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70 近江国 「大津」

「七拾 木曽海道六拾九次之内 大津」  廣重画 錦樹堂


Dijital071 草津宿を発って、瀬田川に架かる大橋、小橋(勢田の唐橋)を渡り、湖畔に膳所(ぜぜ)城を見て進むと、街道左手に木曽義仲の墓所・義仲寺があります。そこには、松尾芭蕉の墓もあります。その先の立場を石場、この辺りの浜を打出の浜と言い、大津宿の東端に当たります。大津は天智天皇の大津宮の造営以来、政治的重要性はもちろんのこと、軍事上の要地であり、陸水運による物資の供給地として発展しました。近世においては、延暦寺・園城寺(おんじょうじ)(三井寺)の門前町として栄えました。『木曽路名所図会』(巻之1)には、「此駅は都よりはじめての所なればにや旅舎(たびや)人馬多くこぞりて喧(かまびす)し。濱邉のかたは淡海國に領ぜらる。諸侯の蔵屋しきならび入舩出舩賑ひ都(すべ)て大津の町の数九十六町あり…」とあります。札の辻の北側山頂にあった長等山(ながらさん)園城寺(三井寺)については、大友皇子の殿舎を後に寺に作り直したので「園城」の字を用いると記しています。なお、その観音堂は西国巡礼第14番の札所に当たります。

 後掲『岐蘓路安見絵図』(大津)を見ると、「三井寺道」の分岐点に高札場があり、いわゆる「札の辻」と呼ばれる場所から街道が(直角に)折れ、「相坂」(逢坂峠)に向かっているのが判ります。その先に「はしり井」があり、西方には伏見街道の追分があるという地理関係です。走井は、保永堂版東海道「大津」副題「走井茶屋」の画題です。これに対して、木曽海道シリーズで広重が描いたのは、札の辻から少し上った坂より琵琶湖方向を遠望する構図と考えられます。札の辻辺りが大津宿の中心ですから、その場所を見下ろす視点となります。広重のスケッチ帖に、「大津柴屋町遊女」(『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』p215)と題する図がありますが、風景スケッチではないので、当作品の元絵とは考えらません。つまり、当作品は書き下ろし作品ということになります。

 作品内容を見ると、左側、牛車で荷を上方へ運ぶ情景は、大津湊が物流の拠点であることを示すものです。対して右側、飾り(日除け)の付いた菅笠で坂を歩く女3人は、前掲「草津」と同様に、女達にも普及した寺社参詣・物見遊山あるいは見送り帰りの姿を表現するのかもしれません。街道両側に並ぶ旅籠・料理茶店などの先、遠近法上の消失点上に、札の辻(京町)・琵琶湖・白帆・比良の山々を描き、開放感のある空に雁の群れ、そして一文字ぼかしを入れる安定した構図です。しかし、店々の旗・暖簾・壁などに各種の文字が散りばめられていて、賑わしい印象を受けます。左側には、錦樹堂の版元印、「いせり」、「大當」、「新板」、「大吉」等、右側には、「丸金」、「中仙堂?」、「丸金」、「全」、「ヒロ」、「重」等と書かれています。一番大きな文字である壁の「全」は、全シリーズ完成を宣言するものです。版元・錦樹堂(伊勢屋利兵衛)と絵師・広重の当シリーズ版行がこれにて終了し、大当・大吉で金になることを願掛け(雁翔け)する、一種、楽屋落ちの最終作品です。大空の雁の群れをこのような意味に読み解いてみました。

 確かに制作者側の気持ちはよく判りますが、まだ京都まで3里残っていることを忘れてはなりません。伏見街道との追分を過ぎて逢坂山を越えると山城国に入り、日ノ岡山を越えると、ようやく粟田口(あわたぐち)から三条大橋に至ります。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(大津)

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