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63 近江国 「番場」

「六拾三 木曽海道六拾九次之内 番場」  廣重画 錦樹堂


Kisokaido64 『岐蘓路安見絵図』(醒井)に、「番場の入口 八葉山蓮花寺 太平記にばんばの辻堂とは是也。仲時其外四百余人自害せし所なり。銘々過去帳にしるし辞世の歌あり」、また同安見絵図(番場)に、「米原へ一り。湊なり。大津へ湖上十六り」とあって、番場では、八葉山蓮華寺の古跡と米原道の追分が特記すべき事柄であることが判ります。『木曽路名所図会』(巻之1)は、「此宿は山家なれば農家あるは樵夫ありて旅舎も麁(そ)なり。まづ名にしおふ太平記に見えたる辻堂といふに詣ず」と記し、「八葉山蓮華寺」の解説と「番塲驛 蓮華寺」の図版を掲載しています。その解説によれば、元弘3(1333)年、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、天皇親政を復活し、翌年建武と改元した「建武の新政」に至る際、足利尊氏に敗れた六波羅探題北方の北条仲時が東国への逃亡を阻まれ、番場の蓮華寺において仲時ならびに一族432人が自害したとあります。同図版を見ると、境内の裏山には無数の五輪塔が並んでいるのに驚かされます。

 ところが、広重は、一見するとそれらに触れず、自身の後掲スケッチ帖を元絵として、東口の見付辺りから、店々の多くの看板等を描きながら、宿場内を覗き見る作品を制作しています。たとえば、右側には、版元錦樹堂の意匠と「いせや」とあり、「一膳めし酒さかな」の提灯も下げられています。左側には、絵師広重のヒロの意匠と「歌川」とあって、「そばきり一ぜん」の提灯が下げられています。つまり、店というよりは、制作者の宣伝となっています。なお、見付(棒鼻)の前に3組の帰り馬の馬子が屯している風情は、広重が時々使う手法で、追分の宿であることを表現するものです(前掲「関ヶ原」等参照)。実際、番場は米原道との追分に当たります。

 では、当作品が、「番場」であるのは、追分の宿を表す帰り馬の様子だけなのでしょうか。宿場の西口側からの作品が続いている中、東口側から描く当作品の意義は、宿場背景の山が十分に見通せる構図となることです。前掲名所図会・同図版と比べると、背後の山は、番場宿の名所・八葉山蓮華寺の境内部分に当たることに気付きます。この点において、当作品は、間違いなく、番場宿を描くものなのです。ちなみに、当作品前景の旅人が合羽姿なのは、歩いてきた西口(南)の鳥居本が合羽の名産地だからであると考えられます(大田南畝『壬戌紀行』前掲書、p275参照)。


*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号11(p210)

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