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32 信濃国 「洗馬」

「三拾貳 木曽海道六拾九次之内 洗馬」  (弌立斎)廣重画 錦樹堂


Kisokaido32 塩尻峠を越え、桔梗ヶ原を通り過ぎ、善光寺道の追分道標(江戸方向、「右中山道、左北国往還、善光寺道」とある)を経て、さらに、(今井兼平と木曽義仲が出会ったという意味の)太田(おふた)の清水を北西に見て、洗馬の宿場に至ります。『木曽路名所図会』(巻之3)「義仲馬洗水(よしなかうまあらひみづ)」は、「太田清水とて洗馬の東にあり。故に洗馬といふ」と記しています。この太田=洗馬の清水が宿名の由来です。また、『善光寺道名所図会』(巻之1)は、「…是より十八丁西に元洗馬あり。木曽川にあづま橋をわたせり。古道といふ。木曽川、是は中山道の木曽川にあらず。水源は鳥居峠に濫觴して本山宿の裏通りより爰に出、北流して所々の谷川落あひて大河となり、松本の西にいたり熊倉の橋辺より犀川といふ」とあって、木曽川と呼ばれた現在の奈良井川について触れています。洗馬は、善光寺道との追分であり、太田の清水と奈良井川という水にゆかりの宿場であることが判ります。さらに、木曽義仲や木曽川など、「木曽」の名が登場し、いよいよ木曽路が近いことが感じられます。

 広重作品には、柴を積んだ舟と筏が川を左手方向に下って行く様子、柳の生える荒地の向こうに家々の屋根が見える様が描かれています。これと後掲『岐蘓路安見絵図』(洗馬)を対照すると、該当する川は宿場の西側にある「小沢川」(尾沢川)が唯一のものであることが判ります。この川は、上述の木曽川と呼ばれた奈良井川と合流し、さらに北流して行きます。当作品は、おそらく、その合流地点辺り(もしくは元洗馬)から洗馬の宿場方向を眺める構図ではないでしょうか。したがって、家々の屋根は宿場の旅籠などを表していることになります。しかし、作品の趣の中心は、言うまでもなく、湿地の果てに見える薄い朱色のぼかしが入った満月です。さて、この満月にはいったいどんな意味があるのでしょうか。

 洗馬が善光寺道との追分の宿であることを考えれば、その道は更級に向かうことから、更級、姨捨の名月が想起され、その情緒を取り込んだものと想像されます。ただし、「長久保」で同じ考案がすでに使用されていて、二番煎じの感は否めません。次に、月が水にゆかりのある天体であることに気付けば、洗馬の宿名の由来となった太田の清水を象徴していると推測できます。しかも、月は浮世絵では故人を映す(偲ぶ)鏡としてしばしば使われます。すなわち、月の中に清水ゆかりの木曽義仲の姿を見て、滅び去った者への郷愁を感じさせ、その情緒を当作品に取り込んでいるとも解せられるのです。義仲の栄華と滅びの美を空中に浮かぶ清水としての丸い月に象徴させ、その背後にある詩情を思い出させることによって、ただの荒れた湿地の満月が洗馬の名月になるということです。後掲「宮ノ越」においても、淡い夕景の影絵の中に名月が浮かんでいますが、宮ノ越がやはり義仲ゆかりの土地であると確認できれば、名月は義仲の顔を映すものであると自然に理解できましょう。「名月」は「朝日」将軍木曽義仲が滅びた後の姿です…。


*注1:『岐蘓路安見絵図』(洗馬)
 善光寺の追分道標と太田の清水については、未掲載『岐蘓路安見絵図』(塩尻)の部分に描かれています。

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