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50 美濃国 「御嵩」

「五拾 木曽海道六拾九次之内 御嶽」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido51 『木曽路名所図会』(巻之2)によれば、「御嶽(みだけ)」は、伝教大師の作と伝わる蟹薬師を祀る、天台宗大寺山願興寺を中心に発展した宿場です。同名所図会には、同時に図版「御嶽驛 可兒藥師」が掲載されています。その他に、「和泉式部墓」という名所もあります。ところが、広重は、夕景の中、川沿いの1軒の鄙びた木賃宿を描いています。広重のスケッチ帖には、御嵩の木賃宿の絵は発見できないので、中山道の旅の体験を元にはしつつ、一種の構想図として理解します。通例は、当作品中・左中段に荷を背負った男が山中の坂を登ってくるように見えるということで、確かな根拠ではありませんが、宿場の東部謡坂(うとうざか)にあった十本木の立場風景と解しているようです(『旅景色』p68)。ただし、十本木立場とすると立場茶屋となり、木賃宿の情景とは一致しません。

 当作品から判ることは、破れ障子に「みたけしゆく きちん宿 ○○や○○」、柱行灯に「○嶽山・○神燈」と書いてあり、後者は「御嶽山・御神燈」と読めます。つまり、この木賃宿は、「御嶽宿」にあった「御嶽山」および「かにやくし」(?)参りのための簡易宿泊施設と想定されます。蟹薬師は有名ですが、「御嶽山」については、大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p285)が、「駅を出て、山あひの田みちを松のなみきにそひてゆく事数十町、右のかたに小社二つばかりみゆ。みたけ山はいづくぞと輿かくものにとへば、右のかたに高く聳へたる山なり。木立しげりてみゆ」と記し、御嵩宿では、「みたけやま」が旅人の関心であることが判ります。また、『岐蘓路安見絵図』(細久手)には(前回ブログ注1参照)、「蔵王山よし野の蔵王を勧請しけるにや吉野を御嶽といへば此宿をみたけと名付たるならん」とあって、宿場の命名由来として、「御嶽(蔵王)山」にやはり注意を向けています。以上から判断して、当作品左側背後に描かれる山は、漠然とした山ではなくて、御嵩の宿場風景を表現するもの、すなわち、宿場南の「御嶽山」もしくは蟹薬師の北に位置する御嵩富士、またはその両方のイメージと捉えるべきでしょう。その御嵩宿の山を見通す坂となれば、同安見絵図からは、「さいと村」と「いぢり村」の間にある「さいと坂」辺りから宿場方向を望む構図となります。結局、井尻村から西は平坦な地形なので、東側から御嵩宿を見遣る夕景と結論づけられましょう。

 重要なことは、広重が、一般の旅籠ではなく、安価な庶民向けの木賃宿を選択したところにあります。人物群を具体的に観察してみると、宿の前の小川で米を研ぐ老婆を眺める子供は、柄杓を腰に差しており、抜参り(伊勢参り)姿と思われます。次の伏見宿に「名古屋道」(犬山街道)の追分があることと関連した題材です。「同行二人」の笠の下に座る女は巡礼です。また草鞋を解いている男は、蓆(むしろ)に置かれた六部笠から六部僧と判ります。その他、宿の外には、右手に水汲みの女(スケッチ帖に似た人物が描かれています)、左手に荷を運んでくる男と2羽の鶏といった日常景が描かれ、地元民が生活の中で木賃宿を経営している感じがよく出ています。登場人物は広重が実際出会った人々かもしれませんが、作品構成全体は、前掲「細久手」と同様、構想作品に分類されるはずです。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(御嶽)

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