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52 美濃国 「太田」

「五拾二 木曽海道六拾九次之内 太田」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido53 伏見宿で再び木曽川と出合った中山道は、太田宿で木曽川を渡河することになります。この辺りでは、木曽川は太田川と呼ばれています。『木曽路名所図会』(巻之2)は、太田川に関して、「驛の東にあり。舟わたしなり。木曽川の下流にて早瀬なり。此川より一里上(かみ)に河合といふ所あつて木曽川飛騨川とひとつに落合ふ。飛騨川も大河なれども木曽川より細し。太田川の下は尾越川也。太田川より西がしは可児郡(かにごほり)といふ」と記しています。この太田の渡しは、「木曽の桟太田の渡し碓氷峠がなくばよい」と謡われた程の難所です。当作品では、まさに、この太田の渡しが画題とされています。

 制作方法に関して、当作品は、広重の後掲スケッチ帖が元絵と考えられます。実景を写した作品なので、特別な構想というものは感じられません。場所は、左側が下流とすれば、今渡(いまわたり)の渡し場側となります(『旅景色』p70)が、右側が下流ならば、当然、渡河した後の太田宿側の岸辺となります。広重の描法(『名所江戸百景』「川口のわたし善光寺」など)、および実景という視点で浮世絵を理解する見解(岸本『中山道浪漫の旅 西編』p83)を尊重して、後説(右側が下流)に賛同します。

 近景左側の2人は巡礼姿、右側2人と川岸にいる3人の旅人は、渡し船の到着を待っている姿です。大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p284)は、「大田川をわたるには、一町ばかり川上より舟にのるに、流れ急にして目くるめくばかり也」とあり、おそらく、広重も川下に流れる船を操舵する船頭とその船を待つ旅人達を中景に表現しようとしたのでしょう。しかし、とても悠揚な雰囲気で、難所のイメージからはやや遠い仕上がりです。なお、太田より鵜沼に向かう途中に観音坂という場所があって、そこには「勝山窟(いはや)観音」の名所があります。『岐蘓路安見絵図』(大田)によれば、「岩窟の内にくはんおんを安置す。此辺左りは木曽川流れ、川辺に岩多く、川向の山々好景也」とあります。後年、太田の渡場(岐阜県美濃加茂市)から犬山(愛知県犬山市)までの木曽川沿岸が「日本ライン」と呼ばれる所以です。


*注1:『秘蔵浮世絵大観 大英博物館Ⅰ』画像番号15(p210)

S_ohta

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