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46-1 美濃国 「雨の中津川」

「四十六 木曽海道六拾九次之内 中津川」  (一立斎)廣重画 錦樹堂


Digital046 後掲『岐蘓路安見絵図』(中津川)に従うと、宿場を発ち中津川を越えると、「こまんば」、立場「小いせ塚村」、「せんだ林」、立場「坂本」と続きます。駒場を中心に何れかの地に、かつての東山道宿駅・坂本があったと言われています。『木曽路名所図会』(巻之2)にも、坂本は、「大井宿中津川の宿の間なり。むかしは此所宿駅なり。延喜式にいふ坂本の駅これ也」とあります。

 当作品は広重が制作を中断する前の、構想作品に属します。雨合羽を着た3人の武士は、竹馬を担いだ2人の足軽と槍を担いだ中間で、大名行列の殿(しんがり)の者達です。雨中の背景の山影が恵那山と看做されるので、中津川を発って落合方向か、もしくは坂本の立場などから中津川方向に歩んでいると想定されます。榜示杭など宿場を示す施設がとくにないこと、前掲名所図会が宿駅・坂本に触れていることから、坂本の立場から中津川に進む構図と理解できます。前掲安見絵図には、「中津川水出れは往来とまる」、「此辺皆山の峯を通る也」とあって、低地・湿地を推測させる記述です。雨が降れば、旅人は当然水難を避けて宿場に急ぐことになります。当作品の鷺が生息する湿地の描写もその状況を匂わせるものかもしれません。胡粉を使って表現された白雨も、水に弱い中津川の土地柄に合わせた表現と考えられます。実景を重視する立場から、駒場もしくは上宿池(一里塚)辺りとする見解もあります。

 構想作品という点から、もう少し深読みしてみます。実は、三代豊国『木曽六十九驛 中津川』は、「坂本 武智光秀」という副題の下に、立場・坂本から近江坂本を想起し、その城主明智光秀を描いています。これを着想のヒントにすると、当作品の雨で隠された恵那山は美濃国に係わる事件を象徴し、それは、美濃守護土岐源氏の一族であり、明智郷出身の光秀に係わることであるという説を提案します。『美濃国絵図』(『旅景色』p61)にも、「明知」の名が2ヶ所に記されていて、明知ゆかりの土地柄と判ります。たとえば、この激しい雨を五月雨と見れば、光秀の妻「皐月」の涙雨とも(歌舞伎『馬盥』参照)、また、本能寺の変の前に詠んだ連歌の発句、「時は今雨が下しる五月哉」にも符合するのです。広重の構想作品には、土地ゆかりの人物や稗史に絡む情緒が作品の背景とされていることが多く、木曽路では木曽義仲の興亡等が仮託され、美濃路でも同様の思考で光秀が読み込まれていると解することが可能なのです。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(中津川)

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