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41 信濃国 「野尻」

「四十壹 木曾路驛 野尻(ノジリ) 伊奈川橋(イナカハハシ)遠景」  溪斎画 竹内・保永堂・左枠外に竹


 第5グループ(広重・錦樹堂主体、しかし英泉・保永堂も存在示す)41~55枚が始まります。シリーズ最初の1枚(絵番号41)は相変わらず英泉・保永堂作品です。また、東海道53次を暗示する絵番号53、日本橋と三條大橋を加えた55を表す絵番号55を英泉・保永堂が描いており、広重には不本意な結果となっています。なお、信濃国の最後は英泉、美濃国の最初は広重となっていて、国の初めは広重、終わりは英泉が制作するというパターンは踏襲されています。このグループ15枚をもって、基本的に英泉・保永堂のコンビは終了となります。


Kisokaido41 須原から野尻に向かう途中、今井兼平の城址の手前、伊奈川に橋が架けられています。その伊奈川橋を北西(木曽川)側から描いたのが当作品です。したがって、当作品右側が京方向となります。『木曽路名所図会』(巻之3)には、「いにしへは二十七間にして閣道なり。両岸より大木を夾(さしは)さみ三重中間大水に架す。最壮観たり。後世石を畳て崖とし縮めて十六間とす」とあります。大水の際、上流より流れてくる岩や石から橋を守るため、橋を支える杭を建てない工法の、いわゆる反橋(そりばし)です。画中、橋の左側背後に墨のぼかしを使って、石段と堂宇が描かれています。これは、同名所図会に記される「磐出観音(いはでのくわんおん)」で、「伊奈川村の上にあり。本堂馬頭観音。須原定勝寺に属す」とあります。旅の安全を守る拠り所です。なお、同名所図会の後掲図版「兼平羅城」を見ると、激しい伊奈川、木曽川の流れがよく判ります。おそらくこの左頁が当作品の元絵となったのでしょう。

 ちなみに、当作品には、北斎『諸国瀧廻り』「下野黒髪山 きりふりの滝」の影響を感じます。また、橋下に富士の姿が見えるカラクリが隠されています。広重の前々作品「上ヶ松」は、北斎の同「木曽海道小野ノ瀑布」を手本にしていて、北斎を挟んで両絵師の強い対抗心が読み取れます。


*注1:『木曽路名所図会』巻之3(兼平羅城)

Kanehiraedasiro

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