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49 美濃国 「細久手」

「四拾九 木曽海道六拾九次之内 細久手」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido50 北東に御嶽山、北に白山、西に伊吹山、南に伊勢湾を望む琵琶峠を越えて、途中、弁天池を通過し、松林の中の坂を進むと細久手に到着します。『木曽路名所図会』(巻之2)は、細久手に関し、「坂多し。京より下りは此所まで登り坂多し。これよりひがしは下りがち也。細久手は土地の高き所なり」とあります。大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p287)は、宿を発って、「松の間の山道をゆくに、左右みな谷地なり」と記しています。当然ですが、後掲『岐蘓路安見絵図』(細久手)は、反対に、「是より西下り坂多し。みたけ迄三りの間山坂谷合の道也」としています。

 当作品は、現存する広重のスケッチ帖の中に同様の風景を見つけ出すことができません。それでも、実景的要素に重心を置いて検討すると、中山道に山道が合流し、眼下に宿場、遠くに山々を見通すことができるのは、宿場東側の切山辻の見晴台ということになりましょうか(『ちゃんと歩ける中山道六十九次 西』p62、岸本『中山道浪漫の旅 西編』p71)。画中の人物の幾人かは、スケッチ帖にほぼ同様な姿を見つけることができますが、しかし、左3本、右2本の松の間から山々を見る表現は、どちらかと言えば、構図重視で、前掲「本山」作品の焼き直しのような印象を受けます。とすれば、当作品には「本山」と同じ構想意図があると見るべきでしょう。すなわち、十三峠、琵琶峠など美濃高原の峠越が終わって、後は京都まで下り坂がある程度なので、2本の松と街道が作る三角形はその出入りの門であるということになります。宿場方向から坂を上ってくる旅人は、この門を潜って美濃高原に入って行くことになり、他方、肩に担いだ刀に竹の水筒をぶら下げた武士は、その道のりを終えて宿場に向かって行く姿です。これが、中山道における細久手の位置づけ(街道情報)となります。

 背負子姿で山道を歩いて行く人は、柴を集めに行くのでしょう。前掲「大久手」の2人が柴を一杯背負って峠を登って行く姿よりも、現実的です。また、鎌を持っている男女2人の農民は、『旅景色』(p67)が言うように、山間地の特性として、楮(こうぞ)(紙の原料)・青苧(あおそ)(布の原料)などを刈り取りに行く姿なのかもしれません。いずれにしろ、スケッチ帖から判断して、旅の途中、広重が実際に見かけた人物や風俗情景を挿入したと考えられます。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(細久手)

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