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富嶽百景と北斎の富士

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◇総説

 北斎は、初めから完成形の作品を描くというよりは、技法・材料・題材選定等を時々に更新・進化させながら制作しているという様子が窺えます。したがって、一個の作品の読み解きに際しては、そこに至るまでの制作の流れと積み重ね全体をよく理解する必要があります。たとえば、『冨嶽三十六景』の版行後に、絵本『富嶽百景』が出版されているという事実に鑑みて、各作品の意図を捉えるならば、『富嶽百景』に加えられたもの、『冨嶽三十六景』から削られたものを比較対照しながら、読み解くという方法論が必要であるということです。言い換えれば、『冨嶽三十六景』も『富嶽百景』の時点に立てば、まだまだ未完成な部分があったという視点です。

 『富嶽百景』は半紙本3冊からなり、初編は天保5年、2編は同6年に江戸の版元西村屋祐蔵から出版され、3編は、2編出版後程なく、名古屋の永楽屋東四郎から発刊されたと考えられています。『冨嶽三十六景』が天保2年から天保5年までには刊行が終えているとされるので、その好評を受けての発刊と思われます。概括的に見れば、初編・2編は富士の本質を先に捕まえて、そこから富士の姿を導き出しており、3編は多くの富士図から逆に富士の本質に迫ろうとしているように感じられます。初編が「木花開耶姫命」に始まり、3編が「大尾一筆の不二」に終わっていることがその象徴なのですが、その具体的意味内容は各作品の解説の中で触れていく予定です。

 なお、参考資料として、『富嶽百景初編』(「丹青之妙」「成堂」「發兌之記」)の「序文」、「跋文」、「書林」を以下に掲載します。


◇序文

契冲か富士百首は突兀(とつこつ)として顯れ東潮か不二百句は綵雲にかくれて見えす今新に百嶽を図するは前北齋翁也此山や獨立して衆峰の巓を出つ翁の畫も又獨立して其名高き事一千五百丈に過なむ画帖諸國にわたり懐藏する者最多し豈十五州の壯観而巳(のみ)ならむや不二の十名を秘藏抄に載たり先生屢名を改むかそへなは十名にも滿へしそれかれ因あれはにや此岳を愛ること年あり近く田子の浦に見あけ三保か崎に望は隈なき月盛なる花のこゝちして風情薄とて歟遠く富士見原に杖をひき汐見坂に駕をとゝめ柳の絲になたれを透し稲葉の戰きに高根を仰き逆浪巖を碎くの大洋白雲谷を埋る羊膓嶮阻に上り危に下り真景を寫されたれは翁の精神此巻に止まり端山しけ山世にしけき畫本の峯巓を突兀と出む事阿闍梨の百首に劣らめやと
 天保甲午綠秀
 柳亭種彦敬白 董齋盛義書


◇跋文

 七十五齢 前北齋為一改 画狂老人卍筆

己六才より物の形状を写の癖ありて半百の比より数々画図を顯すといへども七十年前画く所は実に取に足ものなし七十三才にして稍(やゝ)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり故に八十才にしては益/\進み九十才にして猶其奥意を極め一百歳にして正に神妙ならん欤百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん願くは長壽の君子予が言の妄ならざるを見たまふべし
 画狂老人卍述


◇書林

天保五甲午年春三月發行

尾州名古屋 永樂屋東四郎・江戸麴町四丁目 角丸屋甚助・同馬喰町二丁目 西村與八・同 西村祐藏


*上掲「序文」に富士の「十名」とありますが、『秘蔵抄』は、「藤岳(ふじがたけ)・鳴沢高根(なるさわのたかね)・常盤山(ときわやま)・塵山(ちりやま)・二十山(はたちやま)・三重山(みえやま)・新山(にいやま)・見出山(みだしやま)・三上山(みかみやま)・神路山(かみじやま)」と記しています(『新訂東海道名所図会下』ぺりかん社・2001、p29参照)。


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コメント

はじめまして。唐突ながら上に掲載されている富嶽百景の序文と跋文を私が運営する次のブログに引用させていただきました。ご了承いただければ幸いです。https://shawoguri.wordpress.com/

投稿: Goolee | 2020年12月11日 (金) 15時43分

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