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64 近江国 「鳥居本」

六拾三 木曽海道六拾九次之内 鳥居本」 (一立斎)廣重画 保永堂・錦樹堂・左枠外に竹


Kisokaido65 番場から西に進むと磨針峠を越えて鳥居本に至ります。この磨針峠からは琵琶湖の好景を展望でき、『木曽路名所図会』(巻之1)にも、「此嵿(みね)の茶店より直下(みおろ)せば眼下に礒崎筑摩祠朝妻里長濱、はるかに向ふを見れば竹生嶋澳嶋多景嶋、北には小谷志津嶽鮮に遮りて、湖水洋々たる中にゆきかふ舩見へて風色の美観なり。茶店には望湖堂と書したる艸盧の筆、江東壮観とある白芝の毫、琉人の筆等あり」と記されています。磨針峠からの眺めは、朝鮮通信使や琉球使節などにも自慢したい景色で、そのため峠に、「望湖堂」あるいは「臨湖堂」と名付けられた2軒の茶屋(本陣)が接待施設として設けられたと考えられます。

 前掲名所図会には、後掲図版「磨針嵿」があります。左側石垣の上の建物が望湖堂、右側が臨湖堂に当たり、そこからの琵琶湖一帯を臨む風景が描かれています。広重の作品は、比良の山々を背景に、同図版の茶屋部分を拡大した構図と推測されます。広重のスケッチ帖に「摺針峠とビハ湖」と題する下絵があり、望湖堂側から臨湖堂側を見る視点で背後に竹生島を描いています。しかしながら、構図視点が異なっている点で、木曽海道シリーズの当作品は、スケッチ帖を元絵とするものでなく、そのため、前掲名所図会の図版と同じく、大名一行が休憩しながら眺望を楽しんでいる様子を描いています。これは、大名などが休憩する程の施設であると同時に、名所として高名であることを示すものです。なお、当作品は、広重が中山道を旅する前に考案されたもので、絵番号56番以降で、唯一、版元に保永堂が加わっています。また、同作品は、本来ならば絵番号64のはずですが、63と誤記(?)されています。深読みすれば、63→36=35+1=東海道53次+日本橋1、という意味で、縁起の良い数字を初めに保永堂が総取り・先行販売した結果の誤りと想像されます。

 ちなみに、前掲名所図会には、「むかし多賀社の鳥居此駅にありしより名付くる。今はなし。彦根まで一里。八幡へ六里。此駅の名物神教丸俗に鳥居本赤玉ともいふ。此店多し」とあり、店先の図版も掲載されています。『岐蘓路安見絵図』(鳥居本)は、彦根城に至る彦根道(近江の下道)について、「御上洛の時此道御通り有。彦根より八まんへ六り。八まんより守山三り半。朝鮮人も毎度此道を通る」と記します(『旅景色』p83参照)。彦根城主井伊家は、直虎の後を継いだ直政の活躍によって、譜代大名筆頭の名家となりました。その他の情報として、当地から多賀大社への多賀道もあります。


注1:『木曽路名所図会』巻之1(磨針嵿)

Suriharitouge

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