62 近江国 「醒井」
「六拾二 木曽海道六拾九次之内 酔か井」 (弌立斎)廣重画 錦樹堂 『岐蘓路安見絵図』(柏原)に、「あづさ川あさ川ともいふ。さめがい迄に三度わたる也」とあるように、中山道は梓川を3度渡って、醒井に至ります。醒井の命名の由来について、同安見絵図(醒井)は、「日本武尊東征し給ひし時伊吹山にて大蛇を踏て御心地わずらはしかりければ此水を呑て則醒給ひぬ。是によつて醒井といふ。水上は大岩の間より涌出る水也」と、『日本書紀』に基づいて記しています。他方、『木曽路名所図会』(巻之1)は、大蛇ではなく、「化白猪者(しろきゐになれるもの)」(山の神)の氷雨に惑わされ、下山して座していたところ、「玉倉部之清泉(たまべのしみづ)」によって「寤(さめ)」たので、その清泉を「居寤清泉(ゐさめのしみづ)」と呼ぶとして、『古事記』から醒井の命名を解説しています。いずれにせよ、醒井宿が日本武尊伝説の地であることが判ります。
また、前掲名所図会は、「此駅に三水四石の名所あり。町中に流れ有て至て清し。寒暑にも増減なし」と述べ、「日本武尊居寤清水」、「十王水」、「西行水」の3ヶ所の清水と、「日本武尊腰懸石」、「くらかけ石」(鞍掛石)、「蟹石」、「明神影向(やうがう)石」の4ヶ所の名石を紹介しています。くわえて、図版「醒井」の掲載もあって、宿中・加茂神社の境内にあった「居寤清水」や「腰懸石」などが描かれています。ただし、当作品の元絵になったのは、同図版ではなくて、やはり、広重の後掲スケッチ帖です。同スケッチ帖の「さめか井」に、「醒」ではなく、「酔」という漢字を当てたことが、完成作品「酔か井」の誤記に繋がっていたことに気付きます。
スケッチの場所は、宿場の西口外れ、枝分かれした大松があった六軒町辺りと考えられ、前掲「垂井」や「関ヶ原」など、宿場の西口辺りを描く作品が続いています。大名行列が宿場に向かう中、竹馬を担ぐ足軽と槍を担ぐ中間が殿(しんがり)を歩んでいます。大名行列が描かれているのは武士に係わる事柄が画題となっているからで、この場合は、醒井が日本武尊という古代の武人ゆかりの里だからです。農夫が、小高い丘の上で煙管を吹かしながら、座って大名行列を眺めています。現代版の「居寤」の姿かもしれません。
*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号10(p210)
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