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46-2 美濃国 「晴れの中津川」

「四拾六 木曽海道六拾九次之内 中津川」  (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido47 当作品は、中山道旅行中のスケッチ帖を元に制作されたと推測されます。後掲作品は、同じスケッチ帖から制作されたと考えられる、広重『岐蘇名所圖會』(中津川駅)です。『岐蘓路安見絵図』(中津川)を参考にすると(前回ブログ注1参照)、中津川宿の西側を流れる中津川に架けられた土橋が前景に描かれ、岸辺の枝垂柳の大木、修行僧、畚(もつこ)を担ぐ人、荷札を立てた長持を担ぐ人足などの行き交う姿が見えています。中景の宿場背後の山は、同安見絵図に「小高き山の上に有。遠山佐渡守領地一万三千石。中津川より一り」と注意書きされる、「苗木の城」がある場所でしょう。1万石余りの小藩ながら立派な城を持つことで有名でした。

 「雨の中津川」と「晴れの中津川」を比べると、前者の絵番号は「四十六」、後者は「四拾六」となっており、前後の絵番号に関して広重は「拾」を使っていることから、「晴れの中津川」の方がシリーズの正当な立場を占めるものと考えられます。とは言え、なぜ2種類の作品が制作されたのかの問題は残ります。通例は、版木の紛失など不可抗力を挙げることが多いのですが、当講座の主張を前提にすると、明智光秀を読み込んだ(と解しうる)作品の持つ危険性から、版元など制作サイドが「雨の中津川」の正式版としての版行を止めたという結論になります。いずれにしろ、徳川幕府の視点では、美濃国は、西国(豊臣方)大名との緩衝地帯という位置づけなので、中山道が信濃国から美濃国に入ったことは、難路の国境を越えたというばかりではなく、意外にも、地勢的(政治的)な意味において制作上注意を要する事態なのです。


注1:『岐蘇名所圖會』(中津川駅)

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