51 美濃国 「伏見」
「五十壹 木曽海道六拾九次之内 伏見」 廣重画 錦樹堂 『木曽路名所図会』(巻之2)は、伏見について、「これより西は多く平地なり。往還の左右に列樹(なみき)の松あり。東海道の如し。是より東には列樹の松なし。山里なればなり」と記しています。一見すると、「東海道の如し」をテーマにした構想作品のようですが、時期的には、中山道を旅した後の作品になります。画面の中央部辺りに大木を据えて、その周りに街道を旅する人々を描き込む手法はそれ以前から広重お得意のもので、たとえば、保永堂版東海道「袋井」や「濱松」などにも見られます。当作品では、広重の「構想」とスケッチ等を元にする「実景」との調和という観点で、作品を分析してみます。
狂歌絵本『岐蘇名所圖會』(初篇)に、部分図ですが、「伏見」を描いたものがあります。はたして広重のスケッチ帖に元々あったものかどうか、確定する材料は残念ながらありません。そこで、後掲『岐蘓路安見絵図』(伏見)と対比すると、伏見宿の背後に位置する「可児山」と宿場風景を描いたものであることが判ります。同安見絵図には、「木曽川かに山の後より流る」と注意書きが付されています。広重作品の遠景部分は、この注意書きを応用して絵にしたものと推測できます。同様に、遠景左側部分も同安見絵図と照らし合わせると、木曽川の水面と新村(志村)湊辺りを表しているのではと思われます。この湊は、中山道の山道を辿ってきた旅人を木曽川の川船に誘う好位置にあり、街道情報としては重要度が高いと言えます。
当作品の前景部分は、従来の構想作品にあった手法で、街道を手前に曲げ、あるいは端的に切り取って、そこに旅人の様子などを細かく表現するものです。構図の中心にある大杉は、通例、前掲安見絵図に、「名古屋道 犬山へも道有」と記される犬山街道沿いにあった「伏見大杉」を転用したのではと解されています。中山道から外れる脇道の大杉を使ったのは、「東海道の如し」と言われる松並木を実景表現したのではなく、構想的表現であるという暗号でしょうか。画中右側の3人の瞽女(ごぜ)は、前宿御嵩にあった願興寺(蟹薬師)を拠点に活動していた旅芸人です。左側の日傘を差す田舎医者は、同じく薬師から発想されたのでしょう。これらは、広重『東海道風景図会』(嘉永2・1849年)によって知ることができます。大木の前にいるのは、台傘と長柄傘をもった中間で、大名行列の別働隊と思われます。大木の下にいるのは、昼飯を食べる巡礼の夫婦と昼寝をする修行者です。こちらは、スケッチ帖に似た人物が描かれています。つまりは、前景は東海道の如くと言われる、伏見の街道風俗を紹介する趣旨ということになります。
*注1:『岐蘓路安見絵図』(伏見)
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