« 38 信濃国 「福島」 | トップページ | 40 信濃国 「須原」 »

39 信濃国 「上松」

「三拾九 木曽海道六拾九次之内 上ヶ松」  (哥川)廣重画 錦樹堂


Kisokaido39 福島から上松に向かう途中、木曽の桟(かけはし)として名を残す川沿いの橋を過ぎ、上松の宿場を越えると、臨川寺、寝覚の床が右方向に見えてきます。浦島太郎伝説の地でもあります。さらに進むと、街道左方向に小野の滝があります。その先が、なめ川橋です。(『岐蘓路安見絵図』福嶋・上松参照)。『木曽路名所図会』(巻之3)には、「桟道(かけはし)の旧蹟」、「臨川寺 寝覺牀」、「小野瀧」の3図版が掲載されています。広重は、その中から小野の滝を画題に選びました。おそらく、葛飾北斎の『諸国瀧廻り』「木曽海道小野ノ瀑布」を踏襲したものと考えられます。

 前掲名所図会には、「小野村の右の路傍にあり。髙三丈許直下木曽川に落る」とあり、また、「此瀑布泉(たき)は山澗より巌をつたひ只布をさらせるが如く落る。傍に石像の不動尊まします」に続けて、細川幽斎『老の木曽越』が布引・箕面の滝にも劣らないと賞した旨が記されています。なお、大田南畝『壬戌紀行』(前掲書、p299)は、「岩山の上より、滝ふたすぢにわかれて落るさま、白き布をさけるがごとし」と表現していますが、当作品ではその部分は描かれていません。また同『壬戌紀行』には、「左に茶やあり。障子に名物小野の滝蕎麦切とかけり」ともあります。その茶屋については、屋根に石を置いた姿で画中左に描かれています。滝の側(そば)の蕎麦(そば)切の店という地口をおもしろく拾ったのかもしれません。京都から江戸に進む前掲名所図会の後掲図版およびそれを下絵とする北斎作品が基本になっているので、当作品の旅人は江戸方向を向きながら、滝を指差し、眺めていると想定されます。柴の束を天秤で担ぐ村人の歩む方向が京都です。前掲名所図会の不動尊の祠と滝の位置関係を詳細に見ると、当作品とは微妙に異なっています。広重は、あくまでも北斎作品に忠実です。狭隘な巌の間から覗く空が木曽の山間の様子をよく表していますが、いずれにしても、構想図となります。なお、木曽川に落ちる滝がテーマになっているので、派号「哥」を使用しているのでしょうか。


*注1:「木曾桟舊跡(きそのかけはしきゅうせき)」(『木曽路名所図会』巻之3)
「駅路の中にあり。いにしへは山路険難にして旅人大に苦む。慶安元年尾州敬君より有司に命じて桟道を架す。長五十六間横幅三間四尺又寛保年中同邦君また有司に命じて左右より石垣を数十丈築上桟道を除き今往来安穏なり。これを跛許橋といふ。長纔(わづか)三間許聊危き事なし。橋下の石に銘あり。」
 上記から、歌枕の地として有名な木曽の桟は、江戸時代に改修され通例の橋となり、すでに存在しなかったことが判ります。なお、小野の滝も、現在では、どこにでもある小滝に変じてしまっています。つまり、寝覚の床(臨川寺)のみが往古のまま存在しているということです。


*注2:『木曽路名所図会』巻之3(小野瀧)

Ononotaki

|

« 38 信濃国 「福島」 | トップページ | 40 信濃国 「須原」 »

広重・英泉の木曽海道六拾九次」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/197953/65108765

この記事へのトラックバック一覧です: 39 信濃国 「上松」:

« 38 信濃国 「福島」 | トップページ | 40 信濃国 「須原」 »