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68 近江国 「守山」

「六拾八 木曽海道六拾九次之内 守山」  廣重画 錦樹堂


Kisokaido69 『木曽路名所図会』(巻之1)は、「當宿の入口に守山川あり。橋爪に称名寺といふ西本願寺末の寺あり。蓮如上人建立也。金ケ森より此所に移したるとなり。守山古歌に詠ず」と書し、その最初の項目として、「守山観音堂は駅中にあり。天台宗にして東門院守山寺(しゆさんじ)と号す」と記しています。比叡山の東門を守る、この守山寺が宿名の元になっています。また、宿場の北にあった「野洲川(やすがは)」について、「東海道横田川の下流也。末は湖水に入。此河水をせき入て布をさらしたる者多し。至て白し」と記し、図版「野洲布晒」、「野洲川」を掲載しています。もう1つの図版は、「三上山三上神社」で、「一名杉山ともいふ。神社の上にあり。登路(のぼりみち)十八町巡り五十町。俗に蜈蚣(むかで)山ともいふ。秀郷の由縁よりいひならはしたる。絶嵿に八大龍王の祠あり」との説明があります。宿場を流れる守山川(吉川・境川)、布晒で有名な野洲川、そして近江富士と言われる三上山が主な名所ということです。なお、前掲「鳥居本」で触れた、朝鮮通信使節が利用した近江の下道(浜道・朝鮮人街道)は守山が分岐点に当たります。

 「野洲川」の図版と、大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p270)の記述「野洲河原ひろくして、むかひの河原に布をさらせるあり」とを参照すると、当作品に描かれる川は野洲川とは考えられず、おそらく、宿場南で中山道に交差し琵琶湖に流入する守山川と判定されます。本来は街道に直交する川ですが、街道に沿うように曲げられて描かれています。木曽海道シリーズにおいて、広重が時々見せていた手法です。広重のスケッチ帖に元絵を発見できないので、構想作品に戻ったと言えます。守山川に架けられた土橋辺りから、街道東側の旅籠・茶店などに視点を向け、その前後の山に咲く桜を見ながら、なによりも背景の三上山を眺望するという構図重視の作品です。そのため、街道西側の建物が見えないという不思議な図取りです。三上山を富士に例えて、満開の桜で飾り、雅な雰囲気を狙ったのかもしれません。三上山の位置からすると右側が京方向となります。なお、当作品中央辺りの黒色の屋根の店には錦樹堂の意匠が、黄色の屋根の店には「伊せ利(いせり)」という同版元の宣伝がそれぞれ入れられています。

 藤原秀郷(俵藤太)が琵琶湖の大蛇に味方し、三上山の百足を退治したという伝説を踏まえれば、背景の三上山に対して、宿場に並行して描かれた守山川は大蛇を意味していると考えられます。変則的な構図も、俵藤太伝説を広重なりに解釈した結果と考えれば、納得できます。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(守山)

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