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57 美濃国 「赤坂」

「五拾七 木曽海道六拾九次之内 赤坂」  廣重画 錦樹堂


Kisokaido58 美江寺から赤坂に行く途中、渡し船で呂久川を越えると赤坂の宿場に到着しますが、その宿の入口に杭瀬川があります。杭瀬川は下流で、先の呂久川と合流し、伊勢・桑名に流れ込みます。つまり、赤坂は、揖斐川水系の川岸に発達した宿場で、赤坂湊による舟運の拠点であったことが重要です。『木曽路名所図会』(巻之2)にも、「杭瀬川 赤坂宿の東にあり。呂久川へ流れ入。下流に杭瀬川村あり」とあります。また、同名所図会の図版「赤坂」には、「谷汲道」の記載があって、説明によれば、「谷汲観音 美江寺より五里北なり。山深うして道嶮し。西國札所三十三番打納也。寺を華厳寺といふ。開基を豊然上人となつく。延喜年中の建立なり」とあります。西国巡礼結願地への追分でもあり、さらに繁栄の地であることがよく判ります。

 なお、『岐蘓路安見絵図』(赤坂)によれば、関ヶ原合戦直前に布陣した徳川家康が命名した「勝山」、平治の乱で敗走した「よし平よしともとも長の石塔」、源氏一族を助けた青墓の長の屋敷跡があり、かつての宿駅「青墓村」、小栗判官と照手姫伝説の「てる手の松しみづ」、平安末期の大盗賊熊坂長範ゆかりの「長範物見の松」等多くの名所があり、前掲名所図会も図版「青墓里 長範物見松」によって一帯を紹介しています。しかし、広重は自身の後掲スケッチ帖に基づいて、宿場東口の杭瀬川に架かる土橋と宿場入口を示す榜示杭の背後に宿場を描くという素っ気ない対応です。橋を渡る人々が雨支度をしていますが、これが次作品「垂井」の雨天の予兆ならば、この点に唯一の構想性(絵の情緒)が認められましょうか。川湊のあった杭瀬川の水が少ないのが気になります。


*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号9(p210)

S_akasaka

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