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13「浅草寺」

辻屋安兵衛  安政4年11月

資料  「今戸輪淺繪圖」  江戸百「淺草金龍山」


1322 「浅草寺」について、たとえば『江戸名所図絵5』(p225~p273)には、「金竜山浅草寺 伝法院と号す。坂東順礼所第十三番目なり。天台宗にして、東叡山に属せり」に始まって50頁近い解説があり、図版「金龍山浅草寺全圖共五枚」(p226~p235)という大部のものが掲載されていて、浅草寺のこま絵から提供される情報中何が重要なのかは漠としています。しかし、前景の美人が天目台に載った茶碗を持つ立ち姿から、浅草寺境内・門前に数多くあった水茶屋の美人を描くものであることは容易に理解できます。同江戸名所図会掲載図版(p228~p229)中に、「二十軒茶屋は哥仙茶屋ともいへり。昔はこの所の茶店にて「御福の茶まいれ」とて参詣の人を呼ひけるとそ。今は其家の員二十余軒ある故に俗是をよむて二十軒茶屋といひならはせり」と説明されており、仁王門前の参道にあった二十軒茶屋を題材にしていると判断できそうです。本作品が浅草寺水茶屋の看板娘一般を採り上げているならば、雷門と仁王門の間の仲見世にあった二十軒茶屋と見て間違いないのですが、特定の美人と考えると別の結論に至ります。

 喜多川歌麿「寛政の三美人」のナンバー1、「難波屋おきた」を描いた作品をここで採り上げます。浅草寺随身門脇の水茶屋の看板娘で、歌麿の美人絵に何度も登場しています。『定本武江年表中』(p154)によれば、「浅草寺随身門前の茶店難波屋のおきた・薬研堀同高島のおひさ・芝神明前同菊本のおはん、この三人、美人の聞え有て、陰晴をいとはず此店に憩ふ人、引もきらず。筠庭(いんてい)云、随身門前は見物の人こみ合て、年の市の群集に似たり。おきたが店の前には水をまきたり」との有様です。歌麿が確立したこのおきたの立ち姿を三代豊国がそのまま踏襲している点を考えると、前景美人は難波屋おきたがモデルであるとする方が自然です。逆に、本作品から歌麿作品を思い出さないことこそが不思議です。寛政と安政の時代状況の違いがあって、服装デザインは今様に手直しされていますが、往年の美人絵の大家・歌麿を時の美人絵の大家・三代豊国が敬意を持って写したのが、本作品と考えます。したがって、こま絵は仁王門と五重塔の東側にあった随身門を暗示するものと解します(切絵図参照)。なお、おきたは、愛嬌がよく、お世辞が上手で、茶代が少なくても変な扱いをすることはなく、その人柄が人気に繋がったようです(『江戸の女 鳶魚江戸文庫2』中公文庫・1996、p236)。ちなみに、水茶屋人気も天保の改革による規制で下火となり、かわって遊戯要素の強い楊弓場(矢場)に人気は移っていきます。

 美人の髪型は高島田で、前髪に挿した柘植の櫛が落ちそうに見えるところが男心をくすぐる工夫ですが(前掲9「長命寺」参照)、実際には細紐で髪に括りつけられています。接客を意識したお洒落です。着物は網目模様、帯は表地が献上博多で落ち着いています。ただし、帯の裏地は緋地に三筋格子、前掛けは椿花が白抜きされていてこの点に粋を感じます。胸元の帯に挟んだ手拭い、また手にする茶碗には都鳥の模様があって、隅田川が近いことが想像されます。こま絵の仁王門の屋根に鳥が営巣しているのも同じ理由からです。なお、着物には色柄など幕府の風俗規制が及びますが、裏地や前掛けはその対象外なので、前掛けの流行もここに一因があるようです(同『江戸の女』p261以下参照)。さて、前掛けで注目すべきはその柄で、「國久」、「大當」などの文字を読み取ることができます。版元印などが見つからないので、三代豊国がこま絵を描いた弟子国久をお披露目、宣伝したものと解せられましょう。

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コメント

日本語教師をしていて生徒から浮世絵についての質問を受けて答えられずに困っています。東京からなのでセミナーを受けることはできません。
江戸時代の水茶屋で使われた天目台というのはどのように使われたのでしょうか。お盆の代わりにお客様にお茶を出したらすぐに下げたものなのか、熱いお茶が冷めたら下げたものなのか生徒に聞かれました。今使っている茶托と同じ使いk田ですか?
私なりに捜したのですが、茶屋の床机の上に天目台が載っている浮世絵は見つかりませんでした。
コメントとは別になりますが、教えていただきたくよろしくお願いいたします

投稿: 木村 | 2023年1月26日 (木) 17時03分

 鈴木春信など水茶屋関連の浮世絵作品を見ての推測ですが、茶碗を天目台に載せて運ぶのは客を貴人に見立ててのサービスで、使い方はお盆と同様なのではないでしょうか。つまり、茶托とは違って、茶碗のみを床机に置くか、客が茶碗を手にしたら、天目台はそのまま持ち帰るという使用方法なのでは思われます。茶道では点前に作法がありますが、浮世絵に描かれる水茶屋は茶屋娘との会話や触れ合い(?)が真の目的なので、客と茶屋娘との関係性において自由な遣り取りがあったものと想像できます。

 また、店の回転率を考えると、冷まさなければならないような熱い茶(椀)は、たぶん、水茶屋ではあまり出されないようにも思います。

投稿: | 2023年1月27日 (金) 11時59分

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