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42 信濃国 「三留野」

「四拾貳 木曽海道六拾九次之内 三渡野」  (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido42 前宿野尻から当宿三留野の間は、木曽路の中でも大変危険な場所です。『木曽路名所図会』(巻之3)には、「木曽路はみな山中なり」という有名な言葉が記され、続いて、「此間左は数十間深き木曽川に路の狭き所は木を伐(きり)わたして並べ藤かづらにてからめ街道の狭きを補ふ。右はみな山なり。屏風を立たる如にして其中より大巌おし出て路を遮る。此辺に桟道(かけはし)多し。いづれも川の上にかけたる橋にはあらず。岨道(そばみち)の絶たる所にかけたる橋なり」、さらに、「山の尾崎を廻りて谷口へ入また先の山の尾崎をまはる所多し。其谷道に横はりて渓川(たにがは)の流れ木曽川に落合所多し。これにかくる橋なればあやうき事甚し」とあります。『岐蘓路安見絵図』(野尻)にも、同様の注意書きが付されています。

 ところが、広重の作品を見ると長閑な麦畑での農作業風景となっています。危険な難路を過ぎて、無事、三留野に到着した安堵感がテーマになっているのでしょう。紅白梅が咲く丘の上に建つ、神明鳥居(伊勢宮)が描いた場所を特定するヒントです。前掲名所図会に、「伊勢山」について、「駅の西北にあり。河を隔つ也。里談云。天正十年伊勢宗廟造営の時はじめて此山に入て木を伐る」という記述を見出します。宿場の西方和合村辺り、木曽川の対岸にあった伊勢宮を描いていると考えられます。大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p295)は、此岸の和合村で輿を留めて、和合諸白(もろはく)という銘酒を味わっています。また、後掲『岐蘓路安見絵図』(みとの)には、「和合にて作る酒家あり。能酒なり」という注意書きがあります。食道楽の広重のこと、実は彼岸「いせ山」の景色よりは此岸「和合」に関心があって、旅人の喉の渇きを癒す谷間の清き水と、それによって作られる銘酒の産地を隠れた名所として採り上げていると読み解いた方が、当作品の評価には相応しいのではないでしょうか。

 構図的には、鳥居左手後方の家々の前に蘆が生えているので、対岸の和合村と看做せます。麦畑の中に旅人が佇んでいるのは、旅人が渡河したか、あるいは前面に街道を曲げて挿入する広重流画法と思われます。三留野の宿場にあった東覚寺裏の東山神社から宿場方向を眺めるものという見解もありますが、その場合、なぜ天王社を選ぶのかが疑問です。いずれにしろ、野尻から続く、桟のいくつも架かる木曽路を踏破し、三留野に着いた旅の安堵感が当作品の情緒になっていることが重要です。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(みとの)

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