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78「駒形」

山口屋平吉  安政5年2月

資料  「東都淺繪圖」  江戸百「駒形堂吾嬬橋」


7862 「駒形」について『江戸名所図会5』(p274)から抜き書きすると、「駒形堂 駒形町の河岸にあり。往古はこのところに浅草寺の総門ありしといふ。本尊は馬頭観音なり」、また「駒の形を作り物にして堂内へ奉納す。ゆゑに駒形堂と唱へ、地名もまたこれによつておこる」等とあります。切絵図には「竹町之渡」と記され、駒形が隅田川からの入口に当たることがよく判ります。さらに、同江戸名所図会掲載図版「駒形堂 清水稲荷」(p276~p277)を参照すると、駒形堂の筋向かいには2階屋の店舗が建ち並んでいるのが確認できます。こま絵は江戸百作品とほぼ同じ地点から描いたと推測されるもので、駒形堂の屋根とその筋向かいにあった、長竿の赤い布が目印の紅屋の屋根が見えています。遠景は向島です。

 こま絵から、駒形にあった紅や白粉などの小間物屋、紅屋(中島屋)百助(ひゃくすけ)の宣伝であることが窺われるので、前景美人の読み解き内容はほぼ想像できます。なお、紅屋百助はかなりの有名店で、山東京伝『人間一生胸算用』(寛政3・1791年)にも「アゝ、いゝにほひだ。百助が所のくこをつけたそふだ。ちつと、こきくではなをかんでかぐべい」などとあり、その他に、『放蕩虚誕伝(ほうとうちょちょらでん)』、『埜良玉子(のらたまご)』の中にも登場しています。このような視点から前景美人の仕草を見ると、左手の懐紙を取って、右手で襟足辺りの汗を拭っており、おそらくこの懐紙にクコ油が染み込ませてあっていい香りが漂っているのだろうということに気付かされます。ところで、美人の髷は松葉返しとされ(山田・前掲書p145)、玄人筋に多い髪型でしょうか。格子柄の着物を着て、中着は扇面(せんめん)散らしで、帯は黒と赤い縞の昼夜帯です。しゃがんだまま一休みといった様子ですが、その足元では、鍋が火に掛けられており、レンゲの置かれた蓋に「初ふし」とあり、同じく酒徳利の袴(袴替わりの枡?)には「川升」とあります。初富士と川升(かわます)は、いずれも駒形にあった人気の料理茶屋です(高村光雲『幕末維新懐古談』岩波文庫・1995、p50、p202参照)。場所柄、鯉やどじょうなどの川魚の料理で有名でしたが、おそらく、本作品は「どぜう鍋」、柳川でしょう。なお、美人は前掛けをしていないので、下働きの女中というよりは料理屋の若女将と判断します(前掲55「呉服ばし」参照)。

 初富士の鍋に川升の酒徳利の袴(枡)というのは、山田(前掲書p145)も指摘するように、「本来は一つの座敷に同居するのはおかしい」のです。川升に関連して、次のような話があります。すなわち、「さて、駒形堂から後へ退(さが)って、『川升』という料理屋が大層流行り、観音の市の折りなど、それは大した繁昌。客が立て込んで酔興な客が、座敷に出てる獅噛火鉢(しがみひばち)を担ぎ出して持って行ったのさえも気が附かなかったという一ツ話が残っている位、その頃はよく有名なお茶屋などの猪口とか銚子袴などを袂になど忍ばせて行ったもの、これは一つの酒興で罪のないわるさであった」というものです(高村・前掲書p50、p51)。この話を本作品に当てはめると、料理茶屋のあまりの忙しさに、客がいたずらをして酒徳利の袴を他店の枡と入れ替えても、女主人さえも気付かず、しゃがんで汗を拭うのがやっとという嬉しい悲鳴状態を描いていることになります。酒徳利の袴が(枡に)「川(り)ます」という地口もあるかもしれませんが。商売大繁盛の駒形の料理茶屋に、紅屋百助のクコ油が匂い立つ風情を描いた作品です。なお、百助(ひゃくすけ)が百助(ももすけ)横町の始まりなのかについては確証がありません(高村・前掲書p49)。

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コメント

>なお、百助(ひゃくすけ)が百助(ももすけ)横町の始まりなのかについては確証がありません(高村・前掲書p49)。

江戸百の調べ物の中で、このページを読ませていただきました。
江戸東京地名辞典(芸能。落語編)(北村一夫、講談社)に百助横丁の解説があり、ひゃくすけよこちょうと読んでいます。髪油商として名を売った中島屋百助の見世の横丁で、駒形一丁目にあったとのこと。
この店は関東大震災まで盛んに営業していたそうですが、その後浅草弁天山前に移転し、現在も営業を続けています。https://www.navitime.co.jp/poi?spot=02301-t626&ncm=1
アド街の解説には広重の絵に描かれている、ともあります。
https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20030621/28359.html

投稿: 谷藤 | 2021年3月25日 (木) 20時59分

コメントありがとうございます。いずれかの機会に、広重『名所江戸百景』を絵師と版元の制作意図という視点から、複合的に読み解いてみたいと考えております。安政江戸地震からの復興を描くという動機だけでは、全てを説明しきれないと思うのですが…。

投稿: | 2021年3月26日 (金) 11時52分

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