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47 美濃国 「大井」

「四拾七 木曽海道六拾九次之内 大井」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido48 当作品は、制作中断前の構想図であるということが重要です。『木曽路名所図会』(巻之2)には、図版「大井驛」があって、宿場の西側の大井橋を渡って、西行坂等の峠道や「伊勢名古屋道」の追分などが描かれています。また、後掲『岐蘓路安見絵図』(大井)には、「大井より大久手迄の間十三峠といふ。坂多し」と記される他、やはり、「名古屋道いせ参宮の人是よりわかるもよし」との注意書きがあります。つまり、大井宿は、西に難所十三峠を控え、下街道(伊勢名古屋道)、秋葉道などの追分もあって、美濃路16宿の中でも最も繁栄していました。それ故、天保14(1843)年の宿村大概帳によれば、総人口466人、家数110戸、本陣1、脇本陣1、旅籠屋41と最大規模を誇っていました。なお、同名所図会には、「西行法師塚 大井の宿半里西中野村にあり。五輪石塔婆を建る」、「西行硯池 中野村にあり」とも記されていて、宿場の西側に西行ゆかりの名所ポイントがあることが判ります。

 以上を踏まえると、馬子に引かれた馬上の商人らしき旅人は、「西行硯池」を過ぎ、「西行坂」を上り、進行方向右に「西行法師塚」を望み、「十三峠」に入って、2本の松(一里塚の松か?)の間の中山道を西に行く姿と考えられます。浮世絵では、雪降る描写は何か事件・事故あるいはそれに絡む思いを暗示することが多く、当作品の場合は、西行終焉の地であることを表現していると想像できます。西に行く旅人は西行であり、同時に西(方浄土)に逝くという意味ではないでしょうか。翻って、当作品の背景は、右の松の背後が恵那山、中央手前ないしはその左が笠置山で、いずれも美濃国を代表する山です。左の松の背後の山は木曽の山々のイメージです。敢えて言えば、一番奥が構想上の御嶽山(実景上は木曽駒ケ岳)、一番左は実景上の御嶽山となります。前掲「和田」で、街道正面に構想上の御嶽山、実景上の甲斐駒ケ岳が描かれているのと、同じ理屈です。

 『旅景色』(p65)およびそれに影響された見解では、当作品は大井宿の東手前にあった「甚平坂」を描くものと解しますが、それは当作品が実景図ではなく、背景を書割り的に挿入する構想図であることを忘れています。構想図では、作品の前景が主題を担います。当作品の場合は、大井宿が西行終焉の地であるという伝説がそれに当たります。一歩譲って、当作品が『旅景色』の言うように甚平坂を描いたとするならば、坂の左手に「根津甚平塚」があることから(『岐蘓路安見絵図』中津川参照)、その終焉地を降り積もる雪で表現したという理解になります。しかし、街道案内として、十三峠入口にある西行塚(坂)程のインパクトはありません。この点について、三代豊国『木曽六十九驛 大井』が副題「西行坂 うつしゑ」とし、西行坂と西行の娘・うつしゑを描いていることが参考になります。ちなみに、前掲名所図会には、「根津甚平墓 大井の東石塔村にあり。甲州武田信玄の家臣なり。鷹を追来りてこゝに没す」とあります。他方で、もっと古く、鎌倉時代の宝筐印塔であるとの説もあります(児玉『中山道を歩く』p297参照)。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(大井)

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