の泉とは直結し、龍(水)神たる富士の御利益・恵みの水を杣人が大切にする様が描かれていると読み取ることができます。2編の最初の作品は「井戸浚の不二」で、江戸庶民の井戸水が富士の恵みであることを示唆していました。そして最後の作品が「谷間の不二」で、山に生活する杣人が大切にする霊水がやはり富士の恵みであることを指し示しています。その間には、「登龍の不二」、「冩真の不二」、「七橋一覧の不二」、「夕立の不二」、「筧の不二」など、富士を根源とする水が幾度も採り上げられています。このような2編の一貫した制作の流れを念頭に置けば、最終頁を富士の霊水で締めたことは十分に納得ができます。

 なお、岩間の泉の場所が、百景初編「洞中の不二」のような洞窟になっているのかどうかはっきりしませんが、人物表現に関し、百景2編「不二の室」との共通性を指摘する見解もあります(山形美術館図録『北斎 富士を描く』p101)。もしこのような見解の背後に、「武邊の不二」に登場した仁田忠常が人穴を探索し、大河の彼岸に「奇特」を見たという人穴伝説を感じているのならば、杣人が霊水を汲む行為は「浅間大菩薩の御在所」より流れ来る水の一部を頂くということになり、より信仰的に裏付けられた絵ということになります。富士講信者には有難い、最終頁を飾るに相応しい作品となります。

 相当な深読みかもしれませんが、霊水を汲む柄杓を北斗七星と解するならば、北斎自身あるいは北斎の妙見信仰が垣間見えます。

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2-29.窻中の不二

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 丸窓の向こう側に富士を眺望する構図は、確かに、河村岷雪『百富士』「窗中」の影響かもしれませんが(鈴木・前掲書p235)、北斎は、文机の本を読み疲れ、欠伸をする胡座姿の男を描き加えて、作品の重点を人物に移動させているようです。壁にぶら下げられたハタキや火鉢に立て掛けられた煙管などの小物が、本来ならば整った構図であるはずの本作品の緊張感を和らげる効果を出しています。松の後方から富士へと飛び行く雁(?)の群れを芸術的と呼ぶならば、近景は弛緩した日常景と言うことができます。

 ハタキや煙管などの道具立てを考慮すると、前掲「掛物の發端」の延長線上の作品と見た方が適切かと思われます。したがって、遠景の富士が近景の丸い掛物のようであるという趣向がここにはあるということです。ただし、欠伸姿の男を敢えて近景に描いている点には、別の仕掛けを感じます。実は、百景2編はこの後の「谷間の不二」で終了します。前作品「刻不二」までの流れをここで一旦断ち切り、終了を意識させることを狙った作品と理解すべきではないでしょうか。2編をここまで見てきた読者に向けて、「どうもお疲れさま」といった思いであるかもしれません。描いている北斎も同様の心理でしょうが…。

 さらに読み解けば、膏薬をはった両腕で輪を作っているところがミソです。その輪の中に見える風景こそ、丸窓に切り取られた風景ということなのです。あるいは、両腕が丸窓に、ハタキの三角形が富士に見立てられているとも考えられます。遠景の富士と近景との相似性・一体性が百景シリーズの1つのテーマだとすれば、いずれにせよ、本作品もその要求に間違いなく応えていると言うことができます。

 なお、北斎の三十六景・百景シリーズには、丸窓のような明確な円形の中に富士風景を切り取る作品の他に、富士を含めてその景色が見えない丸い輪郭に収まっていると感じる作品があります。たとえば、三十六景「神奈川沖浪裏」では、遠くの富士は崩れ落ちる大波の円の中に収まっているように感じます。個人的には、遠眼鏡(望遠鏡)を覗いているような感覚を持つのですが、北斎が西洋の光学機器を愛好していたことは事実なので、作品制作の背景にはその影響があり、北斎が絵本などに提供する作品やデッサン類もこのような近代的視点を紹介する趣旨なのだと考えています。おそらく、この西洋的視点が北斎派絵画の1つの重要な財産なのでしょうか。ちなみに、百景3編「さい穴の不二」でも、光学的知識を披露しています。

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2-28.刻不二

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 前作品「武邊の不二」において手負いの大猪に蹴散らされた士卒達を受けて、本作品では士卒達が巻狩り場で食事の用意をしている様を描いています。題名の「刻不二」は竹矢来背後の富士が、まるで菱形に切り取られているように見えていることから、刻まれた富士という意味で付けられているものと思われます。戦場などでは、兵士は身軽にするため、「干飯(ほしいい)」などの簡易な食料のみを携行するのが一般的で、本作品もその干飯を蒸して食事とする準備風景を紹介しています。

 右下の居眠りをしている士卒を含め、3人の士卒の笠が竹矢来の内側に三角形を作っています。遠景の富士に対する近景の富士ということです。ここで考えなければならないのは、なぜ干飯を蒸す情景が選ばれているのかということです。左下の士卒が干飯を刻み、それを籠に入れて大きな釜の蒸気で蒸していると考えれば、「刻む」という行為において、遠景の富士も近景の士卒も同じ状況にあるという関連性・相似性を北斎が意図していることが分かります。深読みすれば、富士こそ干飯と看做され、菱形に刻まれ、蒸気で蒸され、士卒たちの口に入ると理解でき、巻狩りの飯がまさに富士の御利益・恵みであることを表現しています。

 前作品「武邊の不二」では大猪に擬えられた富士に跨り、討ち取り、本作品「刻不二」では菱形に刻まれた干飯(菱餅)に擬えられた富士を蒸すという行為を通して、富士と兵士達の近しい世界を描いているということができます。富士と人々との一体世界を表現するためには、富士に相似する三角形という図形・形象を使用する方法の他、本作品のように近似する意味の共通性を利用する方法もあり、さらに「月下の不二」のように祠や狼などの依代を応用することもあります。付け加えれば、「筧の不二」のように成層火山富士の輪郭の曲線を使って、近景に富士を導き出す方法も北斎考案の独自な技なのかもしれません。

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