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56 美濃国 「美江寺」

「五拾六 木曽海道六拾九次之内 みゑじ」  (弌立斎)廣重画 錦樹堂


 第六グループ(絵師は全て広重、版元については一部保永堂)56~70枚が始まります。木曽海道シリーズを、東海道シリーズに対応する55(53+2)枚に15枚を加えた70枚構成と考えると、残り15枚は、ある面では木曽海道シリーズの中では独自な部分に当たります。鳥居本を別にして、広重が木曽街道を旅した後の作品群に相当します。基本的には、広重のスケッチ帖に倣って描いたと推測されます。


Kisokaido57 中山道は、太田で木曽川(太田川)、河渡で長良川(河渡川)をそれぞれ渡り、次は美江寺で揖斐川(呂久川)を渡るということになります。『木曽路名所図会』(巻之2)は、「美江寺」で、第一に「美江庭寺旧地」を紹介しています。美江庭寺旧地は、「此宿内権現社の地旧蹟なり。美江寺観音は養老年中伊賀國より當國本巣郡十六条村に移し勅願所を建立ある。これを美江寺といふ」とあり、その後、土岐一族の保護を受け、一族が滅ぼされた後は、織田信長によって岐阜今泉村に再興されたと記されています。引用箇所にもある、美江寺の旧名「十六条村」からも判る通り、美江寺一帯は奈良時代の条里制が残っている地域です。その歴史から、当宿場に存在した美江寺「観音」は、かつて治水工事を指導・実行した渡来人の置き土産と見ることができるのではないでしょうか。いずれにしろ、美江寺の風景は、川、湿地、水田等であることが想像できます。

 当作品の制作過程は、広重の後掲スケッチ帖が元絵と思われます。当作品の風景描写から判ることは、老僧と農夫が話す場所を街道と見て、その手前脇には椿の花が咲き、背後脇には竹林が繁っています。椿は治水事業に当たった古来の渡来人が日本に持ち込んだ花の子孫と考えると、広重は歴史的風景を描いたことになります。竹林や川辺に打ち込まれた水除杭は、治水対策の跡です。遠景に見える家々は美江寺の宿場でしょう。この辺りの集落は、川の氾濫から家屋等を守るために周囲を堤防で囲んで、輪中を形成していました。なお、当作品の場所は、揖斐川(呂久川・杭瀬川、『木曽路名所図会』巻之2の図版)ではなく、宿場の西側近郊にあった犀川と見るのが一般的です。


*注1:『秘蔵浮世絵大観1 大英博物館Ⅰ』画像番号10(p210)

S_mieji

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