« 68 近江国 「守山」 | トップページ | 70 近江国 「大津」 »

69 近江国 「草津」

六拾八 木曽海道六拾九次之内 草津追分」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Dijital070 絵番号68は69の誤記です。さて、『木曽路名所図会』(巻之1)は、草津につき、「此駅東海道木曾路街道尾張道等喉口なれば賑し。宿中に立木明神のやしろ上善寺駒井氏が活人石(くわつじんせき)等あり。訪ねて見るべし」、また、「東仙道東海道別れ道宿端れに石標あり。右へ曲れは東海道石部の駅に出る。直道(すぐみち)は東山道木曾路なり。これまで東海道名所図會にくはしく出したれば漸(やうやう)貝原氏の木曽路之記にあるのみを補遺してこゝに拾ふ也」と記しています。なお、「草津川」について触れるところがあり、「常にはかり橋あり。霖雨(りんう)出水には歩行わたり也。渡しの者出て催(もよほ)す。水源は金勝谷(こんぜだに)よりながれて末は山田にて湖水に入」とあります。当作品の題名に「草津追分」とあるように、草津は、東海道と中山道の追分の宿であり、辺りに草津川が流れていることが特記事項と判ります。その余のことは、『東海道名所図会』に譲るという発想です。この発想は、広重にも影響を与えていると考えられ、その余のことは保永堂版東海道に譲るという思考でしょう。

 『岐蘓路安見絵図』で草津宿辺りを確認すると、中山道が草津川を越えた地点の左側に高札場があり、同所を左手に折れると「東海道入口」となることが判ります。中山道を直進すると、矢倉の立場に矢橋(やばせ)(船場)に向かう道があり、その辻に「うばがもちや」があります。広重が、保永堂版東海道「草津」副題「名物立場」で描いた餅屋です。佐々木源氏・六角氏の子孫であった幼児を乳母が餅を売って養ったという伝承があります(佐々木氏居城・観音寺山について、前掲「愛知川」参照)。

 当作品において、広重は、草津川北岸から高札場のあった追分方向を低い視点で描いています。制作過程は、スケッチ帖の後掲図版を元絵とするもので、追分の常夜燈や描かれた人物などもあわせて同スケッチ帖から転載されたものと考えられます。右肩に傘を担いで仮橋を渡る女の姿は、前掲「武佐」の手前の旅人が傘を荷物と一緒に背負う様子を思い起こさせます。雨傘なのか、日傘なのか、この辺りの風土を感じさせます。他方、京に向かう3人の春装束の女達は、寺社参詣もしくは物見遊山の旅と見えます。当作品の人物は女と子供が主体で、都近郊の平和な情景を伝えるものです。草津川両岸の砂地は天井川を表現し、背景の山々は都(山城国)を暗示するものです。イメージとしては比叡山、実景は音羽山辺りでしょうか。

 なお、『東海道名所図会』(巻之2)に、図版「草津追分」があり、追分の石標と高札場辺りを写しています。しかし、木曽海道シリーズの広重作品とは画趣を異にしていて、当作品への影響はないと考えられます。


*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号13(p215)

S_kusatuoiwake

|

« 68 近江国 「守山」 | トップページ | 70 近江国 「大津」 »

広重・英泉の木曽海道六拾九次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/65120987

この記事へのトラックバック一覧です: 69 近江国 「草津」:

« 68 近江国 「守山」 | トップページ | 70 近江国 「大津」 »