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66 近江国 「愛知川」

「六拾六 木曽海道六拾九次之内 恵智川」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido67 『木曽路名所図会』(巻之1)には、「此宿は煎茶の名産にして能(よく)水に遇ふなり。銘を一渓茶といふ」とあります。宿名の由来となった、宿場の南を流れる愛知川について、同名所図会は、「水源(みなもと)萱尾瀧常に東風(こち)ふく時は水出る。諺云(ことわざにいふ)勢田の龍神此瀧へ通ひゐふときはかならず水出るといふ」と記し、季節によっては大河となることを示唆します。その他に、同名所図会は、「繖山(きぬがさやま) 観音正寺」について、「本街道清水鼻の左の山上にあり。西國巡礼三十二番の札所」と記し、図版「観音寺山 鷦鷯(さゝき)城址 観音寺」を掲載します。以上の要素が、広重作品にどう展開されているかが読み解きの視点です。なお、東海道「土山」および「伊勢」に至る街道の分岐もあり、交通の要衝です。

 当作品にも、やはり、スケッチ帖に後掲元絵があります。宿場の西口(南)側にある愛知川とそこに架けられた橋が描かれていて、「むちんはし はし銭いらす」と書かれた標柱が特徴的です。『岐蘓路安見絵図』(越知川)にも、「常はかりばし」とあり、天保2(1831)年に架けられた板橋です。橋の背後には、スケッチ帖とは若干異なって、雲あるいは霞の向こうに山の頂が描かれています。当作品の視点は、愛知川の北岸にあるので、南岸右手に展開する観音寺山であることが判ります。名所案内的要素をなるべく取り込むように制作されていることに気付かされます。橋を渡る武士一行、此岸の虚無僧、旅の親子連れ(スケッチ帖に似た人物が描かれています)などの他に、近景の牛に荷を積んで歩く女の姿は目立ちます。牛で荷を運ぶのは、西国に特徴的な風俗と考えられ、京も近いという仕掛けでしょうか。『旅景色』(p89)は、その荷を「彦根きゃら」の原料の蝋と推測しますが、前掲「一渓茶」あるいはその原料という推理はどうでしょうか。この牛を引く女は、同スケッチ帖にその元絵をやはり発見でき、広重の体験が下敷になっています。

 前述のように、愛知川を渡り、土山道・伊勢道の追分を過ぎると、清水鼻の立場の右手に観音寺山(繖山)はあります。近江源氏佐々木氏、後に同族・六角氏の居城でしたが、織田信長に滅ぼされました。この辺り一帯の五個荘は天秤棒1本で商売をした(中世)近江商人発祥の地と言われています。さらに街道を進むと、右手に老蘇(おいそ)の森に囲まれた奥石(おいそ)神社があり、その先の右手に安土山と総見寺を遠望しながら街道を歩むと、次の宿場・武佐に至ります。


*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号15(p215)

S_echigawa

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